第9話:決闘の申し入れ

文字数 2,772文字

 マーシャは二人の船長の顔が彼の方を向く前から、早々に喋り始めていた。
「船長、良い話じゃありませんか。乗らない手はありませんよ」
 かつて商社支社長として各地を巡航していた現航海士は、どうやら語学にも堪能らしい。彼は通訳を買って出ようとでもいうのか、ヴァイオラ船長の隣に立ち、二人の船長に向かって順に会釈した。
「彼は彼が負ければ貴方に投降し、彼の船を差し出すとまで言っています」
 ヴァイオラ船長は不審そうに言う。
「連中の船なんかいるか。私達は勝って、連中に出て行ってもらうだけだ」
「つまり、決闘の申し入れを受けるということでよろしいので?」
 勿体ぶって話す航海士を胡散臭そうに見つめながら、ヴァイオラ船長はふんと鼻息を吐いた。
「逃げる理由があるか?」
 それを受けて、航海士は彼が時々するように、営業用の微笑を浮かべて頷いた。続いて彼は、興味深そうに二人のやり取りを見つめているカーン船長に向き直った。彼が次に話した言葉は、カーン船長の言語である。
「ヴァイオラ船長は喜んで決闘の申し入れを受けるそうです」
 それを聞くや否や、カーン船長がガッツポーズと共に、よし!と叫んだ。
「それでこそ俺のヴァイオラだ!早速レースの開始だ。おい野郎共、一旦引くぞ!」
 ラディーナ女王号でも、船長命令は絶対らしい。カーン船長の号令が下るとすぐに、状況を理解している者もよく飲み込めていない者も、ばらばらと自分達の船へと戻り始めた。船員達の中には、あれが船長の女神かとヴァイオラ船長を眺めながら去って行く者が少なくない。
 今度はその男達の中から、会計士のトロイが歩み出てきた。
 彼はヴァイオラ船長とその航海士とにちらりと視線を遣りながらカーン船長に近付いた。彼は船長の側へ辿り着くなり、密談でもするかのように声を落として語り始めた。
「船長、ちょっと待って下さい。そんな重要な決断を簡単にしてしまっていいんですか?船長が負ければラディーナ号は全てあの女のものになってしまうんですよ。少なくとも俺はあの女の下では働きたくありません」
 トロイの口ぶりは静かだが強固である。しかしやはりと言うか何と言うか、カーン船長は何でもないかのように、会計士の肩を軽く叩いた。
「今日は今日、明日のことは誰ぞ知る。海賊の運命なんてのはそんなもんだ、そうだろう、トロイ?」
「そう言ってしまえばそれはそうかもしれません。でも俺は連中を信用できないんです。卑怯者に真剣勝負を挑むことほど無謀なこともないでしょう。例えばどうですか?彼らはこの近所に詳しい。懇意の商人か何かに頼んで偽の宝箱を用意してもらえば、わざわざ島の中まで入っていかなくても、浜で大砲を撃つだけで勝利が手に入るんです。嘘吐きがいないかどうかを監視する人間が必要です」
 それを聞いて、カーン船長はおおと声を上げつつ目を丸くした。
「なるほどそういうことか。トロイ、相変わらずお前は頭が回るな。しかし心配するな。ヴァイオラがそんなつまらん女なら、この俺が惚れてるはずがない」
 トロイが刹那の間に見せた微妙な表情は、突っ込みと舌打ちを堪えたことによるものかもしれないと、少なくとも彼らの頭上から観察しているナシームはそう思った。会計士は早口に続ける。
「船長の勘を疑うわけじゃありませんが、俺は安心できないんです。こうしたらどうですか。俺達はそれぞれの船から一人ずつ、証人を出すんです。証人はお互いの敵の中に入り、嘘やごまかしのないように敵の動きを見張ります。決闘が終われば、お互いの証人はそれぞれの船に帰ります」
 カーン船長はうんうんと頷きながら聞いていたが、何か面白そうだとでも思ったのか「そういうことなら、まあ、いいだろう」と返した。
 上司の諒解を得た会計士はカーン船長の気が変わる前に、今度はエンパイア号の航海士の方へ向き直った。
 トロイの視線を受けた通訳はというと、言わずもがなとでも言うように涼しげな顔で頷き、彼の船長に向かって説明を始めた。
「船長、彼らはこの決闘において、人質が必要だと言っています。担保と言ってもいいかな。この人質にはお互いが目標を達成するまでに不正が行われないことを監視させ、勝敗が決した後に我々は人質を元の船に戻します。どうですか、この件についても了解しますか」
 ヴァイオラ船長はしばしの間口を閉ざした。恐らく彼女が案じているのは、むしろ人質の身の安全についてだろう。
 それを見澄ました航海士は何気なく言った。
「…うちから出す人質でしたら、私を使えばよろしいでしょう。幸い私は彼らの言葉も解せます。後々のために、有利な情報が得られる可能性もあります」
 しかし船長からマーシャに返されたのは、疑問と呆れの混ざったような微妙な溜め息である。
「私はむしろお前を信用できないな。今度は連中の航海士になるつもりか?」
 するとマーシャはとんでもない、と苦笑いを見せた。
「私に何ができます?しかも私はまだここでは新入りです。貴女にとっては私を失うことは、痛くも痒くもないはずだ。適任でしょう?」
 航海士がそこまで言うと、ヴァイオラ船長はとうとう肩を竦めた。
「…好きにするといい」
 一方でカーン船長と会計士との間でも、同じ案件について議論がなされていた。
 先に提案したのはまたしてもトロイである。彼はヴァイオラ船長と通訳とが会話しているのを横目に見ながら、今度は明らかに密談と思われるボリュームで話し始めた。
「船長、俺が証人になります。俺が連中に同行して、彼らの航海が遅れるように船に細工をしてきますよ」
 それに対してカーン船長は、意外そうに眉を上げた。
「そんな必要はない。俺達は正々堂々と勝負しなきゃならない。これは俺が愛を得るための純粋な決闘だ、そうだろう?」
 ここでも会計士は突っ込みを堪えたに違いない、とナシームは断定する。トロイは続けた。
「しかし、最初から条件はあちらに有利です。ここは連中の地元なんですよ」
「そんなこと承知の上だ。トロイ、ゲームの勝率は低いほうが燃えるんだ。ルールを曲げたらゲームの意味がない。お前の気の利くところは俺は好きだが、今回は俺のルールでやる。証人には別の奴を使うさ」
 会計士は唇を噛んでうつむいた。その一方で、船長は首を曲げて天を仰ぎ、続いて叫んだ。
「ナシーム!ナシーム!下りてこい、お前の出番だぞナシーム!」
 見上げられたカーン船長の目と目が合ってしまったナシームは、見張り台の上でぎくりとして身をすくめた。どうやら気付かれていたようである。
 しかしこれ以上自分の名前を連呼されては叶わない。彼は下方から突き上げてくる衆目に耐えつつ、縄梯子を伝って甲板へと下りていった。




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登場人物紹介

ヴァイオラ船長


入り江の街を根城にする、海賊船エンパイア号の女船長。

自由と海を愛し、無暗な略奪や不要な殺生を避ける変わった海賊。

カーン船長をさっさと倒し、入り江からラディーナ号を追い払わなければと考えている。

カーン船長


海賊船クイーンラディーナ号の船長。

侠気がないことはないが乱暴者で、頭の螺子が足りない(とナシームには思われている)。

ヴァイオラ船長に一目惚れし、彼女を手に入れるために決闘を申し込む。

マーシャ


元巨大商社の支社長で、現在はエンパイア号の航海士。

ビジネス上の敵だった公爵を暗殺し損ねて流刑になっていたところを、ヴァイオラ船長に救われた。

いつも悪だくみばかりしている。

ナシーム


ごく平凡な商人。

乗っていた商戦をカーン船長に襲撃されて以来、通訳として強制的に海賊船に乗船させられている。

本編の主人公。

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