第22話 優しいキス

文字数 2,460文字

 仕事がひと段落つき、夏季休暇に入る前日。夏は本格的な暑さで、日差しは肌を焼き尽くそうと躍起になっているようだった。
 一日早くお盆休みに入っていた貴哉は、私が仕事の今日、好子さんの家を訪ねていたようだ。どうしてわかるかといえば。
「ちゃんとお礼してきた?」
 バッグをベッド脇に置いて、だいぶ着慣れてきたスーツを脱いで部屋着へと着替える。キッチンに立つ貴哉は、紙袋二つから次々とタッパーに入っている食べ物を取り出し積み上げていた。
「前日に連絡してから行ったらさ。俺一人だっていうのに、好子さんてばめちゃめちゃ料理の用意してくれてて、マジ感動した」
 ご機嫌に言いながら、今から食べる分。とハミングしながら貰ったものを雑にお皿へ並べている。
「この海老しんじょうが、めちゃくちゃうまくって。危なく全部食べてしまうところで千夏のこと思い出して、一個だけ取っておいたんだよ。俺、優しくない?」
 海老しんじょう一個で恩を売るみたいな自画自賛に苦笑いを浮かべながらも、久しぶりの会話が嬉しかった。
 貴哉が来るだろうと思って買い貯めてあったキンキンに冷えたビールを出すと、満足そうな笑みでテーブルの前を陣取っている。ついでに箸も手に持ち、「いただきます」待ちだ。
「好子さんのところで、たくさん食べてきたんだよね?」
 待ち構えている貴哉に笑いながら訊ねた。
「千夏と食べるのは、別腹だからな。女のデザートと一緒だよ」
 そうか、私はデザートだったんだ。そう思ってから、なんか少しエッチな感じがする、なんて考えたら顔が熱い。
「どした? 疲れてんのか? 顔が赤いぞ」
 気づかずに心配をしてくる貴哉を直視できず、料理だけを見て手を合わせる。
「いただきますっ」
 真顔で訊ねる貴哉へフライング気味で箸を握り、さっさと海老しんじょうをお皿に取って誤魔化した。突然のいただきますに、貴哉が慌ててレンコンのはさみ揚げを取り口に入れた。
「うまっ」
 散々食べてきたはずなのに、今初めて食べたみたいに美味しそうな顔をしている貴哉を見てるいだけでも満足できる。好子さんも、貴哉のこの食べっぷりには笑顔を見せていたに違いない。
「見過ぎ」
 視線に気がついた貴哉が笑っている。だって、好きだから。って言いそうになったけど、恥かしいし勿体無いからやめた。
「好子さん、元気だった?」
「おう。元気、元気。今度、野球観に行こうって言ってて」
「野球?」
「いつも淑やかに笑う好子さんの、意外な一面だね」
 そっか、好子さんは、野球観戦が好きなんだね。
「みんなで行けたら楽しそうだね」
 デイゲームなら、お昼を一緒に食べて、少しお酒なんかも飲んで楽しく観戦できそうだ。
 私たちでいいならいくらでもお付き合いするけど、できれば家族で楽しめる方がいいだろうな。だって、息子さんがエアコンをつけてくれた話、とても嬉しそうにしていたもの。でも、息子さんやお孫さんは忙しそうだよね。
 好子さんのことを考えていたら、貴哉のビールが空になっていた。立ち上がって冷蔵庫に手をかけてから思い出す。
「そうだ。貰ったワインがあるの。ビールもいいけど、飲まない?」
 実は、歓迎会の後に、お手頃で美味しいワインを、専務がプレゼントしてくれていた。
「専務がね、くれたの。きっと美味しいよう」
 嬉々として言い、オープナーをキッチンの引き出しから取り出した。
「会社のみんなからじゃないのか?」
「ううん。専務から」
 応えながら、ワイングラスを棚から出す。
「ふーん」
 煮物に箸を伸ばしながら、貴哉がなんとなくテンションを下げた返答をした。やっぱりビールの方がいいのだろうか。
「ワインじゃない方がいい?」
 テーブルのワインを開ける前にたずねると、胡座をかきなおす。
「いや。飲む」
 貴哉の返答を聞いて、最近随分と開けるのがうまくなったと自負している私は、コルクに真っ直ぐオープナーを差し込む。とにかく、まずは真っ直ぐ差し込むことが大事なんだって言うのは、お掃除をしながら佐藤さんが教えてくれた。
「俺が開けてやろうか?」
 手を伸ばす貴哉を断り、見ててとばかりにオープナーを操る。ポンと小気味のいい音を立ててコルクを抜くと、おおっ。なんて貴哉が感嘆の声をあげるからつい悦にはいってしまった。
「仕事柄、これくらいはね」
 なんて付け足して得意げにしていたら、「はいはい」と笑いながらあしらわれてしまう。
「いつかね。素敵なワイングラスを買って、自分が好きって思えるワインを見つけて、少しくらい高くてもいいから買いたいんだ」
 夢みたいに語ると、目の前の貴哉が穏やかにこちらを見つめていた。その表情はやっぱり好きすぎて、思わず気持ちがポロリとこぼれ出る。
「好き」
 脈略もなく、突然ストレートな気持ちを言われて、少しだけ瞳を大きくした貴哉だけれど、相変わらずの憎まれ口がでた。
「知ってる」なんて口角をあげているのだ。
 悔しいけれど、バレバレみたいだ。
 貴哉のグラスへワインを注げば、目の前の煮物たちとの不釣り合いさに、なんだかおかしくなったけど、平目の揚げ物なら割と合うねなんて笑った。
 フルボディを二人で一本空けた。そういえば、フルボディの意味を自分なりに調べたんだよね。重くて渋いのが好きなんて、よく解らずに言っていたけれど。フルボディとは、まさにそれだった。簡単に言えば、重くて濃厚ということみたいだ。知らずに適当なことを口にしていた自分が恥ずかしい。
 そんな説明をいい感じの酔い具合でしていたら、泊まる気満々の貴哉がベッドへダイブして子供みたいに手足をばたつかせた。
 真似をしてベッドの空いているところへ無理矢理ダイブしたら、狭っ。なんて言いながら引き寄せてくれて、落っこちないように抱きしめられた。
 お酒の匂いと貴哉の匂いは幸せすぎて、ベッドの波に溺れてしまわないようにギュッとつかまり顔を埋めれば、優しいキスが降り注いだ。
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