第11話:淑女達の海賊船

文字数 3,003文字

 エンパイア号は実に変わった海賊船だと、ナシームはその船に乗った瞬間からそう思った。
 まず船長が女性であることはもちろん、何と彼女の妹だという少女マリーと、航海士マーシャの娘であるアンネリーもまた、この船に乗っている。聞くところによると先日まで航海士も別の女性がしていたらしい。
 何よりナシームが驚いたのは、彼らが海の上で商船の類を見掛けても、積極的に襲おうとしないことである。ヴァイオラ船長はそういう船の目撃報告を受けても特に指示を出さない。海賊旗を目にした商船は勝手に逃げ去って行くので、こちらが追わない限り彼らは商船と接触することがないのである。
 疑問に思ったナシームが船員の一人に尋ねたところ、「闘っても骨のない相手とはやり合わない」のだそうである。そういう彼らは、他の海賊旗を目にすると勇んで挑みかかって行く。そういう場合彼らは敵方の海賊船を沈めると敵の乗組員をできる限り捕虜にし、有志の者は仲間に加え、そうでなければ適当に寄港した先でリリースする。そういう経営方針のせいで稼ぎが多いわけではなさそうだが、船に残っている乗組員は皆、船長との航海を楽しんでいるようだった。
 しかもヴァイオラ船長はナシームの身の上を知ると、彼に同情を寄せてくれた。
「紅海があんたの故郷か!そりゃ随分遠くまで連れて来られたもんだな。いいよ、私達が勝ったら、あんたをあの船長から自由にしてやるよ」
 カーン船長とナシームのやり取りを思い出して可笑しくなったらしく、ヴァイオラ船長は苦笑いしながらそう言った。







 エンパイア号はそのまままっすぐ宝島へ向かうことはせず、一度入り江へ戻って港街に停泊した。食糧や道具を万全に備え、ヴァイオラ船長の折れてしまった細剣を新たに新調するためである。
 入り江の桟橋のうちでも端のほうにひっそりと錨を下したエンパイア号は、既に海賊旗を下している。下船するヴァイオラ船長の横には航海士見習いだというアンネリーが従っていたが、船長は手持ち無沙汰にしているナシームにも声を掛けてくれた。
 彼らが船を降りるとすぐに、彼らのもとへ帳面を小脇に抱えた男が歩み寄ってきた。どうにも男の顔に見覚えがあると思ったら、男はラディーナ女王号がこの町に停泊した時も現れた、桟橋の管理人である。管理人はヴァイオラ船長の顔を見ると、彼女達に向かって朗らかに会釈してきた。
「これはミス・ヴァイオラ、今日も素晴らしい天気ですねえ。今回はしばらく滞在していかれるんですか?」
 ヴァイオラ船長のほうもにこやかに挨拶すると、小さく首を振った。
「今日は少し買い物するだけさ。ところでベニー、結婚記念日の贈り物はどうなった?」
 ベニーというらしい管理人は、歯を見せて苦笑した。
「ミス・アンネリーのお勧めに従って、あの帽子を買うことにしたんです。女房も気に入ってくれたみたいでね、いや、どうもありがとうございました」
 そうして話しながらも管理人が帳面に書き込んでいる名前を、ナシームは横目に見ていた。
『ヴァイオラ、エンパイア・カンパニー、私の友人』
――これは文字通りのアウトローだ――。ヴァイオラ船長は地元の権力者までをも牛耳っているらしいという噂を思い出しつつ、ナシームは管理人と二人の女性との世間話を眺めていた。
 管理人と別れて桟橋を離れると、彼らはまず鍛治屋を訪ねてヴァイオラ船長の新しい剣を買い、続いて昼食を取るために町の中心街へ向かった。ヴァイオラ船長は道すがら、街の美味い食堂などをナシームに紹介しながら歩いていたが、途中でアンネリーが口を挟んできた。
「ねえ船長、船長はずっと触れずにいますけど、宝島へ行くのに、航海士なしで行くんですか?」
 早足で歩きつつも、少女はきりりとヴァイオラ船長の顔を見上げた。アンネリーは続ける。
「宝島の宝箱がひとつだけ残ってる理由、船長も知ってますよね?島そのものが危ない場所ってのもあるけど、島にたどり着くのが厄介だからってのもあるんですよ。たった一個の宝箱のためにそんな労力割きたくないっていうくらいめんどくさい海流とか、海賊墓場も通んなきゃいけないですし」
 海賊墓場とは、その呼び名から察するに、航海困難なために船が多く沈む海域のことだろうとナシームは察した。ヴァイオラ船長は肩をすくめた。
「でもお前の父上は今お留守だ。アンネリーが助けてくれれば、何とかなるさ」
 アンネリーはますます目を吊り上げた。
「もーほんとあのおっさん使えない…じゃなくて、私じゃまだ全然役立たずなのもわかってるじゃないですか。絶対彼女に戻ってきてもらった方がいいですよ」
 いつの間にやら彼らは、目当てのレストランに辿り着いていたらしい。彼らは食堂の入口をくぐると、ウェイターに案内されて奥の席へ通された。ヴァイオラ船長は首を振る。
「彼女は休暇中だ。邪魔するわけにいかないだろう?大丈夫、何とかなるさ」
 四人用の円いテーブルを囲み、三人はそれぞれ椅子に座った。
 ウェイターが「いつもの通りでよろしいですか?」と尋ねるので、ヴァイオラ船長は頷き、アンネリーが早口に、「私プレートの量は半分でいいから。あと紅茶の前にラズベリージュースちょうだい」と付け加えた。ウェイターが頷くとすぐに、アンネリーはヴァイオラ船長に向き直った。
「もう、その頑固なとこが船長の魅力ですけど、今回はちょっと危ないですよー」
「アンネリーこそ彼女に会いたいだけじゃないのか?」
 唇を尖らせる航海士見習いに、和やかに笑う船長。ハイテンポの会話に自分が入り込む余地はないと判断したナシームは、のんびりと食堂の中の風景を見回した。
 そうそう大きくないレストランだが、店は掃除が行き届いており、店内には料理の香ばしい香りが漂っている。花籠のぶら下げられた入口に彼が目を向けた時、そこに長いブロンドをなびかせた美女が現れた。
 人目を引く彼女の美貌に、ナシームの視線も思わず惹き付けられた。しかし美女の顔には見覚えがある。彼の頭の中に、提督婦人という単語が浮かび上がった。もしや、彼女が――
 彼が息を呑んだのも束の間、美女は彼らのテーブルにつかつかと歩み寄ってくると、さりげない声で「合席よろしいかしら」と尋ねてきた。
 ヴァイオラ船長とアンネリーの顔が上がり、美女ライラの顔には悪戯っぽい微笑が広がった。
「私の話をしてたみたいね」
「ライラさん!」
 返事を待つまでもなく椅子に着いたライラに向かって、アンネリーが嬉しそうに声を発した。同時に船長は眉を寄せて頬杖をつく。
「…勝手なことをした奴がいるな。…まあ聞かなくてもわかってるが」
 ライラは笑う。
「マリーとアントーニオを責めないで。私は彼らが知らせてくれて感謝してるのよ。そろそろ暇してたところだったし、何より宝島に行くのに私を置いてくなんて裏切りだわ」
 会話の合間に料理の注文をし、ライラは更に言葉を続けた。
「で、こちらは新しいお仲間かしら?色々あったみたいね。私にも教えてちょうだい」
 船長が黙り込んだ代わりにアンネリーが嬉々として語り出したところを見ると、どうやら航海士の同行は確定したらしい。
 やがて運ばれてきた料理を味わいながら、ナシームは新たな仲間を紹介されることになっていた。



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ヴァイオラ船長


入り江の街を根城にする、海賊船エンパイア号の女船長。

自由と海を愛し、無暗な略奪や不要な殺生を避ける変わった海賊。

カーン船長をさっさと倒し、入り江からラディーナ号を追い払わなければと考えている。

カーン船長


海賊船クイーンラディーナ号の船長。

侠気がないことはないが乱暴者で、頭の螺子が足りない(とナシームには思われている)。

ヴァイオラ船長に一目惚れし、彼女を手に入れるために決闘を申し込む。

マーシャ


元巨大商社の支社長で、現在はエンパイア号の航海士。

ビジネス上の敵だった公爵を暗殺し損ねて流刑になっていたところを、ヴァイオラ船長に救われた。

いつも悪だくみばかりしている。

ナシーム


ごく平凡な商人。

乗っていた商戦をカーン船長に襲撃されて以来、通訳として強制的に海賊船に乗船させられている。

本編の主人公。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み