第5話 誘惑の街

文字数 3,834文字

 仕事を探そうと思った。あまり頭痛に悩まされなくなったし、母が送ってくれたコロッケもムシャムシャ食べられるほどに食欲が回復していたからだ。
 貴哉には、食いすぎだろ。と笑いながら呆れられたけれど、骨と皮だけでゴツゴツした鉄のような硬い触り心地の女を抱くのと、抱き心地が良いプニプニならどっちが良いの? と凄んだら、「ぷ、プニプニでお願いします」と頭を下げられた。
 凄むところではまるでないのだけれど、私の食欲は今そんな感じで突っ走っている状態なのだ。
 その後に、鉄の女って、なんか強そうだよな。とゲラゲラ笑われもしたけれど、いつものことだから一緒に笑っておいた。
「体力も戻って、凄むくらいの気力も出てきたなら、あとは食費を稼ぐだけだよね」
 気合いを入れると、なんか違くね? と言う貴哉の言葉はもちろんスルーだ。人間生きていくためには食べなければいけないのだから。
 どんな仕事にするかというのは、何も考えていなかった。ただ、以前のように、真面目に取り組んでいるのに落ちていくなんていう、同じ過ちを繰り返すのは怖い。だったら、少しくらい気楽にいられるくらいの小ぢんまりとした職場が丁度良い。多分。
 平日の昼まっから街をプラプラしている若者は、この都会ではザラだ。田舎だと、そうはいかない。
 昼間に町を歩いていようものなら、会う人会う人にいちいち声をかけられ、どうしてこんな時間にと質問攻撃されてしまう。人と人とが近しいといえば聞こえはいいけれど、プライベートに口出しされることにはうんざりしていた。
 けれど、この都会では誰もそんな風に話しかけてこない。おかげで変な目で見られることがなくて気が楽だった。仕事をしていない自分。というものに、後ろめたさがあるから余計だ。
 日本人の生真面目さというか、バカな思考だと思う。
 きっと外国人なら、ひゃっほー。この期間に何楽しいことしちゃおっかなぁ。くらいにはしゃぐに違いない。あくまで主観だけれど。
「バカンスに行きたいなぁ」
 少し前にボソリとこぼしたことがあった。すると、俺も。と貴哉が目をキラキラさせながら乗り気になり、スマホで海外の観光地を調べまくっていた。そんな貴哉の姿に、私につられて仕事を辞めてしまわないか少しだけ心配になった。
 大手なんて、そんな贅沢な事は言わない。中小だってかまわない。仕事をさせてもらえるなら、贅沢など言えない。サービス残業に縛られず、人間関係に悩まされなければそれでいい。
 大きな街は、賑わいというよりもやかましい。人が多すぎて目が回る。渋谷に出てきたのは間違いだったかな。もう少し落ち着いた街の方がいいだろうか。
 スクランブル交差点で立ち止まり、縦横無尽に通り過ぎていく人たちに圧倒される。
 青になるまでその場に留まってから、横断歩道を渡ることなくクルリと踵を返して再び駅へと足を向けた。券売機の目線のずっと上にある、山手線の路線図を見上げる。
「一周って結構いびつな形」
 どこへ行くかを考えもせず、山手線が丸ではないことに気がついてマジマジと観察してしまった。
 雑誌などでは、綺麗な円で描かれたイラストで紹介されているから鵜呑みにしていた。鉄道マニアにそんな事を言った日には、延々とうんちくを話されそうな気がする。
 わりと普通の声で漏らした呟きだったけれど、渋谷の喧騒はそれさえもサイレントモードにするくらいやかましい。
 とにかく電車に乗ろう。それで気が向いた駅で降りて考えようかな。
 なんとも行き当たりばったりの思考で、山手線に向かう階段を上っていると、手すりにつかまりながらゆっくりと上っていく小柄なお婆ちゃんが前にいた。背丈や後姿が、田舎にいる祖母を思い起こさせる。
 上る側の階段だというのも無視した輩が勢い良く下りてきたりするから、お婆ちゃんにぶつかって、落っこちて来やしないかと三段ほど下にいる私はハラハラした。
 私の祖母は、どちらかというとシャキシャキしている方だ。足腰もまだまだ丈夫で、冬になると、自分の背丈と変わらないスコップを持って、未だに率先して雪かきへと出かけていく。雪国での雪かきが、どれほど重労働で危険かはみんな心得ているけれど。それでも毎年、屋根から落ちてきた雪に埋もれて亡くなる人はいるし、毎日毎日大量に降る雪をかくから足腰にも負担が大きい。兄が来年あたり除雪機を実家にプレゼントすると言っていたから、そうなれば祖母の負担も減るだろう。ただ、雪かきが楽しくなって、近所中を除雪して歩きそうな気もする。
 そんな祖母に似ていると思った少し上を行くお婆ちゃんを見ていたら、なんとも危なっかしく思えた。階段から落ちてきたらなんて怖いけど、念のために左手を手すりに、右手を落ちてきたお婆ちゃんを受け止めるように構えながら上る。
 貴哉がいたら、何やってんだよ。と笑いながら突っ込まれるだろうな。いや、貴哉なら、お婆ちゃんを背負って、この混みあう階段を上って行く気がする。
 ああ見えて、貴哉は優しいのだ。
 幸い、とてもゆっくりだったけれど、お婆ちゃんは無事に階段を上りきった。上った先で息をつくお婆ちゃんの一段下で私も息をつく。するとすぐに電車が滑り込んで来て、ホームに待つたくさんの人たちと共に私も車内へと雪崩れ込んだ。
 同じく車内に雪崩れ込んだ小さなお婆ちゃんは、混んでいるのもあって座れず、近くの手摺りにつかまっている。
 手がとても痩せていて、シワだらけだ。筋肉があるのか疑わしいくらいだけれど、階段も上ったし、手摺りにもしっかりつかまっているのだから、確かに筋肉はある。よね?
 生まれたての赤ちゃんを見守るみたいに、お婆ちゃんから目が離せない。あの華奢で小さな体が誰かに弾き飛ばされたりしやしないかと、警備員さながらに目を光らせていた。
 子供や老人は、労らなければいけない。
 いつか自分もそうなる日が来た時に、その労わりにどれほど感謝するかわからないけれど、少なくとも、私はありがたくて嬉しいはずだから。
 だから目の前に座ってゲームをしている若者よ、お婆ちゃんが立っているんだから席を譲りなさいよっ。あんた元気そーじゃない。
 じーっと少し離れた先から若者の動向を窺いながら見続けていたら、若者が席をゆずる前にお婆ちゃんが降りてしまった。
 なんでだろう。つい一緒になって、追いかけるように私も降りてしまった。
 特に降りる駅を決めていたわけでもないからいいのだけれど、ここって何駅だ?
 山手線はかなり有名で主要な駅ばかりだけれど、利用する駅はごく限られている。家から大学までの数駅や、少しだけ働いていた会社までの数駅。あとは、遊びに出かけることのあった新宿や渋谷、原宿くらいのもの。
 お婆ちゃんのあとを追って降り立ったのは、一度も来た事のない駅のホームだった。渋谷とは違い、ホームを歩く人の数は格段に少ない。これならお婆ちゃんも、ぶつかられて転んだりする事はないだろう。
 他人であるお婆ちゃんの心配をそこまでしている自分に、何だかおかしくなる。
 お婆ちゃんの少しうしろをついて歩き、改札を出たらそこは下町と言えるような賑わいを見せていた。
 駅を出てすぐに少し大きめの商店街が続き、とても活気に溢れていた。よくある百円ショップやドーナツショップ。チェーン店のパン屋にケーキ屋。その中にいくつかの総菜屋や焼き鳥屋。八百屋に精肉店に鮮魚店。古着屋にコーヒー豆専門の店まである。
 活気があってワクワクしてきた。
 安い惣菜がいっぱい売られていて、こんな商店街が家の近くにあったら便利だろうな。
 商店街に目を奪われているうちに、気がつけばお婆ちゃんを見失っていた。
 お婆ちゃんをストーカーし続けている意味もないので、興味はあっさりと商店街へと移った。
 目を伏せて前を通るばかりの高級スーパーよりも、こっちの方が私にはあっている気がする。この町に引っ越そうかな。そう思っても先立つものがなくて、その考えは延期で保留にした。
 さて、どうするか。
 バッグ片手に立ち尽くしていると、焼き鳥屋のおじさんが、「美味しいよっ」と声をかけて焼き鳥をつまんで見せつけるから、じゃあと数本買った。
 買った焼き鳥のおさまるビニール袋とバッグを手に、さて、とまたどうするかを考えようとしたら、今度は総菜屋のおばちゃんが「メンチ揚げたてだよ」と、試食でひと口分に切った物を渡してよこすものだから、パクリと食べたらサクサクジューシーで、メンチとイカボールなるものもついでに買った。
 手にはバッグと焼き鳥と総菜。さて、どうするか。
 てくてく歩いていくと、焼きたてのパンの匂いにつられて、出来立てだというクロワッサンとメロンパンとチーズがゴロゴロと入ったパンを買った。
 気がつけば、手には食べ物がいっぱいだ。職を手にする前に、食を手にしてしまった。この街には誘惑が多すぎる。
 袋を手にしたまま、通りの先に視線を向けた。ストーカーのようにあとを追ったお婆ちゃんの姿を探してみる。見当たらない小さな体。
「ちか」。そう優しく呼ぶ祖母のことが、再び頭に浮かんだ。
 仕事を探すために出てきたのに、一体何をしているんだろう。こんな姿、祖母に見せられない。
 袋をぎゅっと握りしめ、不甲斐ない自分自身に情けなさが募る。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み