第19話:裏切り者
文字数 2,075文字
太陽は南から西へと傾き始めている。
ジャングルに覆われた山の尾根の上、ヴァイオラ船長とその部下達は足を急がせていた。
今は彼女のすぐ後ろに、彼女の妹のマリーがついている。マリーは厳しい表情の姉を見上げつつ言った。
「罠、来なくなったねぇ」
マリーのあとを歩いているライラが、船長の代わりに頷いた。
「今まで罠を仕掛けてきてたのがあちらの会計係さんなら、貴方に見つかったことで、計画を変更したのかもしれないわね」
「普通に考えればそうなるな」
ヴァイオラ船長が相槌を打った。
彼女の言う通り、マリーが森の中でトロイの姿を見かけて以来罠の類はぴたりと止み、足止めされることのなくなった一行はずいぶん速やかに島の奥まで到達することができた。
ライラが言う。
「あちらさんはもう、宝箱を手に入れてるのかしら」
立派な羽付帽子を被ったヴァイオラ船長の首が、ぶんぶんと横に振られた。
「どちらが箱を取ったにしろ、あっちがルールを破った以上この決闘は無効だ。全く人の時間を無駄にした罪、連中に思い知らせてやる」
「ってことは、結局あちらと闘う気なの?つまり、武器でってことだけど」
「そうなるな。どちらにしろあの連中には、私らの縄張りから出てってもらわなきゃならない。あっちにその気がないのなら、力ずくで押し出すまでだ」
「でもこの先で鉢会ったらどうするの?アントーニオを返しちゃったでしょ。彼がいないのはちょっと痛手ね。もしかしたらマーシャもあちら側についてしまってるかもしれないし」
「以前のエンパイア号には、アントーニオもマーシャもいなかっただろう?」
それでも私達は勝ってきたんだ、という言葉は、声にしなくてもライラに通じているようだった。
一方彼女達の後方でその会話を聞いていたナシームは、足を進めつつもそわそわと気を揉んでいた。
彼には、カーン船長がルールを侵して彼女達を狙ったとはどうしても考えられないのである。長い時間を強制的にとはいえラディーナ女王号の上で過ごし、毎日中彼を観察させられてきたナシームが知る限りでは、カーン船長は一度自分で決めたことを曲げたことは一度もない。また彼がひとたび何かにこだわり始めると、異常なほどの執着を見せることもナシームは知っている。よってカーン船長が自ら彼の海の女神と取り付けた約束を反故にするとは彼には考えられないのだが、現にマリーが森の中でトロイを見掛けてから、彼らは罠に襲われていない。
また仮にあれがトロイの単独行動だった場合、船長命令に背いてまでヴァイオラ船長を狙う根拠とは何だろうか。恐らくどこの海賊船でもそうではないかとナシームは思っているが、船長命令に乗組員が背いた場合、それが意味するものは叛逆か下克上、またその結果にあるものは追放か死である。
彼がそんなことを考えているうちに、何と気付けば彼らは目的地、洞窟の入口に立っていた。
広々とした岩の洞穴の天井は高く、どこかに吹き抜けでもあるのか、奥からは風の鳴る音が聞こえる。ヴァイオラ船長が部下達の顔を見回して言った。
「さて、あちらさんが先回りしてるんでなきゃ、宝箱はすぐそこだぞ」
躊躇なく日陰の中へ足を踏み入れた船長に続き、他の者達もぞろぞろとその後に続いた。
洞窟の天井はところどころひび割れており、その隙間から漏れている陽光のおかげで、彼女達は火を灯さずとも進むことができた。足元には細く水が流れており、日の注ぐ場所には苔や羊歯類が蔓延っている。
「滑りやすいな。…気をつけなさいよ」
船長の言葉の後半は妹に向けられたものだろう。
マリーが頷いた時、ライラが人差し指を唇に当てた。ヴァイオラ船長が親友の顔を見つめる。ライラは彼女の目線に、囁くような声で答えた。
「……ねえ、聞こえた?」
ヴァイオラ船長が頷いた。彼女の背後で、何なんすかと部下達が疑問声を上げている。
「この先に誰かいるぞ」
男達が静まり返った。船長の合図で、海賊達はそろそろと足を速め始めた。
彼らの足取りはやがて駆け足になり、彼らは足元の水を蹴飛ばしながら、日の零れる洞窟の中を走り出した。洞穴は次第に広くなってゆく。彼らがとうとう洞穴の中の広間に辿り着いた時、彼らはそこに人影を見た。
標準的な帆船がまるまる入りそうな大きさの洞穴の天井は、まるで古代ローマの闘技場のように丸く吹き抜けになっており、生い茂った木々の枝葉の間から太陽の光が燦々と降り注いでいる。そこには空になった木箱、ぼろぼろの布切れ、刃物の破片、そして人の骨など様々なものが転がっていたが、どれも風化寸前である。
しかし唯一その中で生命を保っているものがあり、それがその青年の姿だった。マリーが叫ぶ。
「あの人だよ!」
一瞬だけ振り返ったトロイは、すぐに踵を返すと彼らとは逆方向へ向かってまっしぐらに駆け出した。広い洞窟の向こう側には、同じような抜け道がもう一本あるのだろう。
待てと口々に叫びながら、彼らは逃げた青年の後ろ姿を追った。
*
ジャングルに覆われた山の尾根の上、ヴァイオラ船長とその部下達は足を急がせていた。
今は彼女のすぐ後ろに、彼女の妹のマリーがついている。マリーは厳しい表情の姉を見上げつつ言った。
「罠、来なくなったねぇ」
マリーのあとを歩いているライラが、船長の代わりに頷いた。
「今まで罠を仕掛けてきてたのがあちらの会計係さんなら、貴方に見つかったことで、計画を変更したのかもしれないわね」
「普通に考えればそうなるな」
ヴァイオラ船長が相槌を打った。
彼女の言う通り、マリーが森の中でトロイの姿を見かけて以来罠の類はぴたりと止み、足止めされることのなくなった一行はずいぶん速やかに島の奥まで到達することができた。
ライラが言う。
「あちらさんはもう、宝箱を手に入れてるのかしら」
立派な羽付帽子を被ったヴァイオラ船長の首が、ぶんぶんと横に振られた。
「どちらが箱を取ったにしろ、あっちがルールを破った以上この決闘は無効だ。全く人の時間を無駄にした罪、連中に思い知らせてやる」
「ってことは、結局あちらと闘う気なの?つまり、武器でってことだけど」
「そうなるな。どちらにしろあの連中には、私らの縄張りから出てってもらわなきゃならない。あっちにその気がないのなら、力ずくで押し出すまでだ」
「でもこの先で鉢会ったらどうするの?アントーニオを返しちゃったでしょ。彼がいないのはちょっと痛手ね。もしかしたらマーシャもあちら側についてしまってるかもしれないし」
「以前のエンパイア号には、アントーニオもマーシャもいなかっただろう?」
それでも私達は勝ってきたんだ、という言葉は、声にしなくてもライラに通じているようだった。
一方彼女達の後方でその会話を聞いていたナシームは、足を進めつつもそわそわと気を揉んでいた。
彼には、カーン船長がルールを侵して彼女達を狙ったとはどうしても考えられないのである。長い時間を強制的にとはいえラディーナ女王号の上で過ごし、毎日中彼を観察させられてきたナシームが知る限りでは、カーン船長は一度自分で決めたことを曲げたことは一度もない。また彼がひとたび何かにこだわり始めると、異常なほどの執着を見せることもナシームは知っている。よってカーン船長が自ら彼の海の女神と取り付けた約束を反故にするとは彼には考えられないのだが、現にマリーが森の中でトロイを見掛けてから、彼らは罠に襲われていない。
また仮にあれがトロイの単独行動だった場合、船長命令に背いてまでヴァイオラ船長を狙う根拠とは何だろうか。恐らくどこの海賊船でもそうではないかとナシームは思っているが、船長命令に乗組員が背いた場合、それが意味するものは叛逆か下克上、またその結果にあるものは追放か死である。
彼がそんなことを考えているうちに、何と気付けば彼らは目的地、洞窟の入口に立っていた。
広々とした岩の洞穴の天井は高く、どこかに吹き抜けでもあるのか、奥からは風の鳴る音が聞こえる。ヴァイオラ船長が部下達の顔を見回して言った。
「さて、あちらさんが先回りしてるんでなきゃ、宝箱はすぐそこだぞ」
躊躇なく日陰の中へ足を踏み入れた船長に続き、他の者達もぞろぞろとその後に続いた。
洞窟の天井はところどころひび割れており、その隙間から漏れている陽光のおかげで、彼女達は火を灯さずとも進むことができた。足元には細く水が流れており、日の注ぐ場所には苔や羊歯類が蔓延っている。
「滑りやすいな。…気をつけなさいよ」
船長の言葉の後半は妹に向けられたものだろう。
マリーが頷いた時、ライラが人差し指を唇に当てた。ヴァイオラ船長が親友の顔を見つめる。ライラは彼女の目線に、囁くような声で答えた。
「……ねえ、聞こえた?」
ヴァイオラ船長が頷いた。彼女の背後で、何なんすかと部下達が疑問声を上げている。
「この先に誰かいるぞ」
男達が静まり返った。船長の合図で、海賊達はそろそろと足を速め始めた。
彼らの足取りはやがて駆け足になり、彼らは足元の水を蹴飛ばしながら、日の零れる洞窟の中を走り出した。洞穴は次第に広くなってゆく。彼らがとうとう洞穴の中の広間に辿り着いた時、彼らはそこに人影を見た。
標準的な帆船がまるまる入りそうな大きさの洞穴の天井は、まるで古代ローマの闘技場のように丸く吹き抜けになっており、生い茂った木々の枝葉の間から太陽の光が燦々と降り注いでいる。そこには空になった木箱、ぼろぼろの布切れ、刃物の破片、そして人の骨など様々なものが転がっていたが、どれも風化寸前である。
しかし唯一その中で生命を保っているものがあり、それがその青年の姿だった。マリーが叫ぶ。
「あの人だよ!」
一瞬だけ振り返ったトロイは、すぐに踵を返すと彼らとは逆方向へ向かってまっしぐらに駆け出した。広い洞窟の向こう側には、同じような抜け道がもう一本あるのだろう。
待てと口々に叫びながら、彼らは逃げた青年の後ろ姿を追った。
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