プロローグ:ある商人の独り言
文字数 1,942文字
どうもはじめまして。
私の名前はナシーム。本名を全て述べるととても長くなるので、お伝えするのはファーストネームだけに留めておきます。ナシームという名前だけ記憶していただければ幸いです。
そして私の職業は商人です。というより、商人でしたと言った方が正しいんでしょうか。というのも、三ヶ月ほど前に私の乗っていた商船がシージャックされたために、私は現在海賊船に乗っているんです。ひどい話だと思いませんか?
それでも私は運のいい方なんですよ。他の乗船者たちはほとんど海賊に殺されてしまって、わずかに一命を取りとめた人々も、奴隷として売られてゆきました。私がなぜ未だに海賊船に乗っているかというと、私が通訳として船長に見込まれてしまったからなんです。そうでなければ、私のようながたいがいいわけでもなく、見てくれもぱっとしない中年オヤジなんてすぐに海に突き落とされて溺れ死んでるはずですからね。
幸いにも、子供の頃から父について世界のあちこちのお客様と商売する機会に恵まれていた私は、四種類くらいの言語を問題なく話すことができました。うちの船長は長いこと足がかりにしていた狩場を離れて、どうやら新天地へ移ってみたいと考えていたところだったようなんです。船長もよその国の言葉に対して多少の知識はあったようなんですが、前々から語学堪能な部下がいれば便利だと感じていたんでしょうね。私は捕虜の割には好待遇を受けて、海賊船に残ることになりました。
…と言ってももちろん、私に拒否権なんてありませんでしたよ。今もありません。扱いこそ悪くはありませんが、自分で自分の身の振り方を選べない点においては、私も売り飛ばされていった奴隷たちと変わらないわけです。…しかし物事は、いつ何時においても捉え方が肝心です。そうです、私は生き残れただけ幸運だったんです。
さて、今私が乗っている海賊船の船長ですが、まず本名がはっきりしません。乗組員たちにはカーン船長と呼ばれています。どうやら彼は、その昔東の大陸を支配して、ついには西の大陸の一端にまでその勢力を広げた、東洋の騎馬民族の王に倣ってそう自称しているようです。カーンというのは王の名前ではなく称号だったように思うんですが、とにかくその強力な王の物語をどこかで耳にして憧憬を感じた船長は、随分若い頃からその名前を名乗っていたようですね。私たちの船長は、そういうちょっと無邪気なところのある人です。
無邪気と言えば聞こえはいいですが、彼の性格は浅慮とか無思慮というような言葉でも表現できます。まあ海賊なんてしているくらいですから当然といえば当然なんですが、悪事を行ったり暴力を振るうことについても、彼は他の海賊たちと同じく、実に無邪気です。しかもカーン船長のある意味で性質の悪いところは、金銀財宝よりも、それを手に入れるまでの過程に目的を置いていることです。宝探しが好きな子供なら無害ですが、彼は暴れ回るのが好きな海賊です。彼が働いてきた非常識で非人間的な行為を私はいくつも目にしましたが、それを止めなかったことで私を攻めるのは酷というものではないでしょうか。私に彼を止める力はなく、また私一人が異を唱えたとしても、ただ殺されておしまいです。哲学や戒律、神様について論じるのはここでは避けて頂きたいんです。私はただの、無力で浅はかな商売人にしかすぎません。
彼は透き通った碧色の海辺に漆喰塗りの白い家々が立ち並ぶ漁港で生まれたのだと、カーン船長は言っていました。彼はローマ人とよく似た言葉を話します。その彼が故郷の海を離れ世界を半周して、新世界へ行ってみたいと言い出したわけです。私がそんなひとつのモスクもないような僻地へ行ってそこに骨を埋めたいと思うはずがありませんが、やはり私に拒否権はありません。私は他の海賊達と共に、新天地を目指して西へ西へと航海することになったんです。
旅の過程はここでは割愛させて頂きます。もちろんそこにはいくつもの冒険や危機や悲劇があったわけですが、そういうものに常に恵まれている海賊船での生活の中では、少なくとも私にとって、それらは特筆すべき出来事ではありませんでした。むしろ苦難が多かった分、私としては思い出したくない出来事の部類に入るかもしれません。とにかくまあそういった理由で、その辺りの事情は省きます。
では何が私にとって重要だったかといえば、その先の――新天地で起きたある事件です。私はなんと、この事件のおかげで、素晴らしくもカーン船長のもとから開放されました。ですからこの物語は、私たちがその新天地へ辿り着いたところから始まります。
…申し訳ありません、随分と前置きが長くなってしまいました。
*
私の名前はナシーム。本名を全て述べるととても長くなるので、お伝えするのはファーストネームだけに留めておきます。ナシームという名前だけ記憶していただければ幸いです。
そして私の職業は商人です。というより、商人でしたと言った方が正しいんでしょうか。というのも、三ヶ月ほど前に私の乗っていた商船がシージャックされたために、私は現在海賊船に乗っているんです。ひどい話だと思いませんか?
それでも私は運のいい方なんですよ。他の乗船者たちはほとんど海賊に殺されてしまって、わずかに一命を取りとめた人々も、奴隷として売られてゆきました。私がなぜ未だに海賊船に乗っているかというと、私が通訳として船長に見込まれてしまったからなんです。そうでなければ、私のようながたいがいいわけでもなく、見てくれもぱっとしない中年オヤジなんてすぐに海に突き落とされて溺れ死んでるはずですからね。
幸いにも、子供の頃から父について世界のあちこちのお客様と商売する機会に恵まれていた私は、四種類くらいの言語を問題なく話すことができました。うちの船長は長いこと足がかりにしていた狩場を離れて、どうやら新天地へ移ってみたいと考えていたところだったようなんです。船長もよその国の言葉に対して多少の知識はあったようなんですが、前々から語学堪能な部下がいれば便利だと感じていたんでしょうね。私は捕虜の割には好待遇を受けて、海賊船に残ることになりました。
…と言ってももちろん、私に拒否権なんてありませんでしたよ。今もありません。扱いこそ悪くはありませんが、自分で自分の身の振り方を選べない点においては、私も売り飛ばされていった奴隷たちと変わらないわけです。…しかし物事は、いつ何時においても捉え方が肝心です。そうです、私は生き残れただけ幸運だったんです。
さて、今私が乗っている海賊船の船長ですが、まず本名がはっきりしません。乗組員たちにはカーン船長と呼ばれています。どうやら彼は、その昔東の大陸を支配して、ついには西の大陸の一端にまでその勢力を広げた、東洋の騎馬民族の王に倣ってそう自称しているようです。カーンというのは王の名前ではなく称号だったように思うんですが、とにかくその強力な王の物語をどこかで耳にして憧憬を感じた船長は、随分若い頃からその名前を名乗っていたようですね。私たちの船長は、そういうちょっと無邪気なところのある人です。
無邪気と言えば聞こえはいいですが、彼の性格は浅慮とか無思慮というような言葉でも表現できます。まあ海賊なんてしているくらいですから当然といえば当然なんですが、悪事を行ったり暴力を振るうことについても、彼は他の海賊たちと同じく、実に無邪気です。しかもカーン船長のある意味で性質の悪いところは、金銀財宝よりも、それを手に入れるまでの過程に目的を置いていることです。宝探しが好きな子供なら無害ですが、彼は暴れ回るのが好きな海賊です。彼が働いてきた非常識で非人間的な行為を私はいくつも目にしましたが、それを止めなかったことで私を攻めるのは酷というものではないでしょうか。私に彼を止める力はなく、また私一人が異を唱えたとしても、ただ殺されておしまいです。哲学や戒律、神様について論じるのはここでは避けて頂きたいんです。私はただの、無力で浅はかな商売人にしかすぎません。
彼は透き通った碧色の海辺に漆喰塗りの白い家々が立ち並ぶ漁港で生まれたのだと、カーン船長は言っていました。彼はローマ人とよく似た言葉を話します。その彼が故郷の海を離れ世界を半周して、新世界へ行ってみたいと言い出したわけです。私がそんなひとつのモスクもないような僻地へ行ってそこに骨を埋めたいと思うはずがありませんが、やはり私に拒否権はありません。私は他の海賊達と共に、新天地を目指して西へ西へと航海することになったんです。
旅の過程はここでは割愛させて頂きます。もちろんそこにはいくつもの冒険や危機や悲劇があったわけですが、そういうものに常に恵まれている海賊船での生活の中では、少なくとも私にとって、それらは特筆すべき出来事ではありませんでした。むしろ苦難が多かった分、私としては思い出したくない出来事の部類に入るかもしれません。とにかくまあそういった理由で、その辺りの事情は省きます。
では何が私にとって重要だったかといえば、その先の――新天地で起きたある事件です。私はなんと、この事件のおかげで、素晴らしくもカーン船長のもとから開放されました。ですからこの物語は、私たちがその新天地へ辿り着いたところから始まります。
…申し訳ありません、随分と前置きが長くなってしまいました。
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