第19話 テスト

文字数 3,994文字

 浅野さんに何度か謝りつつ、出てきた料理やワインを堪能していく。
「気にしないでくださいね」
 そう念押しをした浅野さんこと社長は、にこやかにみんなのテーブルを回っている。
「水野さん。あんた、マジで面白いな」
 笑いながら私の手に新しいグラスを渡してきたのは専務だった。
「まさか面接してくれたのが、社長だったなんて。本当に驚きです」
「まー、でも。あれは、少しわざとかもな」
 奥のテーブルで談笑している社長の姿を眺めながら、専務の笑顔は継続中だ。
「そうなんですか?」
「オヤジはそういう、茶目っ気というか。人を笑わせたり、喜ばせたりするのが好きな人だから」
「そうなんですね。確かに穏やかで、スマートでにこやかで。とても素敵な方です」
 ん、あれ……。今専務、結構大事なこと言ってなかった?
 隣でチーズを口にしている専務を見ていたら、「なんだよ」と言われて、慌てて視線を外して、ワインをゴクゴク飲んだ。
「ワインの飲みかたじゃないな」
 水でも飲むみたいに流し込んでいる姿に、専務は呆れている。
 ていうか、さっき専務、社長のこと。
「オヤジって、言いました?」
 もう一度、今度はまじまじと専務の顔を見て訊ねると、はぁ? なんて呆れられてしまった。
「それも今更だな」
 という事は、浅野さんの息子? 専務は、社長ジュニアだったのか。
 本日二度目の衝撃。思わず半歩退いてしまった。
「なんだよ。七光りとでも言いたいか」
 何度も言われてきたのだろうか。飲みの席でアルコールも入っているからか、子供みたいに少しふてくされた言い方をした。
「そんな、そんな。とんでもありません」
「そればっかだな」
 怒ったのか、専務は席を外してしまった。
 ま、マズイ。私、明日から席がないかも。歓迎会の翌日にクビ? シャレにならない。謝りに行った方がいいよね。
 焦って専務が行った方へ踵を返したら、グラスを二つ持ち戻ってきた。
 持ってきた二つのグラスをテーブルに置くと、テイスティングだと私の方へ押しやる。
「テ、テイスティングって……」
「テイスティングも知らないのか?」
「知ってますよっ」
 思わず強い口調で言い返してしまってから、はっとなり口を噤む。
 浅野さんには絶対こんな風にはならないのに、専務に対しては最初の印象もあるせいか、つい軽口を叩いてしまった。
「銘柄を当てろ、なんて言わない。どうせ無理だろ」
 はなからそんな事は期待していないという、貶めるような言い方に少しばかりカチンときたけれど、まさにその通りで言い返せるはずもない。
 専務は隣のテーブルにあったチーズのお皿を貰ってきて、それも私へと差し出した。
「これに合うワインがどっちなのか、言ってみろ」
 言ってみろって、そんな無茶な。
 ワインは美味しいと思うけれど、そこまでたくさんの種類を飲んだこともなければ、ワインにチーズは合うよね、くらいの軽い気持ちでしか飲んだことがない。
 なのに、テイスティングなんて。
 歓迎会なんていうのは口実で、これはもしかしたらテストなのかもしれない。これをクリアしない事には、正式採用にはならないとか?
 思わず緊張にゴクリと喉が鳴る。
「ワインからでも、チーズからでもいいぞ」
 どちらを先に口にしてもいいから当ててみろ。そう言って、他人事みたいに専務はしらっとした表情で私の様子を見ている。
 ほ、本気ですか?
 ビールの銘柄ならなんとか当てられそうだけれど、ワインなんて全くと言っていいほどわからない。
 いや、フランス産のワインが好みだというのは自覚していた。何かあって飲むときには、必ずと言っていいほど、フランス産のものを選んできた。
 外に出掛ければ、ワイン自体飲む機会もよくあって。チーズ好きな私のために、貴哉も付き合ってくれたことが何度もある。けど、銘柄なんて、ほとんど気にしたことなんてなかった。
 強いて言えば、フルボディで渋く重いものを選んでいたくらい。
 そもそも、フルボディがどうしてフルボディと言われているのかも知らないのだ。
 待てよ。銘柄なんて無理って言われたんだよね。そうだよ、チーズだよ、チーズ。
 お皿に乗っているのは、ブルーチーズとカマンベール、ミモレットに、あとは名前の知らないハード系のチーズ。
 グラスに注がれているワインは、右手にある方がルビーみたいな赤。(※クロスター ピノ・ノワール ファルツ ミディアムボディ)
 先ずは、そのワインに手を伸ばし口に含んだ。
 フルーツ系の味。若いのかな。酸っぱめの、イチゴジャム? ああ、アセロラに近いかも。
 これは、チーズもいいけど、お魚の方が合いそう。
 次にもう一つ。左にあるグラスも口にする。(※ティレルズ オールドワイナリー ピノ・ノワール  2010 年ニュージーランド産)
 これも酸味がある。なんのフルーツだろう。プラム? あ、カシス。とっても飲みやすい。飲みすぎ注意のワインだね。
 次は、チーズだ。まずは、好きなカマンベールからいこう。
 一口食べて、ワインを口に含み飲む。
 美味しいけど、ちょっと違うかな。
 ブルーチーズは、これはうん、違う。
 ミモレット。うん、これだ。とても美味しい。
 ワインとチーズの相性に、ヘラッと口角を上げると、目の前の専務と目があった。
 なんか、笑ってる? 専務の口元が、若干緩んでいる気がするのは気のせい?
「それは、どっちもピノ・ノワールといって、黒ぶどうから出来てる」
「へぇ~」
 同じワインなのに、風味が全然違う。不思議。
 最初のワインには、チーズよりもそうだなぁ、前菜に近いもの。鯛やタコのあっさり目のカルパッチョなんてどうだろう。
 こんなに真剣になってワインを飲んだのは初めてだ。
 お酒は楽しければいい、がモットーだったから。どのワインとどの料理の相性がいいかなんて、こんなに味や香りに集中して真剣に悩むなんてしたことなかった。
 グラスを置いて、他人事みたいにクラッカーを摘んでいる専務を見る。
 仕事柄、専務はいつもこんな風にしてワインを飲んでいるのだろうか。でも、見た感じ、今はそこまで考えている風には見えない。
「なんだ?」
「あ、いえ」
 余計な事を考えてしまった。気を取り直し、専務の質問に応える。
「このワインの方が、チーズには合うと思います」
 後から飲んだ方のグラスを、少しだけ専務の方へ押した。
「特に、ミモレットが合うような。こっちのワインは、白身魚のカルパッチョとかどうですか? さっぱり系の食べ物が合うような気がします」
 気がします。なんて、とても曖昧な応え方をしながら専務の様子を窺った。
 テイスティングの答えを黙って聞いていた専務は、大きく一つ息を吐いた。
 あれ、違う? 間違ってる? これは失格というやつでしょうか。
 窺うように専務を見ていたら、またスッとテーブルを離れていくから、今度こそアウトだとがっくり肩を落とした。
「ていうか。そんなの、わかるわけないじゃんっ。私、ソムリエじゃないし」
 不貞腐れて、流れる音楽に紛れるくらい小さく愚痴り、残った好みの方のワインを一気に飲みほした。そこへ吉川さんがやってきた。
「荒れてるねー」
 飲みっぷりをからかうから、慌ててそんなことないですと首を振る。
「専務に何か言われたの?」
「言われたというか、何も言わなかったというか」
 要領の得ない答えを返していると、専務が戻ってきた。
「ほら。合格祝いだ」
「合格!?」
 驚いた。何も言わずに席をはずしたから、てっきり不合格で明日から又職探しかもしれないなんて考えていたくらいなのに、嬉しい。
 ほらっ、と言って専務がテーブルに置いたのは、大きく膨らんだチューリップグラスに入ったワインだった。
「え、合格ってなに~。私も飲みたーい」
 少し酔った吉川さんが興味津々で専務に訊ねているけど、はいはい。てくらいにあしらわれていて、二人のやり取りがおかしい。
 改めて、合格だと専務が持ってきてくれたワインに目をやった。
 大きなチューリップグラスに入っているというだけで、こんなにも高級感が出るものなのだろうか。目の前に置かれたグラスを見てから専務を窺う。
「飲んでみろ」
 促されて、そっとグラスへ指を添えて持ち上げた。とても薄く作られた繊細なグラスには、深紅のワインが注がれている。
「専務、これってかなりいいやつでしょ。いいなぁ~」
 吉川さんが隣でチャチャを入れている。
 吉川さんとのやりとりを見ながら、専務が持ってきたワインに口をつけると、それは今まで飲んだこともないくらい美味しくて、味の表現を訊かれてもボキャブラリーの少ない私には、なんて言って言葉にすればいいのかわからないくらいの衝撃だった。
 ただ、とにかく。
「美味しい」
 溜息が出るほどに美味しくて、飲んだ後にまじまじとグラスのワインを見てしまう。
 じっと見たからといって、何がわかるというわけではないけれど、その色やグラスに注がれた様を忘れたくないと思ったほどだ。
 専務は私の様子に満足したのかわからないけれど、酔った吉川さんを連れてほかのテーブルへと移動していった。
 一人になりワインをチビチビと味わい、なんて美味しいワインだろう、と相も変わらずなんのボキャブラリーもなく思いながら幸せに浸る。
 その後、名残惜しくも飲み終わってしまい他のワインを口にしたけれど、あのワインの味にかなうものなどなくて、なんとも消化不良のような感じになってしまった。
 下手に他のワインなんて飲まない方が良かったな。さっきの味を忘れてしまいそうだ。
 そうだ。後でワインの銘柄を訊いておこう。
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