第6話 好きな顔

文字数 2,444文字

「で? 仕事探しに行って、食い物買っただけで帰ってきたと」
 冷えた缶ビールと二人分のグラスを用意してテーブルに置き、昼間に買った焼き鳥や惣菜を温めて皿に盛りつけそれも置くと、嬉しそうな顔の貴哉が笑顔で皮肉なことを言う。
 自分がどうしようもないおバカだっていうことは、よく解っている。だから、もう何も言わないで欲しいと目を向けてみたけれど、貴哉は容赦ない。
「そもそも。なんで足で探しに行くよ。今時はネットでしょ。最低でも雑誌だよな。いや、先ずはハローワークだろ」
 そうか、そういう手があったか。合点のいった私の顔を見て、貴哉が呆れている。
「時々抜けた事すんだよな、千夏ってさ。つーか、探す気ある? やっぱ田舎の方があってんじゃねーの」
 でたっ。貴哉の田舎帰れば攻撃。そんなに私を帰したいの?
 何か失敗をするたびに、貴哉はこのセリフを言ってくる。“田舎”と“帰れば”というワードは、又かと呆れるほど聞かされてきた。
 本人は特に意味もなく、ただ私を田舎者扱いしているだけなのだろうか。それはそれでバカにしているって事だよね。
 それとも都会生まれの都会育ちにしてみたら、田舎は未知の世界で興味深いのかも知れない。貴哉は山に山菜採りに出かけた事もないだろうし、野生の狐や狸を間近で見たことなどないだろう。岩浜に行って透明な海の水の底にある貝をとって、その場で食べるなんて贅沢な経験もないだろう。それが贅沢だと気がついたのは、東京に住んでから知ったのだけれど。
 貴哉が間近に見るのは芸能人だ。ある意味羨ましいと感じるのは、私がミーハーだからか。
 何にしても、貴哉はことあるごとに私へむかって、帰れば? と口にする。貴哉にそう言われる度に、大学で友達になった彼女のことが頭を過る。一緒に頑張ろう。飲み込まれそうな都会の波に負けないよう生きて行こう。彼女と私はそう言いあい、励まし合っていた。結局、彼女は田舎へと帰ってしまったのだけれど……。彼女は、今頃どうしているだろう。折角受かった大学をやめ、田舎に帰ってしまったことを後悔してはいないのだろうか。
 私は、絶対に嫌だ。大学の費用にどれくらいかかったかなんて、無粋な質問を家族にしたことはないけれど。父や母に大きな負担をかけたことに間違いはない。だから、帰るわけにはいかないし。都会に負けて帰るなんて、考えただけで悔しくて、後悔しかないだろう。それはただの意地のようになっているのかもしれないけれど、とにかく私は今いるこの場所で頑張りたいんだ。
 帰れば、なんて軽々しく口にする目の前の貴哉を見る。飄々とした表情からは、今何を思っているのかよく解らない。ただ、帰れと言った言葉を撤回しない貴哉を見ていると、悔しさの塊が刺激されていった。
 そんなに私を帰らせたいの? 尻尾を巻いて帰る姿を見て、得意のゲラゲラとデリカシーのない笑いを浴びせたいの?
 あれ? ちょっと待って……。
 こんなに何度も帰れなんて言うのは、もしかして別れたいって事かな……。
 私。何か、とんでもないことに気づいてしまったような。
 瞬間的に心臓が怯えをはらんで、ドンっと音を立てた。ドクンッといったのかも知れない。ドキッとしたのかもしれない。
 けど、今の衝撃は明らかにドンっという激しい体当たりにも似た音だった。
 思わず右手が心臓の辺りを抑えるために動く。買ってからまだ二度ほどしか着ていないTシャツの胸元を、シワクチャにして掴みにかかる。
 さっきまで焼き鳥や惣菜にビールで乾杯などとのんきになっていた思考が、急激な不安に感情をフリーズさせた。目の前にある美味しそうな焼き鳥もメンチも、どうでもよくなる。
 突如動きの止まった私に気がつき、貴哉が不思議そうな顔を向けてきた。
「どした?」
 訊く? それを訊く? 何事もなかった顔で、ひどい事を言っておきながら訊くの?
 貴哉はデリカシーに欠けるんだ。いつも笑顔に騙されて来たけれど、騙され続けていた私がバカだったのかな。
「つかさ。どこのばーちゃんかもしんないのに、心配してついてくって」
 ケタケタ笑いながら、貴哉が焼き鳥をつまんでムシャムシャ食べた後、ビールをグビグビと音を鳴らして飲んでいる。私は食欲が減退して、小憎らしい貴哉が、別れたいと思っているのかもしれないと不安に駆られ苦しくて泣きそうだ。
 仕事がきつかった時も辛かったけど、こういうのは別の痛みが伴う。
 都会が合わないとか、帰ったほうがいいとか。よくよく考えてみたら、別れの言葉に聞こえるじゃない。
 さっき貴哉も言ったけど、私は抜けているんだ。今頃貴哉の言いたい事に気がつくなんて、どこまでおめでたい性格をしているのだろう。我ながら、鈍すぎて笑える。
 自分自身をあざ笑って激しく落ち込んでいたら、不意に貴哉の大きな手が頭の上にポンとおかれた。
「優しいとこ、千夏らしいな」
 ほらっ、でた。これだよ、これ。ずるいんだよ、貴哉は。
 そんな優しい顔して笑っちゃってさ。さっきあんなひどい事言ったのに、何にもなかったみたいな顔して笑ってさ。
 貴哉の穏やかな笑みが優しすぎて、ジワジワと涙が溢れ出す。悔しすぎて、またこの顔に騙されているかもと思っても、そんな些細な事が嬉しくて悔しくて、やっぱり嬉しいんだ。
 もおっ。泣いてやるっ!
「えっ! おいっ。なんだよ。なんで泣くんだよ」
 貴哉の言葉を機に、大量の涙を流してやった。涙に慌てた貴哉が、ティッシュの箱を急いで探して何枚も取り出すと、私の目に当て涙を抑える。
「泣くなって。ほらせっかく買ってきた焼き鳥。あ、メンチの方がいいか?」
 左手に焼き鳥を持ち、右手でメンチを私の取り皿に置いた。
「ぶっ!」
 慌ててとった行動が面白すぎて、思わず吹き出してしまった。
「泣いたり笑ったり、忙しいな~」
 貴哉は呆れているけど、やっぱり笑っている。
 私の好きな笑顔で。
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