第2話  生きてく

エピソード文字数 3,462文字

 都会生まれの都会育ち。田舎がない貴哉《たかや》は、夏休みも冬休みも帰省なんていう言葉とは無縁の生活を送っていた。両親共に都会生まれだから、どちらの祖父母も直ぐに会いに行ける距離に家があった。なんなら、父親の実家など目と鼻の先だ。
 幼い頃から、欲しい物があって両親にねだってもどうにもならない時は、すぐ近所に住む祖父母の元へ駆け込んでいたらしい。そうすれば大概の物は手に入れられたと、自慢げに話していたことがある。
「甘やかされてたんだね」
 あきれを含んだ笑いを零したのだけれど、貴哉にその思いは通じず、まーねぇ。なんて得意げな返答に、それ以上何も言う気は起きなかった。
 就職活動の時期に、何社からお祈りメールを貰ったかなんて今も口にするのは苦々しいけれど、やっとの思いで入った会社は人間関係とサービス残業が辛すぎて半年と持たなかった。
 ブラック企業のことは、大学の時から気を付けるべきだと思っていた。そんな会社に就職してしまったら、自分の人生はダメになると誰もが思っていた。けれど、何社受けてもお祈りされてばかりいると、そう思っていた信念のようなものは簡単に揺らぎ、少しくらい怪しいなと感じてはいても“合格”という文字の書かれた手紙に心が踊ってしまった。
 けれど、案の定。毎日頑張ってはみたのだけれど、頭痛と吐き気のオンパレード。睡眠時間など殆んどなく、休憩時間でさえ削られていたのだから、体調に異変をきたしても少しもおかしくはない。
 就職する前は、あんなに痩せたくてあれこれとダイエットに手を出し苦戦していたのが嘘みたいに、今では持っている服がどれも借り物みたいになっていた。
「甘いな」
 そう言って笑ったのは、“甘やかされてたんだね”と言った仕返しだったのかもしれない。けど、本当に心も身体もギリギリだった。
「田舎者は、挫折するとすぐ帰る。逃げ帰る場所があっていいよな」
 体調が回復しきらずに家で暇を持て余していたところへ、貴哉はお見舞いと称した嫌味をわざわざ言いに来たようだ。
 就職活動がどんなに辛くても、音を上げて田舎の母や父に泣きついたりしてはいない。向こうからかかってくる電話に出ても、泣き言だけは言うまいと決めていた。遠く離れているからこそ、心配をかけたくなかった。
「帰ってないけど」
 カチンときていることを抑え込んで言い返したら低くくぐもった声音になって、結局怒ったみたいな口調になった。悔しくて、貴哉の目を見返せない。
 目を逸らしていたら、おかしそうにクツクツ笑っているのが聞こえてきて、更に悔しさが募る。
 入りたい会社に一発入社した貴哉からのひとことだからこそ、嫌味に感じてしまう。ただの嫉妬に過ぎないとわかっていても、心は簡単に許容などできない。それとも、私がひねくれているのだろうか。
 貴哉とは、同じ大学で知り合った。学部も違うし、受けていた講義も違う。接点など何もなかったけれど、私たちはこうして今一緒にいる。それは、兄のおかげだろう。
 サークルに入ると人間関係も広がるんじゃないかと話す兄に従い、勇気を振り絞って入部したのは天体観測部だった。けれどそれは名ばかりで、やっていることと言えばみんなで集まって飲みに行くか、何か楽しい行事を考えては集まって騒ぐだけの部だった。元々はちゃんと星の観測もしていたらしいのだけれど、代が変わる毎に星からはどんどん遠ざかっていったらしい。それこそ、降るような星の下にいた私にしてみれば、今更星などどうでもよかったし。なんなら、みんなで集まって、耳にも目にも新しい情報を貰う方が、ずっとずっと楽しくいられた。
「どうしてこのサークルに入ったんだ?」
 初めてサークルの集まりで貴哉に会った時、確かそんな風に訊ねられた。その時になって、どうしてだろうと考えた。結局、一番馴染みの深いもののそばにいたかったんじゃないだろうかと、今では思う。
「降るような星空以外の星が、見たかった」
 都会の人にしてみれば嫌味に聞こえるかもしれないそんな一言に、その時の貴哉はただ真っすぐ私のことを見つめたあと、ほんの一つだけビルの狭間に見えた星を仰いだ。

 折角貴哉が来てくれたけれど、体調も悪いままだし、そもそも喧嘩をしたいわけじゃない。胸の中にたまっている黒いものを溜息のように吐きだし、気を取り直すためにココアを入れることにした。
 イライラには甘いもの。ココアにはブドウ糖が入っているらしいから、気休めかもしれないけれど気分を変えるくらいにはなるだろう。
 立ち上がって薬缶に火をかけていると、俺冷たいのがいい。と後ろから声をかけられた。気持ちを落ち着けようとしていたのに、自由すぎる態度にまたイラッとして、熱々のココアを作って聞こえないふりのまま目の前に湯気の上がるマグカップを置いてやった。
 熱々のココアが入ったマグカップを前に、貴哉は何故だか挑むような楽しそうな顔つきをすると、さてお立会い。というように安っぽい大道芸人のように立ち上がり、勝手に冷凍庫を開けて氷を持ち出した。それをマグカップの中に投入すると、なみなみとなったココアを前に、満足げな顔で見返された。
 マグカップの中で小さな泡を抱き込むように、あっという間に姿を消していく氷を眺めてから、貴哉は湯気の消えたココアを口にした。
「ぬる……」
 お店のアイスココアのようにザクザクと氷を入れられなくて、結局中途半端な温度のココアを、眉間にしわを寄せながら飲んでいる。半分くらいまで飲むと、又氷を入れて今度は満足そうな顔だ。
 そういう顔、どっかで見たことある。小さく息を吐き、ああ、そうだ。子供の頃の兄と一緒だと、記憶が呼び覚まされる。
 田舎では、お中元に濃縮されているカルピスの詰め合わせが届くと、兄妹間で取り合いだった。
 五つ上の兄は、年上の権力を嵩《かさ》にいつも私を貶めようと画策していた。
 同じように出されたおやつは、気がつけば半分になっていたし。私にジュースはまだ早いと、目の前でコーラを美味しそうに飲む姿を見ながら麦茶を飲まされた。残しておいたお肉を、横から箸で掻っ攫われる事もよくあった。
 カルピスもそのうちの一つだ。戴き物のセットにはノーマルが二本にフルーツ味が二本。当然、珍しいフルーツ味を飲みたいのに、兄の意地悪で私はなかなか飲むことが叶わなかった。兄はフルーツ味のカルピスを自分の分だけ作ると、それにたくさんの氷を入れて美味しそうに飲んでいた。
 お前にはやらないよ。と余計なひと言を付け加えた得意げな顔が今も忘れられない。その時の兄の顔と、目の前でココアを満足げな顔で飲む貴哉の顔が重なる。
「子供ですか」
 ボソリと零すと、ん? とよく聞こえなかったみたいでココアの続きに集中している。
「どうすんの?」
 ココアを飲み干した貴哉は、コロンと床に横になると片手を枕代わりにしてテーブルの影から覗き込むようにして私の顔を見たあと訊ねた。それは、このままフラフラしているつもりなのか。引きこもってばかりもいられないだろう。そう言いっているのだ。
 これからどうするのかなんて、何も考えていなかった。
 会社を辞めたあとどうするかに頭を悩ませるよりも、どうやって体調の悪さを回復させればいいのか。食欲はどうしたら戻るのか。お風呂で貧血になって倒れないためにはどうすればいいのか。
 鎮痛剤は飲みすぎると良くないって聞いたけど、止まらない頭痛に飲まずにいられないから、いつかこの身体は壊れるんじゃないかとか。
 そんな事しか考えていなかった。
「生きてく」
 私の答えに、「はっ」と声を上げて貴哉が笑う。何を言ってるんだ。とでも思っているのかもしれない。
 けど、痛みや気持ちの悪さからは逃れたいし。何か食べたいって。食べなくちゃって思う私は、きっと生きたいはずなんだ。
 横になっていた貴哉がムクリと起き上がり、胡座をかいたあとポリポリとこめかみの辺りを指でかく。
「取り敢えず、なんか食うか」
 目の前にあるほとんど口をつけることなく冷めてしまった私のココアをみて、貴哉が明るく言った。そうして、テーブルの上にあった私の手を貴哉が握る。
 体温の高い貴哉の熱い手。男の割には少し綺麗な貴哉の手。
 貴哉はいつも意地悪だから、苛立ったり、悔しくなったりするのに、私はこの手の温もりが好きで、泣きそうになりながら頷くんだ。
「うん」
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