第4話 母のコロッケ

エピソード文字数 5,564文字

 田舎の両親に泣きつくのは簡単だ。実家から一時間ほど離れた少し大きな町に、兄は一人暮らしをしている。役場で働いている兄は、一人の生活が快適なのか、一時間という近さにいながら、なかなか実家に顔を見せに現れないらしい。かと言って、しつこく帰って来いと言ったところで、そこはそれ男だからか、うんうん。と言う返事だけ。
 兄貴がそんなんだからか、遠く東京に出てきてしまった娘に両親、主に母がやたらと干渉して来る。わざわざ飛行機に乗ってやってこないにしろ、スマホにはしょっちゅう連絡が入ってきていた。
 最近は、母もスマホを手に入れたから、よくわからないメッセージや写真が送られてきて、いちいち返すのが面倒に思うときがあるほどだ。度々電話が鳴るよりはマシだけれど。
 そういえば昨日も頭痛にやられて布団の中へ潜り込んでいた夕方に、メッセージが届いていた気がする。
 ベッドの傍らに置かれたバッグを拾い上げてスマホを取り出せば、メッセージのアイコンに⑤という数字が貼りついていた。
 開けてみれば全部が母からで、ハロー。と何故か陽気な挨拶から始まり。その日一日の、私にとっては“ドウデモイイ”出来事を誤字脱字目一杯に報告していて、解読するのに疲れ途中で諦めた。
 最終的にはコロッケの画像が貼られていて、美味しくできたんだろうな。とそれだけは理解できた。
「コロッケかぁ」
 声に出して呟くと、サクッと揚げたてでジャガイモが大きいままゴロゴロと入っている母のコロッケの味を思い出し、口の中に唾液を呼んだ。けど、そのすぐ後に貴哉の言った言葉が頭をもたげて息をつく。
「田舎から出てきたやつはすぐ帰る」
 考えてみたら、実家が目と鼻の先にある貴哉だって、何かあればすぐに帰って甘えているだろうに。私の田舎が遠いというだけで、甘えでいえば貴哉の方がずっと甘いのに。
 捻くれた思考でそう思ってはみても、悔しさに絶対帰省するもんかと意地になる。
 仕事を辞めたことを、母にも父にも、当然兄にもまだ話していない。
 なんていうか。体調が悪いのもあって、言いそびれていた。
 頭痛がひどい時に電話口で小言を言われたら、余計に酷くなりそうな気がするからだ。
 辞めてから二週間。働いていた頃に比べれば、体調も随分と楽になっている。薬を飲む回数が減っているのだから、これは確かだ。
 それにしても、辞めたなんて言ったら叱られるだろうか? 今すぐにでも帰ってきなさいと言われるだろうか?
 母は早口で言いそうな気はするけど、父の態度はどうだろう。怒るのか、悲しむのか、それとも何も言わないのか。
 父に手を上げられた記憶はないが、そういえば中学の時に一度だけ叱られたことがあった。反抗期だったというのもあるけれど、連絡もなしに友達と九時頃まで遊んでいた時だ。
 田舎の夜九時といえば、商店の明かりもすっかり消えて町は真っ暗だ。同時に、都会みたいにカラオケやゲームセンターのような遊べる施設がないから、行くところといえば海か川か山か公園しかない。
 その夜は、自販機で買った缶ジュースを片手に、近所の公園で友達と二人、いつまでもおしゃべりをしていただけだった。
 他愛のない話に笑みを作りながらも、頭の中では常に父や母の顔が過っていて、友達と大きな口を開けて笑っているその裏側では、不安や心配をかけているだろうことがずっとつきまとっていた。
 そのおしゃべりにも飽きて、缶ジュースも飲み干し、仕方ないというように私たちは家路を辿った。
 静かな夜にそっと玄関のドアを開けた時、父は三和土に仁王立ちしていた。
 驚きに息を飲んだ私を見て、父は大きく息を吐き出し、「連絡くらいしなさい」と静かに叱っただけだった。
 その静かな言葉の中には、怒りも見えたし悲しみも感じられ、友達とのおしゃべりを楽しんできたはずの私の目からは涙が零れ落ちた。父のたった一言の中に詰まっているものを感じとったからだ。
 もしもあの日、父に手を上げられ、雷の如く怒鳴られていたら、私は又同じことを繰り返しただろう。寡黙な父がどれほど心配していたのか、その静かな言葉と深くついた息で充分に理解できたから、私はそれ以来、心配させるような行動をしなくなった。
 あの日の父を想像すれば悲しい瞳を思い出してしまい、益々言い出しにくくなって、手に握ったままだったスマホを枕の脇に置いた。
 置かれた画面にあるメッセージのアイコンを見て、母の送ってきた画像に気持ちを切り替える。
 よしっ! と久しぶりにやる気が湧き出る。
 使えそうなものなど入っていないことは承知だけれど、冷蔵庫のドアを開けてみた。
 うん。やっぱり何もない。マヨネーズやソース、ケチャップなんかの調味料以外、本当に何もなくて笑えてくるくらいだ。
 食材らしい食材は、冷凍庫に貴哉が置いていった高級な豚肉だけだ。
「油あったかな」
 誰にともなくこぼして、シンクの下の戸棚を覗く。ボトルに半分ほど残っているのを確認して、もう一度よしっ。と気持ちを上げた。
 バッグを手に玄関を出ると夏の日差しが高熱ビームみたいで、今更ながら都会の夏は暑いな。なんてハンカチを取り出した。
 日焼け止を塗ってくるのを忘れたことに気がついたのは、近所のスーパーに着いてからだった。けれど、病弱な自身の青白い腕を見て、まーいいかと思う。少しくらい焼けた方が、見た目だけでも健康的に見える。
 チャコールグレーの買い物かごを手に、真っ直ぐ野菜売り場を目指しジャガイモを手にした。お肉の売り場へ向かう途中にあった卵の棚から、四個入りパックを手にする。
 お肉売り場で合挽き肉を手にしてから、あとはなんだっけ? と首を捻る。
 えーっと。……パン粉。そうだ、パン粉だ。あとは小麦粉。
 これで完璧。
 食材をカゴに入れただけで、既に出来上がったイメージが浮かび、貴哉並みに得意げな表情になる。袋の中におさまる小麦粉とジャガイモの重さのせいか、帰りは行きよりも汗が滲んだ。
 家に戻ると、消し忘れていたエアコンのおかげで涼しさに表情が和らぐ。
 手を洗ってキッチンへ立ち、早速準備だ。
 ジャガイモの皮を剥いて茹でたあと、散々嫌な思いをさせた会社の同期と先輩の顔を思い浮かべて、敵意むき出しでガンガン潰しているところへインターホンが鳴った。
 凶器にしていたマッシャーを置いて、ドアスコープを覗いたら貴哉だった。
 今日は平日だ。ニートな私と違って、仕事中であるはずの貴哉を招き入れると、暑さに顔を火照らせている。
 黒の革靴が余計に暑いんだ、というように乱雑に脱ぎ散らかすと、倒れこむようにテーブルの前に座り込んだ。うちの冷蔵庫に何もない事を承知だからか、多分マンションの下にある自販機で買ってきただろうスポーツ飲料を一気飲みしている。
 水分補給して落ち着いた貴哉の表情は、火照りが治まり始めていた。
「貴哉も会社辞めたの?」
「そうそう。上司がちょーやな奴でって、んなわけあるかいっ!」
 江戸っ子貴哉の盛大な突っ込みは、何故か似非関西弁だ。くだらないやり取りが楽しい。
 クスクス笑いながら料理の続きに取り掛かる私の背中に、料理出来たっけ? なんて失礼な事を言うから、眉間にしわを寄せて振り返ると、ニコニコと笑っているから怒る気にもならない。
「仕事が早く終わって。今日は、直帰なんだ」
 細かい説明など求めたつもりはなかったのだけれど、平日の昼間にここへ来た理由をそう説明するとエアコンの温度を下げる。
 ピッピッと鳴るリモコンの音を背後に聞きながら、食べる? と訊ねると、出来上がってから考えると笑っている。
 ホント、失礼だ。
 さっきはジャガイモ潰しに怨念をこめてしまったけれど、貴哉に意地でも食べると言わせたいから、代わりに愛情を入れることにした。
 美味しくなーれ。美味しくなーれ。
「なんか言った?」
「サボリ魔、サボリ魔」
 聞こえるようにはっきり言うと、千夏が言うかよとゲラゲラ笑っている。
 貴哉の楽しそうな笑い声を聞きながら、自分の手を揚げるのか? というくらい手先に卵と小麦粉とパン粉をふんだんに付けて、それなりに苦戦したコロッケができあがった。
「食べるよね?」
 ほぼ強制的な言葉を添えて揚げたてのコロッケが乗ったお皿をテーブルに置くと、わざとらしく、「お、おぅ……」と箸を手にした。
「そういうの、いらないから」
 貴哉のわざとらしさに笑うと、「まー見た目はコロッケだな」なんてなんだか偉そうだ。
 基本的に、貴哉はいつだって偉そうだ。だけど、貴哉の言葉を聞いて怒りに支配されないのは、言っている時の表情がいつも笑顔だからかもしれない。
 なかなかズルい笑顔だと思う。
 時々、この顔に騙されているんじゃないかって真剣に思うときがあるけれど、結局また笑顔を向けられると一緒になって笑ってしまって、そんな考えはどうでもよくなるんだ。
 ほんと、ズルい笑顔だ。
 揚げたてのコロッケは、熱々でサクサクでそれなりに美味しい。
「コロッケだな」
 既に一つ目をペロリと完食して、二つ目を取り皿においてから偉そうに笑う。美味しいと言わないのが悔しいけれど、自分で食べながらも母のコロッケとは何かが違うと感じる味に首をひねる。
「なーんか違うんだよね」
 首をかしげて言ってから、パクリと一口かぶりつく。
 確かに揚げたてだからサクサクだし、ジャガイモも潰しすぎないようにしたからゴロゴロしている。
 けど、何かが違う。
 解らないその何かは、どう考えてもたどり着けない迷路にでも入ったみたいで、このまま出られないかもというように段々と気持ちを落ち込ませ深い溜息となってこぼれ出た。
 二つ目も完食した貴哉は、何が? て顔をしている。
「私が思ってたコロッケになってない」
 貴哉に訴えてみてもどうなるものでもないのに、子供みたいに拗ねてしまう。私の態度に、貴哉が少し考えてから口を開いた。
「形じゃね?」
 少し歪なコロッケの形を指してケラケラ笑っている。
 やっぱり失礼だ。
 貴哉の言動に頬を膨らませていると、三つ目を取り皿に置いた。
 なんだかんだ言いながら食べるんだ。
 歪だの、コロッケには見える。なんて偉そうな態度をとっておきながら、しっかり食べている貴哉に小さな不満が顔を出す。
「俺は、千夏のコロッケ。結構美味いと思うけど」
 貴哉は、サクッと音を立ててコロッケを頬張った。顔を出したはずの不満が、たったそれだけのことで一気に奥底へと引っ込み、嬉しさについ笑顔になってしまう。
 ヤラレタ。
 悔しくなるのに、貴哉のたった一言に喜ぶ私は可愛いと思う。
 揚げたコロッケは、私が一つ食べただけで、あとは貴哉が全部平らげた。
「腹一杯」
 天井に向かってこぼすと、ビール飲みたいななんて呟いている。
「買いに行く?」
 体調が悪くなってからというもの、お酒の類を買うことがなくなっていたから、冷蔵庫に入っている飲み物といえば水とお茶しかない。
 天井を仰いだままの貴哉の喉仏に向かって訊ねると、ゴクリと喉を鳴らしてから私に顔を向けてニマッと笑った。あんまり嬉しそうな顔をするから、素直すぎて笑えてくる。
 財布を手にしようと立ち上がると同時に、インターホンが鳴った。誰かと思えば、宅急便だ。
 受け取りのサインをして、小さ目の小包を受け取った。荷物は、クール便だった。
 何が届いたんだ? そういうように、貴哉が興味津々の顔を向けてきた。
 貴哉には田舎がないから、ここへ届く実家からの荷物にいつも興味を抱き、あわよくばお裾分けというように名産品などを持ち帰ることがある。今回もクール便ということに余計にアンテナを張っている。魚介類でも期待しているのかもしれない。
 鮭の切り身やいくらの瓶詰め。ほっけなんかが入っていれば、顔に欲しいとはっきり書いてねだるだろう。
 興味津々のまなざしを向け続ける貴哉のそばで箱を開けてみると、中には新聞に包まれた冷たい塊が入っていた。いよいよ魚介類の確率が高くなった、と貴哉の顔はさっきのビールよりもさらにニンマリとして、ワクワク感も半端ない。
 包みに使われている北海道新聞を解くと、ビニールに包まれたものが顔を出した。
「あ……」
 見覚えのあるものに自然と頬が緩む。
 解読できなかった母からのメッセージと、添付されていた写真の意味を今知った。
 送られてきたのは、揚げるだけにして凍らせてある、母の手作りコロッケだった。あれは自慢じゃなくて、コロッケを送ると言いたかったらしい。
「もう、わかんないから」
 不満をこぼす声は、嬉しさに明るく漏れる。
 隣で包みを覗き込んでいた貴哉が私の頭に大きな掌を乗せて、良かったなって笑う。
 頷きながら目尻には雫が溜まっていった。
 迷い込んだはずの迷路は幻だったと、落ち込んだのが嘘みたいに、心が温かさに包まれた。
 翌日。自然解凍したコロッケを揚げて貴哉と食べた。形も大きさも、食べた時に丁度いい。二人でむしゃむしゃと頬張りながら、私のコロッケと何が違うのか。考え行きついた答えは、マヨネーズだった。
「隠し味にマヨネーズだろっ」
 確信を得たように、それでいて得意気に顎を突き出しながら私の顔に向かって貴哉が言った。
 その後、母にLINEで訊ねると大正解だった。マヨネーズを入れると、柔らかくふんわりと仕上がると言っていた。
 自分の味覚に間違いがなかったことに、貴哉はこれでもかっていうくらい得意気だったのは言うまでもない。
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