第17話:追跡者の影

文字数 2,019文字

「ちょっと待って、何の音?」
 ライラがそう言う前から、ヴァイオラ船長は木材が軋むような、奇妙な音に気付いていた。
 ばきりという枝が折れるような音が聞こえた時には、彼女達はその音源へ顔を向けていた。それは彼女達の右手に面した崖の上からだった。何とその急斜面から、大きな岩が転がり落ちてきたのである。
ヴァイオラ船長が叫んだ。
「崖から離れろ!」
 全員が一斉に道から外れ、藪の中へ飛び込んだ。
 勢いよく地面に衝突した岩は砕け、辺りには地響きと共に石の破片が舞った。気付くのがあと少し遅れていれば、間違いなく死人が出ていただろう。
 ヴァイオラ船長は茂みから出ると、全員が無傷であることを確認した。
 ナシームは巨大な岩の残骸を見、続いて崖の上を見上げた。膝頭が震えている。
「な、な、こんな罠まであるんですか」
 彼のぼやきに対して、いつの間にかアントーニオに抱えられていたマリーが反応した。
「誰もロープ踏んでないのに落っこちてきたよ」
 少女の言葉を聞いて、ナシームとアントーニオは顔を見合わせた。
 彼女の疑問はもっともである。今までの罠は、木の幹の間に張られた蔓に引っかかるなど、何かしらのスイッチによって作動するものだったが、開けている崖のふもとには蔓も張りようがなく、今回は誰もスイッチを入れていない。
「一体どういう仕組みになってるんでしょうね…」
 ナシームの呟きに対して、アントーニオは渋面で頷いた。
「仕掛けがわからないとなると、我々はますます用心して進まなければいけませんね」
 それから先でも、彼らは度々そういった仕掛けに襲われた。
 巨大な岩だけでなく、森の奥から矢が飛んできたり、樹上から鎖で吊られた大砲の弾が飛んできたこともあった。
 しかし、やはりそれらも初めの落石と同じように、何が罠を作動させたのかがわからない。彼らは慎重に進んでいたが、とうとう船員の一人が飛矢を肩に食らった。
「大丈夫か!」
 膝を折った部下の前に、ヴァイオラ船長が屈みこんだ。男の肩には長い針が突き刺さっていた。
 船長と並んで腰を落としたライラが針を見つめて言った。
「これ、吹き矢みたいね……もしかして毒が塗ってあるかもしれないわよ」
 彼女の想像は正しかったらしく、矢を受けた男はすぐに眩暈を訴えだした。
「やっぱり。ヴァイオラ、彼をすぐに船へ戻して、手当てを受けさせたほうがいいわ」
 男の顔色はみるみるうちに青褪めてゆく。ヴァイオラ船長は頷こうとして、突然立ち上がってコートを翻した。
「何⁈」
 思わずライラが声を上げる。
 ヴァイオラ船長がコートの裾を引き寄せて広げて見せた。ライラと周辺の男達はそれを見て、あっと息を呑んだ。ヴァイオラ船長のコートには、男が受けたのと同じ針が突き刺さっていたのである。
 眉を寄せ唇の端を曲げたヴァイオラ船長は、忌々しげにコートを貫いている針を見下ろした。
「…果たしてこれは罠か?」
 彼女の意図するところはライラには明快だった。
 それらが仮に島に仕掛けられていた罠だとしても、人力で作動させる必要があるもの、もしくは全く罠ではないと思われるものまでが彼らを襲っている。つまり、故意に彼らを付け狙っている者がいるということである。
「アントーニオ!」
 ヴァイオラ船長は甲板長の名前を呼んだ。列の後尾からアントーニオが駆けてくる。
「負傷者が出た。彼とマリーを連れて、先に船に戻ってくれ」
 そこにライラが言葉を添えた。
「ヴァイオラ、マリーは私達といたほうが安全だわ。アントーニオは彼を支えなければいけないし、そうなったら何かあった時に彼女を守れない」
 ヴァイオラ船長は一瞬瞳を動かしたが、すぐに頷いた。
「ライラの言う通りだ。マリー、お前は残れ」
 船長の言葉に妹は勇ましく頷いた。アントーニオは不安げな視線を船長へ送ったものの、毒で動けなくなった男を抱えるようにして立ち上がると、列から離れてもと来た道を引き返していった。
 ナシームは自分の前に残された少女を見遣り、ライラから言われた言葉を思い出していた。自分がアントーニオのように咄嗟の時に彼女を抱えて逃げられるとは思えないが、せめて常に注意を払っていなければ。
 一方ヴァイオラ船長は剣の柄に手の平を置いて、森の奥を睨んでいる。隣に立ったライラが彼女の思考を代弁した。
「吹き矢なんて、簡単に仕掛けられるものじゃないものね。……一体どこのどなたかしら」
 どこのどなたが、とライラは表現したものの、この孤島にいる人間など限られている。ヴァイオラ船長は呟いた。
「…あの男…言い出しておいて自らルールを破ったとは思えないが……、まあいい、今にわかるさ」
 そして彼女は、まごついている部下達に向き直ると、声を高くして号令した。
「どうやら足元に注意してるだけじゃ足りないようだ。気を引き締めて進むぞ!」



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登場人物紹介

ヴァイオラ船長


入り江の街を根城にする、海賊船エンパイア号の女船長。

自由と海を愛し、無暗な略奪や不要な殺生を避ける変わった海賊。

カーン船長をさっさと倒し、入り江からラディーナ号を追い払わなければと考えている。

カーン船長


海賊船クイーンラディーナ号の船長。

侠気がないことはないが乱暴者で、頭の螺子が足りない(とナシームには思われている)。

ヴァイオラ船長に一目惚れし、彼女を手に入れるために決闘を申し込む。

マーシャ


元巨大商社の支社長で、現在はエンパイア号の航海士。

ビジネス上の敵だった公爵を暗殺し損ねて流刑になっていたところを、ヴァイオラ船長に救われた。

いつも悪だくみばかりしている。

ナシーム


ごく平凡な商人。

乗っていた商戦をカーン船長に襲撃されて以来、通訳として強制的に海賊船に乗船させられている。

本編の主人公。

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