第44話 お父さんのアレ

文字数 1,551文字

「コーティング剤Bの色って、紫とは限らないんだね」

 空の試薬瓶の中にオレンジの液体を移し替えながら、八幡ちゃんは「はい」と頷いた。

「今まで使っていたコーティング剤Bには、仕上げにラベンダーを使ったものだったんです。仕上げの色付けは必ず必要な工程ではないのですが、美しいですからね。ボクは地球の植物を使うのが好きなんです」
「ちなみに赤は何だったの?」
「椿ですよ。公園に花びらが沢山落ちていたので、拾っておいたんです」

 黒ボストンバッグの中から、いつの間に入れておいたのか、八幡ちゃんはジップ袋にいっぱいに詰まった椿の花びらを取り出して見せた。

「きれいだねえ」
「今回使わなかったので、これは染料にしましょう。煮出した液に布を浸せば、綺麗な薄紅色になりますよ」
「へえ」
「草木染めって言うんですよね。ボクも地球に来てから知った手仕事の一つなんですけど。大好きなんです。自然からもらった色で生活を彩るなんて、とても素敵ですよね。三人分のハンカチを染めます! おそろい、うれしいなあ」

 嬉しそうな声が転がるように部屋中に響いた。ベッドの片隅で眠っていた餅太郎が起き出し、八幡ちゃんの笑い声に誘われるがまま彼の頬をペロペロ舐め始める。

「そういえば八幡ちゃん、コーティング剤Aはどうやって作るの?」

 ふとこの時間の目的を思い出した。そうそう、私達は明日から使うためのコーティング剤を作っていたのだった。液体のBは無事完成したが、まだ粉末のAのほうは取り掛かりもしていないのだ。

「Aの方は超簡単ですよ。これとこれを混ぜて、そこに時間粉を追加します」

 八幡ちゃんは説明しながら、空になっていた緑の試薬瓶の中に、二つの小さな封筒の中身を入れた。軽く試薬瓶を揺すって、時間粉をそこに足し入れる。

「これでほぼ完成。あとは粉や細かい粒状のもので嵩増しすればOKです。お砂糖とか、砂場の砂でも良いんですよ。ね、簡単でしょ?」

 と、彼は笑った。

「これとこれっていうのは?」

 先に入れた二つの封筒の中身を私は訊ねた。どちらも微量に見えた。そしてその返答に、仰天することになる。

「片方は悠里ちゃんパパの足の爪ですよ。粉末にしてあります。昨日爪切りされていたので、ゴミ箱から拝借しておきました。もう片方はボクの爪です」
「え……? お父さんの、爪……? しかも足……?」

 コーティング剤の材料に必要な材料は、AもBも共通している。ただし、Aは粉末、Bは液体であることが望ましいのだという。

 材料になるのは、『加工する時間球の出所(地球であれば地球人)と産地外(地球以外)の生命体の排出物もしくは身体の一部』なのだ。
 だから私と八幡ちゃんは、先程コーティング剤Bを作るために、涙を採取するためにひたすら欠伸に勤しんでいたというわけだ。一定量の涙を出すのは大変だったけど、汗とか唾とか血液とか……身体から出てくる他の液体は、あまり使う気になれない。
 
「あ、大丈夫ですよ。粉末にする前に、爪はちゃんと滅菌処理とか済ませてますから。全然汚くないです。匂いもしません」
「そ、そう……」

 いや、でも、なんだか父の爪ってのは、なんだか、どうしても、抵抗感がある。なぜなのか。

「悠里ちゃんパパ、水虫もないし爪きれいでしたよ。大丈夫です。爪って角質が硬化しただけのものですから。ね!」
「う、うん」

 分かってる。今よりも反抗期っぷりが尖ってた時期の実衣に『お父さんの靴下とパンツを私の服と一緒に洗わないで!』と言われた日から、父が全身の清潔に気を配りまくっていることも知っている。

「爪は一番ちょうどいいんです。粉末にし易いし、簡単に手に入りますから」
「そっか……」

 コーティング剤Aの材料に何を使ったのかは、秋月くんには秘密にしておこう。私はそう決めたのだった。
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