第10話 フランク

文字数 2,931文字

 ファミレスでバイトを始めた頃よりも心と体が楽になった頃、貴哉の日常は仕事に忙殺されていた。
 バイトを始める前は、営業の合間にちょくちょく家に上がりこんでいたし、涼みにやってくることもしばしばだった。けれど、お盆を前にした最近は、バイト先にくることはないし、家にも来なくなってしまった。
 少し前に聞いた話では、取引先も自分の会社も長期の休みに入るから、それまでに発注やらなんやら片付けなくちゃいけない事だらけで、残業が終わって帰るとベッドに倒れ込む毎日らしい。
 実家暮らしの貴哉だから、家族が食事や洗濯などもしてくれるだろうし、その辺の心配はしなくてもいいだろう。ただ、バイトに慣れてきた私にしてみれば、ここのところ放置されているようで、なんとも寂しいのだ。
 バイト終わりに家に戻り、ファミレスから割引で買ったハンバーグセット(持ち込んだタッパーに詰めてもらった)を皿に移してレンチンしながらつい溜息が出る。
 帰り際にスマホをチェックし、家に着いてからもチェックしたけれど、貴哉からのメッセージはなし。バラエティ番組にケラケラ笑いながら、ハンバーグセットを食べた後にもチェック。食事を済ませてお風呂に入って上がってからもチェック。しかし、メッセージが届く事は一向にない。
 待っていても届かないなら自分からと思って、今日も一日お疲れ様、と打ってから。慌てて送信を止めた。
 今日も一日なんて、私はお仕事終了だけれど、貴哉はまだ残業に追われている真っ最中かもしれないからだ。かと言って、これといった労いの言葉も浮かばないものだから、結局何も送らずにスマホをベッドへ向かって軽く放った。
 スマホは、何度か軽くはねた後裏返しの状態で静止した。人で言えば、うつ伏せか。
「寂しいじゃないかよっ」
 スマホに向かって小さく吐く暴言は、うつ伏せのやつには届きもしない。
「あーあ。つまんない」
 明日は、ハローワークへ行く予定だし、もう寝ちゃおう。起きているから余計な事を考えちゃうんだ。
 部屋の電気を消して、ゆるくかかるエアコンの音を聞きながら、結局眠れなくてゴロゴロと何度も寝返りを打っていた。その度にメッセージが届いていないかを確認していたら、いつの間にか寝てしまっていた。
 翌朝、短い睡眠時間のせいで、頭はスッキリとしない。高めに設定していた付けっ放しのエアコンは、目がさめると同時に設定温度を下げなくちゃいけないくらい外は猛暑のようだ。
 うっすらかいた寝汗が気持ち悪くて、シャワーを浴びた。スマホには、やっぱり何のメッセージも届いていなかった。

 ハローワークは、相変わらずの混みようだ。番号札を取って、待ち人数を見ただけでゲンナリする。自ら調べるタイプのパソコンも埋まっていて、ただ待っているだけの時間が本当に無駄に感じられてやる気があっても削がれていく。こうやって人は、ダメになっていくんじゃないだろうか。
 ダラリと長椅子に深く座り、ここに居る人たちに視線を向けた。人間観察なんて、この場所では憚られる雰囲気だけれど、暇だからつい見回してしまった。
 若者の数はさほど多くなくて、ほとんどがおじさんばかりだ。リストラかな……。
 そう考えると、あの憂鬱で辛かった毎日が蘇ってきて、胃の辺りが落ち着かない。一度大きく深呼吸をして息を吐き出した後、バッグを手に長椅子から立ち上がる。
 ここに居ると、何だか良くない空気に巻き込まれてでもいく気がしてならない。又病気を再発してしまいそうな気持になっていく。仕事を探したいのは山々だけれど、違う方法を選択しよう。
 結局、取った番号札をゴミ箱へ捨てて、ハローワークを出た。
 外へ出た瞬間、照りつける太陽の眩しさと暑さにやられそうになる。
 さてと、まずはこの太陽から逃れるか。
 サクサクと歩いて、近くにある少し大きめの書店へ入ると、冷房のいい効き具合に居座り続けたくなったけれど椅子がないので断念。求人情報誌を買っている間に貴哉からメッセージが届いたから、ハローワークの雰囲気に挫折した。と冗談交じりのメッセージを返したけれど、その後の返信はなくて。昨日のことを思えば、きっと忙しさにそれどころじゃないのだろうと、スマホをバッグへしまった。
 駅へ向かう道すがら、目に付いたカフェの前で立ち止まる。水分補給、水分補給。Wi-Fiがあるか、充電ができるかを確認してから席を確保して、アイスコーヒーを頼んで座った。
 平日の午前中のせいか、席は割と選べる状態だったから、奥にあるなるべく端の孤独感満載な席を選んだ。集中したい時には、こういう席がうってつけだ。
 近くにペチャクチャとおしゃべり好きなマダムたちに座られることもないし。席をたくさんくっつけて、カフェ会議なんてものを始める会社も、ここなら遠ざけられる。
 端で奥の席を陣取り、とりあえず体内の熱を下げるためにアイスコーヒーをチューッと一気に飲む。カラカラと氷の涼しい音にフゥッと息を吐き出し、さっき書店で買った求人情報誌とスマホを取り出した。ネットで求人情報を検索しながら雑誌もチェック。良さげな会社にどんどん印をつけてネットでその会社を調べると、求人を出しているところはなんだかどこも口コミがブラックで苦笑いが浮かんだ。
 どうして人が辞めていくのかなんて、会社的には大した問題ではないのかな。ブラックでも入社したいという人がいるから、改善なんてしようとも思わないのだろうか。繰り返し人が出たり入ったりして求人をかけてばかりいたら、広告費がかさむと思うのだけれど。改善なんて面倒なことを考えるくらいなら、広告費なんて安いものなのだろうか。
 大きなお世話で色々考えつつ求人チェックをして、何社かに一応の目星をつけた。
 メールでの応募が多く、早速スマホから申し込みをした。
 帰ったら履歴書を書かなくちゃなぁ。あ、写真。駅に簡易の証明写真ボックスがあったよね。帰りに撮ろう。あ、でもこの服装はダメか。ちゃんとスーツを着た姿で撮らないといけないよね。面倒い。
 あれこれ面倒に思いながら、チューッとまたコーヒーを飲んでいたらスマホが震えた。
「ん? 知らない番号」
 少し出るのを躊躇ったけれど、もしかしてたった今送った求人会社からかもしれないと、スマホ片手に席を立つ。案の定、相手はさっきメールを送った会社のうちの一社だった。
 反応早っ。
 電話の内容は、こちらの都合で申し訳ないが、面接担当が出張に出てしまうので、その前に会いたいから今から来られるかというものだった。
「履歴書の用意ができていないのですが」
「あー、大丈夫です。口頭で細かく聞きますから」
 そ、そうなんだ。
「あと、今外にいまして、私服なのですが」
「あー、それも大丈夫。気にしないので」
 そ、そうなんだ。なんだか、とてもフランク。応募先、誤ったかもしれない。
 一抹の不安を覚えるも、迷っている隙も与えずに、どのくらいで来られるか訊ねられて勢いで応えてしまった。
「では、後ほど」
 通話が終わってしまった。
 返事はしたものの、大丈夫だろうか……。
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