第37話 温もり

文字数 4,279文字

 「ああ、(ぬく)い〜」
 こたつの中で丸くなるのは、猫だけじゃない。いや、むしろ人間の方が丸くなっているだろう率は高いはず。
 田舎の茶の間にあるコタツは、去年新しいものに買い替えたらしく、少し大きめのサイズになっていた。足の高さもあるみたいで、寝返りも余裕でできるし、コタツ布団も新しくてぬくぬくだ。
「やっと帰ってきたかと思ったら、これだもの〜」
 呆れながらも笑っているお母さんの顔は嬉しそうだし、久しぶりにすぐそばで聞く訛りは心地いい。
 私も会いたかったけど、きっとお母さんも会いたいと思ってくれていたんだって、その笑顔を見ればわかる。
「いい加減、部屋の荷物片付けたら?」
 かさばる荷物は宅急便で送っていて、私より先に実家に届いていた。更に言うなら、今も私の部屋を綺麗に存続させてくれている母が、荷物の収まるダンボール箱をそこへ運んでくれていた。
「う〜ん。もう少し体が温くなったらやるって」
 釣られて訛りで応えるのも心地いい。
 東京の言葉には慣れたけれど、田舎の訛りは、元々身についている私の中にある柔らかい部分を優しく撫でられているような気持ちになる。そのままでいいんだよ。飾ったり、頑張って強い自分でいなくてもいいんだよ。そう優しく言われているような気持ちになる。
 実家での居心地の良さに幸せを噛み締めていたら、お母さんが呆れたように笑う。
「千夏、そう言うのなんて言うか知ってる?」
 ん? というように顔だけ向けると。
「東京にいたのに、知らないのぉ?」
 少しばかり得意気な顔をして、立ったまま私を見下ろしてきた。
「やるやる詐欺って言うんだと。この前テレビでやってたわ」
 声を上げて笑う母に、仏壇を綺麗に掃除していた父が「くだらん」と言いながらも頬が緩んでいるのが見えて、以外と嫌いじゃないじゃん、なんて思ってみた。
 お祖母ちゃんは、今日もしばれるわ〜、なんて言いながら、少し前に近所に出かけていった。きっと、私が持ってきた東京バナナやどっかの美味しそうなバームクーヘンなんかをお裾分けに行ったんだと思う。きっと帰りには、野菜かお魚をもらって帰ってくるんじゃないかと踏んでいる。
 兄は、まだ来ていない。どうやら三十一日なってから、こっちへくることになっているらしい。きっと大掃除の手伝いを、少しでもやらずに済ます気だろう。
 そんな私も、未だコタツから出られず、コタツムリのままだ。
「千夏。携帯鳴ってるよ」
 お正月料理の下準備をしていたお母さんが、濡れた手を前掛けで拭きながら、ソファの上に無防備のまま置かれていたスマホを指差した。
「携帯じゃなくて、スマホね」
 わざわざ訂正し、ぬくぬくのコタツから出てスマホを引き寄せると、画面に出ている名前に息が止まった。
 専務……。
 さっきまでとろくさい動きだったのに、画面の相手を確認した瞬間、慌てて手に取り自室へと走って飛び込んだ。
 息を吐きつつ画面を見れば、スマホはまだ呼び出しを続けていた。
 どうしよう。
 スマホを胸元で握りしめたまま、部屋の中を行ったり来たり。
 画面など見なくても呼び出し音は鳴っているし、バイブレーション機能が忙しなく小刻みに動き続けているから出ないわけにはいかない。今実家にいて幸せなコタツムリになっていられるのも、専務がチケットを手配してくれたおかげなのはわかっている。ただ、社内で行われた忘年会の帰りに逃げ出した記憶はまだ新しくて、会わす顔がないのだ。
 迷いに気持ちが焦っていたら、呼び出し音が止まってしまった。
 思わずホッとして沈黙したスマホ画面を見た瞬間、間髪入れずにまた専務からの呼び出しに咄嗟に通話へ出てしまった。
「もっ、もしもしっ」
 ああ、うわずった。
 恥ずかしさにその場でしゃがみこんだら、専務の声が聞こえて来た。
「無事に着いたか?」
「あ、はい。着きました。ありがとうございましたっ」
 無駄に声を張ってしまう自分は、ますます恥ずかしい。
「ちゃんと着いたか心配だったから、良かった」
「はい。無事です。元気です。大丈夫です」
 恥ずかしさに早口になる。
「そうか。なら、いい。じゃあ」
 え? それだけ?
 思う間も無く、通話は切れた。
 あんなに出るのを躊躇ったのに、いざあっけなく切られてしまうと物足りなさに目が点になった。
 黙ってしまったスマホを眺めて、他には? なんて思う自分の身勝手さにちょっと笑えてしまった。
 なんで笑えるのかな? 変なの。
 頬を緩めていたら、また呼び出し音だ。
 他に言うことでも思いついたのかな? と専務の気難しそうな顔を思い浮かべて画面を見たら、今度は貴哉からで、別の意味で気持ちが焦り出す。
 なんで!? どうして電話なんてしてくるの?
 それでも専務の時のようになかなか鳴り止まないものだから、一度深呼吸してから通話ボタンを押した。
「もしもし」
 探るように出ると、千夏。って呼びかける聞き慣れた声に、何故か焦りが少しだけ引いた。
「実家、無事に着いたか?」
 躊躇いながらも心配した声が訊ねる。
「うん」
 短く応えた。
「ほら、そっちは雪が降ってて、スゲーってニュースでやってたから、飛行機大丈夫かと思って」
 うん。しか言わない私へ、その分貴哉が早口に話す。なんだか、焦っている時の私と似ていた。長く付きあうと、些細なところが似てくるのかもしれない。
「ちゃんと着いたよ。雪で飛行機が遅れるのは、こっちでは普通のことだから」
「そう、だよな」
 当たり前だよな。なんて、言葉に詰まる貴哉に私まで困った。
「無事ならいいんだ。うん。じゃ」
 早口のままでそう言って、貴哉は通話を切った。切れた画面を眺めた私は、専務からと貴哉からの、温度差のある通話相手に感情をかき混ぜられた。
 二人からの電話を終えて茶の間へ戻ると、父から言われるままに、帰らなかった二年分の大掃除を手伝わされた。こんなところもやるのかと、物置の片付けまでやらされながらブーたれる。
 ほこりっぽくて、その上冬の物置なんて拷問以外の何者でもない。
 ダウンを着込み、マフラーをグルグルに巻き、軍手を二枚重ねる。それでも寒いし、手がかじかんでいく。
 これは無駄に張り切って動き、体を温めるしかない。
 覚悟を決めて取りかかってみれば、中からは懐かしいものが出てきて、寒さも緩和されていった。
「こんなところにあったんだー」
 ボロボロの段ボールの中には、小学校の時に使ったクレヨンや糊などがまとめて入ったお道具箱や、少しだけ習っていた書道の道具。お祖母ちゃんに習ったマフラーを編んだ時の編み棒なんかが次々と現れた。
「マフラーなんて、もう編み方忘れちゃったな。あとでお祖母ちゃんに訊いてみようかな」
 そう言えば、貴哉に編んであげたことがあったな。あれは、付き合いだして割とすぐで。手編みって、怨念こもってそうだよな。と冗談にもならないセリフを吐かれて、あったまにきたんだよね。
 じゃあ返してよって、言ったら。嘘、めっちゃ嬉しい。なんて満面の笑みをくれるから、ヤラレタなぁなんて思ったんだ。
 貴哉は、初めの頃からそうだった。わざと落としておいて、急にあげるから、気持ちが振り回されてばかりだった。けど、楽しかったな……。
 そこまで考えて、編み棒を持ったまま止まっていた手に気がつく。
「掃除、掃除」
 他には、兄の描いた絵がたくさん出てきて、丸まっていた画用紙の一枚をひろげてみた。確かこれは、学校で金賞をもらったやつよね。私に絵心はなかったけど、兄は絵が得意だった。今でも描いたりするのだろうか?
 男親のせいか、父はなんでも卒なくこなす兄よりも、どこか不器用で抜けている私を可愛がってくれた。兄にしてみればそれが面白くなかったらしく、親のみていない隙によく小さな意地悪をされた。それで私が泣き出すと、やり過ぎたと思うのか、何度もごめんと謝ったり、大事にとっておいたスティック付きの飴をくれたり、サクサクのクッキーが中に収まるチョコレートをくれた。あんまり大事にとっておき過ぎて、チョコは溶けているし、飴もねっとりと形を崩していて、二人で顔を見合わせ笑ったこともあった。
 ここに居ると幼い頃のことが次々と思いだされる。
 そんな風に、結局懐かしさにいつまでも物置にいたら、時間がかかり過ぎだからもういい。と父から言われて、手っ取り早く埃を払ったりほうきで掃いたりしてお掃除終了。ぬくぬくの茶の間へと舞い戻った。
「千夏、お風呂沸いてるよ。入っといで」
 埃まみれの私は、母に言われるまま夕食前にお風呂へ直行。古いけど東京のお風呂とは格段に大きさの違う湯船に浸かれば、うーっと両足を伸ばし、ふぅっと息が漏れた。
 お風呂から上がると、テーブルにはたくさんの料理が並んでいた。
 自分であれこれしなくても、お風呂は沸くし、食事も出て来る。これぞ実家の醍醐味。
「仕事はどうなの? 大分慣れた?」
 お芋の煮物を摘んだ母が訊ねる。唐揚げに箸を伸ばした私は、コクコクと頷いた。唐揚げを咀嚼して飲み込んでから、今の仕事が自分には合っている気がすると熱弁した。
 ワインのこと、グラスのこと。仕入先のことや小売り先。どんな料理にどんなワインが合うのか。
 話している間、父は黙って箸を動かし、お祖母ちゃんは、千夏は凄いね。偉いねー。と小さな子供を褒めるみたいに言ってくれて、母は穏やかに相槌を打っていた。
 ここには、私のことを褒めてくれる人ばかりがいる。甘やかされていると思っても、たまには褒められたいと思うのが人間だ。鞭ばかり与えられていたら、辛いが溜まって壊れてしまう。壊れてしまうんだよ……貴哉。
 喧嘩した時のことが頭を過り、目頭が急激に熱くなり、鼻の奥がつんとしてきた。
 ダメダメ。折角家族に会えたんだから、今はこの甘やかされている温かな環境の中にだけいたい。
「千夏がそうやって話してくれて、安心したわ。心配してたんだよぉ。ずいぶん頑張って就職したのに、辞めて転職したなんて言うから。でも、千夏の顔見たらほんと、安心したわ。無理しないで、いつでもこうやって帰ってきなさいよ」
 締めるように母が言うと、父もコクリと頷き私を見た。
「ありがと」
 また家族の温かさに触れて泣きそうになった私は、お祖母ちゃんが炊いた五目ご飯を口いっぱいに頬張って笑顔を見せた。
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