第13話:落ちたオレンジ

文字数 2,321文字

 同じ頃、既にカーン船長とその一行は、島を覆う森の中に足を踏み入れていた。
 濃い深緑のそれは、森というよりもジャングルと呼ぶほうが相応しい。窮屈なほど生い茂った枝が天を覆い隠し、木々の中はまるで夕闇のような暗さだった。
 前方の部下に鉈を持たせて密生した枝や蔦を断ち切らせながら、カーン船長はのんびりと足を進めていた。
 彼の頭上を鮮やかな橙色の鳥が飛び去ってゆく。それを見つめていた船長は、ふと首を曲げ、彼の背後を歩いていたエンパイア号の航海士に声を掛けた。
「なあ、今の鳥を見たか」
 深く厚く堆積した落ち葉の地面を見下ろしながら歩いていた航海士は、声が自分に向けられたものらしいと気付いて顔を上げた。
「いえ。…足場を見張るのに精一杯で」
 マーシャはどこかくたびれた口調で言ったが、果たして船長はそれをきちんと聞いていたのか、今度は早々に話題を変えてきた。
「しかしすごい森だな。こんなとこに本当にお宝があるのか?ここはお前の地元だろ、マーシャ」
 航海士は船長の後を歩きながら肩を竦めた。
「正確には私の故郷はイングランドです。この近所は前職に勤めていた時の赴任先でしてね。そこまで詳しいわけじゃありませんが、一応船乗りでしたんで、最低限のことは知ってますよ。宝島の海賊の話も」
「話してくれ」
 これが退屈凌ぎの方法ならば仕方ないと考えた航海士は、彼の知っている物語について説明を始めた。
「一世紀近く前の話だそうですが、この辺りに随分大きな海賊団がいたようです。連中はインカやペルーからスペイン人が持ち出した宝などを奪い取り、大量に溜め込んでいたそうです。恐らくいくつか隠し場所を持っていたんでしょうが、ある時何らかの理由で、その財宝を一箇所に集めて管理しようということになったそうなんですね。それでこの島が選ばれ、彼らは島の中心部にある洞窟に財宝を運び込みました。
 集まった財産はすごい量だったそうで、それを目にした連中はどこかおかしくなったんでしょうね、金にはそういう力がありますから。彼らは突然、その取り分を巡って争い始めたんだそうです。彼らは仲違いし、お互いを殺そうとしました。闘いは一晩では終わらずに、三ヶ月近くも続いていたそうです。その間連中は森の中に潜み、そこらじゅうに罠を仕掛けて殺し合いました。ですが連中の中に要領のいい奴がいたようで、そいつらは他の連中が殺し合っている間に財宝を洞窟から運び出して、船に積み込んだようなんです。
 島に残って殺し合いをしている連中が出し抜かれたことに気付いた時には、宝を積んだ船は島を離れていたそうです。しかしまあ間抜けな話ですが、全ての財宝を積み込んだ船は重過ぎて、海賊墓場に着く前に海の底へ沈んだようです。更に島に残された連中は、船がありませんから島から脱出もできません。ご存知の通り、いかだで出られるような海じゃありませんからね、この辺りは。結局最後には殺し合いを生き抜いた連中も、島で餓死したという話です」
 カーン船長は長々と続いた話に耳を傾けていたが、マーシャの声が途切れるとすぐに彼を振り返った。
「島が危ないってのはつまり」
 マーシャは答える。
「連中が争った時に仕掛けた罠が大量に残ってるってことでしょう」
「ひとつだけ残された宝箱は?どうしてそれだけ残されたんだ」
「たまたま一つだけ忘れていったか、置いていったか…そういうことってあるでしょう、落ちたオレンジを拾い集めるが、一つ分だけどうしても抱えきれないっていうようなことが」
「島に残った連中が餓死したってのは本当か?この島には食いもんが全くないってことか?」
「…木の実の類や魚は獲れそうですね。餓死ってのは大袈裟な表現で、実際には事故死か病死、自殺、あるいは老衰で死ぬまで島に残っていた者がいたかもしれませんね」
 カーン船長はしつこくも続ける。
「皆死んだんだろ?ならどうしてこの物語を、俺達は知ってるんだ?」
 明らかに面倒臭そうに、マーシャは唇を曲げた。
「…死ぬ前にこの島から生きて抜け出した男がいたのかもしれませんね。ま、この類の話には尾ヒレはヒレが付き物です。正直宝箱が一つだけ残っているのかどうかだって、全く不確かな話ですよ。軽く島を巡って、それらしいものがなければ適当に代用品を用意しましょう、部下の方が仰っていたようにね。貴方の船の船倉で、使えそうな箱を見掛けました」
 それを聞いて、マーシャに向けられている瞳に興味の色が浮かんだ。
「なんだあんた、ヴァイオラの部下じゃないのか」
 まるで嘲笑するかのように、マーシャは鼻息を吐いた。
「そうですね。しかし望んでそうあるわけじゃありません。むしろ私はこの決闘で、貴方に勝利してほしいと願っている。私にできることがあれば、協力は惜しみませんよ」
 どこか薄暗く微笑んだ航海士の顔を見て、カーン船長はふむ、と頷いた。
「あんたが俺の船に乗りたいってなら、そりゃいつでも歓迎するぞ。だが、俺はまず真っ向勝負をしたいんだ。宝箱が本当にあるかないか、まずは探してみてから考えようじゃないか」
 そう言うと船長は、彼に向けていた興味は失せたのか、大股でジャングルの先へと進んでいった。落ち葉のクッションだった地面は、いつの間にか徐々にぬかるみへと変わり始めている。
 眉を上げたマーシャは船長の後ろ姿を見送っていたが、ふと、自分の背後を歩いていた若い会計士を振り返った。
「…君も苦労するな」
 皮肉めいた口調でマーシャは言う。
「いえ、そうでもありませんよ」
 トロイは航海士を見ることもなく、ただ単調な声でそう言った。



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登場人物紹介

ヴァイオラ船長


入り江の街を根城にする、海賊船エンパイア号の女船長。

自由と海を愛し、無暗な略奪や不要な殺生を避ける変わった海賊。

カーン船長をさっさと倒し、入り江からラディーナ号を追い払わなければと考えている。

カーン船長


海賊船クイーンラディーナ号の船長。

侠気がないことはないが乱暴者で、頭の螺子が足りない(とナシームには思われている)。

ヴァイオラ船長に一目惚れし、彼女を手に入れるために決闘を申し込む。

マーシャ


元巨大商社の支社長で、現在はエンパイア号の航海士。

ビジネス上の敵だった公爵を暗殺し損ねて流刑になっていたところを、ヴァイオラ船長に救われた。

いつも悪だくみばかりしている。

ナシーム


ごく平凡な商人。

乗っていた商戦をカーン船長に襲撃されて以来、通訳として強制的に海賊船に乗船させられている。

本編の主人公。

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