第16話 新鮮

エピソード文字数 3,677文字

 新しい仕事を二日こなして週末になった。今度はファミレスだ。もともと仕事が見つかるまでという約束でアルバイト契約をしたけれど、こんなに早く見つかるとは思っていなかったので店長に話しづらい。
「おはようございます」
 スタッフルームに入り声をかけると、店長が丁度シフトに頭を悩ませているところで、パソコン画面と睨み合っていた。辞めたいと言いたいけれど、とてもタイミングが悪い。けれど、先延ばしにすれば余計に迷惑になる。早々に穴埋めを探すのも大変だろうし。
「あの、店長」
「おはよう、水野さん」
「おはようございます。あの、実は、この土日で仕事を辞めたいのですが」
「えっ!」
 シフト表管理のパソコン画面から、店長が目を大きくして振り返る。
「仕事、見つかっちゃったの?」
「はい、見つかっちゃいました。すみません」
「あ、いや。こっちこそ。見つかっちゃったなんて言い方、悪かったね。おめでとう。そうかぁ、そうだよなぁ。水野さんは、仕事を覚えるの早いし、明るいし。すぐ見つかるんじゃないかとは思ってたんだけど。そうかぁ」
 店長は嬉しいけれど残念だというのがよく判る表情で、何度も、そうかぁ、を繰り返している。
 本当に申し訳ない。
「あの、私も急だったので、来週の土日までは、シフトに入りましょうか?」
 店長の頭をかかえる姿に、後先も考えずにそう提案してしまった。
「本当に? いやー、助かるよ。それまでには、なんとかシフトを埋められるようにするから。ほんと、ありがとね、水野さん」
 にこやかな店長に頭を下げてロッカールームへ移動し、制服に着替えて仕事に入る。
 始めたばかりの再就職先の仕事に、土日にはファミレスのバイトとフルに働くなんて体力が持つかなぁ。体だけは、壊さないようにしないと。
 気合だけは充分で、今週末もファミレスの仕事に勤しんだ。慣れてきたとはいえ、立ち仕事で体を使うファミレスは、やっぱり体力的にきつい。家に戻れば、ドサリとベッドへ倒れこんで、しばらく動けずにいた。
 月曜には、また会社だ。専務は、どこぞの海外から戻って来るのだろうか。私を見て、まだいたのか、なんて顔をしないだろうか。
 どうにも面接した時の印象が怖すぎて、恐怖を拭いきれない。
 吉川さんは悪い人じゃないって言っていたから、話していくうちに印象も変わるのだろうか。
 歓迎会をしてもらえるのはありがたいし嬉しいけれど、専務も来るだろうことを思えば憂鬱でもあった。
 疲れて重い身体を無理やり起こし、シャワーを浴びた。好子さんからもらった煮物を温め、お稲荷さんを食べれば、疲れと満腹感で睡魔に襲われ早々に眠りについた。
 貴哉からの連絡は、今日もなかった。

「おはようございます」
 今日も浅野さんは、ビルの前を掃除している。
「おはようございます、水野さん。今日も暑いですね」
 暑いと言いながらも、朝の日差しに眩しそうに目を細めている浅野さんの表情は、晴れやかな笑顔だ。自動ドアをくぐれば、佐藤さんがディスプレイされている棚の掃除をしていた。よくみて見ると、チューリップグラスやオープナーも飾られていた。
「おはようございます」
「おはよう」
「私もお掃除します。荷物、置いてきます」
 頭を下げ急いでバッグを置きに事務所へ踏み込むと、吉川さんも少し前に来たところなのか、パソコンの画面を立ち上げようとしていた。
「おはようございます」
「おはよう。週末、ちゃんと休めた?」
 吉川さんの気遣いに、一瞬言葉に詰まる。ファミレスのバイトをしていましたとは、言いにくい。
「ええ、まあ」
 極力笑みを浮かべようとしたけれど、バレバレだった。
「健康管理は、大事よ」
 いたずらに笑う吉川さんが何を思って笑ったのかはわからないけれど、そうですよね。なんて、苦笑いで返事をしてから佐藤さんのところへ戻った。
 ショールームでは、佐藤さんがグラスを磨いていた。
「水野さん、この箱に入ってるワインと、この棚のワインを入れ替えてくれる。埃と割らないようにと、気を付けながらね」
 入り口付近に置かれた木箱は、空輸で届いたようだ。
「新しいワインですか?」
「そうね。新しいっていうのは、ワインには適切じゃないけど。専務が仕入れたものが届いたのよ」
 中のワインを一本取り出すと、ラベルの年代は五年前のものだった。それを見て、新しいが適切ではないという意味がわかった。
 ワインは、寝かせるといいって言うもんね。
「出来立てがおいしいものも、あるんだけどねー」
 浅い知識で理解したつもりでいると、心を読んだみたいに佐藤さんが付け足した。
「白なんかは、あまり寝かせないものが多いし。ボジョレー・ヌーボは、日本で好まれているよね。あ、ヌーボっていうのは、新酒ってことね。ボジョレーは、作り方が一般のワインと少し違うから、フルーティーでしょ。だから、少し冷やして飲むほうが美味しいのよ」
「へぇ、なるほど」
 少し違うから、と言われても、どう違うかわからないままに頷いてしまった。
 それにしても、勉強になるなぁ。
 言われた棚から、並んでいたワインを下ろして棚の埃を払う。と言っても佐藤さんが毎日掃除しているみたいで、埃なんてほとんど見当たらないのだけれど。
「こんな感じでいいですか」
 届いたボトルを並べると、置き方やスペースの開け方、置く本数を少し直されてオーケーが出た。
「案外と直ぐに届くものなんですね」
「え? あ、ああ。違うよ。これは、前回イタリアへ行った時のものが届いたの。専務が今行っているのはフランスで、届くのはもっと先かな」
「そうなんですね」
 そうか、今専務はフランスへ行っているのか。
「ここでも、たまに販売するって聞いたんですけど」
 昨日、チラリとそんなことを吉川さんが言っていた。
「そうね~。ここはあくまで取り扱い商品のショールームだから、ディスプレイしている場所だけれど、常連の方は買っていかれたりもするよ。二階に小さいけど貯蔵庫があって、取り置きしているのがあるの」
 そうか、二階もあるんだ。
「温度管理は、大事だからね。さて、事務仕事に戻ろっか」
 デスクに戻ると、吉川さんは既にバリバリと仕事に専念していた。私は、置かれていた書類を指示書通りに片付けていく。
 専務の机は週が明けた今日も無人で、今もフランスなのだろうと少しほっとした。このままずっと顔を合わせないでいられたらいいけれど、そういうわけにはいかないよね。
 書類に目を落としていると、奥に座っていた男性社員さんが声をかけてきた。
「水野さん。ちょっといいかな。このワイン、二階から降ろしておいてもらえるかな。えーっと、十分。十五分かな。そのくらいしたら出かけるから、それまでに宜しく」
 手書きのメモを渡されて見てみると、品名がいくつか書かれていた。
「営業よ。実際にワインを持参して試飲してもらうの」
 吉川さんが教えてくれる。
 なるほど。
 メモと一緒に置いて行ったクーラーボックスを肩から下げて、佐藤さんに貯蔵庫の場所を訊くと鍵を手に一緒に来てくれた。
「佐藤さんもお仕事があるのに、すみません」
「大丈夫よ。水野さんにもこういうの、憶えてもらうには丁度いいし。次からは一人でやってもらうからね」
 次には一人ということに緊張と責任を感じ、二階へと向かう。
 佐藤さんが鍵を開けてくれた貯蔵庫は、暗くて空気がしっとりしていて、それでいてひんやりとしていた。暗さに目が慣れると、たくさんのワインが目に飛び込んでくる。
「うわー」
 素直に感嘆の声を漏らすと、佐藤さんがクスッと笑った。
「反応が新鮮でいいね」
 学生じみた反応をし過ぎてしまっただろうか。苦笑いを浮かべていたら、メモを見せてと佐藤さんが手を出した。
 手渡したメモに視線をやると、迷うことなく次々にワインを手にしてクーラーボックスへと収めていった。
「社員を採用するのは、久しぶりなのよ。ずっと固定でやって来てたからね。みんなこの仕事が好きだし、社長や専務も良くしてくれるから、辞める人も居なくて。だから、とっても新鮮。ああ、私もこうだったなぁって、懐かしくなっちゃった」
 似たラベルがあることや、年代の違いなどに気をつけるという点を教わりながら、ワインの収まるクーラーボックスを持ち上げると、重さに歯をグッと食いしばる。
「大丈夫? 何気に力仕事もあるのよ」
 頑張って、とニコニコしながら、佐藤さんは私の後について貯蔵庫を出た。
「鍵は私が管理してるから、必要な時は声をかけてね。あと、私が留守の時は、仕入れ担当の部署に声をかけるか、あとは専務か社長ね」
 最後の二人には声をかけ難いな。そもそも、社長には未だお逢いさえしていない。
 用意したワインの納まるクーラーボックスを、さっきメモを渡してきた営業さんへと手渡すと、早速外回りへと出かけて行った。
 暑い中大変だなぁ。
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