第25話 誕生日

文字数 3,951文字

 一気に飲み干してしまうのは忍びなくて、昨夜は高級ワインを半分ほど残した。
 お泊りセット持参の貴哉が我が物顔で自宅のようにくつろぐ姿に、結婚したらこんな感じなのだろうか。と考えて、慌てて首を振った。
 結婚に憧れがないわけじゃないけれど、まだまだ世間知らずの私たちだから、もっとたくさんのことを吸収したいし学びたい。まずは、今の会社でしっかりと仕事を覚えることが目標だ。
 気合を入れていたら、何力んでんだよ。と寝起きのぼんやりした顔と、ボサボサの髪の毛の貴哉があくび混じりに訊ねる。
「色々、頑張ろうって思って」
 両の拳を握り、再び気合を注入していたら、ご苦労さんと笑われた。
 もう、頑張れとか言ってよね。
 貴哉が寝ぼけている目を覚ますために顔を洗いに行っている間、出かける準備に取り掛かった。今日はお誕生日デートだ。ウキウキしながら、お気に入りのワンピースに袖を通す。
 顔を洗った貴哉は、いつものスタイル。ジーンズにTシャツにスニーカー。
 特別な日だってこと、わかってるのかな? あまりにも普段着すぎない?
 そんな目で見たのだけれど、まったく通じていないみたい。
「んじゃ、行くか」
 財布をポケットへねじ込み、ジャラジャラと鍵のついたキーホルダーを手にする。マンションの外に出ると、近くのパーキングには誰のか知らない車が停まっていて、貴哉は躊躇いなくロックを解除した。
「この車、どうしたの」
 免許は持っているけれど、貴哉が車を買ったなんて話は聞いたことがない。ワンボックスの白い国産車は、きれいに洗車されていて朝の光に眩しい。
「友達に借りた」
「借りたの? 大丈夫?」
 借り物という時点で、色々と不安になる私は細かすぎるだろうか。
 さっさと運転席に乗り込んだ貴哉が、運転席横に立ったままの私へ財布を渡してくる。
「金払って来て」
 言われるままに、パーキングの清算へ行く。車を停めてある位置番号を入力し、ロック板を解除してから助手席に乗り込んだ。
 あまり運転に慣れていないからか、貴哉がハンドルを握った車は慎重にパーキングから道路へと出た。当然、貴哉が助手席のドアを開けてくれることなどなく、真面目な顔をしてハンドルを握る表情を見て専務とのギャップに苦笑いが漏れ出る。
「何笑ってんだよね」
 真剣な顔を崩さないながらも、笑いを見逃さないあたりが貴哉だ。
「なんでもない」
 助手席で可笑しさをかみ殺していると、信号待ちでハンドルから左手を離し、指を伸ばして音楽をかけた。ボタンひとつでかかった曲は今流行っているもので、「ミーハーだな」なんて、車を貸してくれた相手のことを笑っていた。
 車は高速を軽快に走り、ミーハーな音楽と笑っていた割には、気分よく口ずさむ貴哉の隣で、私も時々ハミングしていた。途中のサービスエリアで遅くなった朝食を軽く摂り、また車を走らせる。
 高速を降りた先は山間で、クネクネと峠のような道を奥へ奥へと進んでいった。そうやってしばらく行った先に見えた建物に、私の目が輝いた。
「俺って、優しくね?」
 ケタケタと声を上げ、駐車場に車を止める。
「ワイナリーなんて、貴哉にしてはおしゃれなこと思いついたね」
 目を輝かせたまま冗談を言ったら、一言余計だとおでこを突かれた。中に入っていくと、しっかり予約も入れてくれていたようで、すぐに案内された。
 建物に入るとたくさんのワインが明るい店内にこれでもかっていうくらいに飾られていて、ディスプレイ用だろうか、蛇口のついた小さめの樽もいくつか置かれていた。よく見たら小さなカップが横に積まれ用意されているから、試飲ができるのかもしれない。
 ワクワクしながら眺めていたら、ワイナリー見学が始まった。私たち以外に他にも何組かいて、その人たちと一緒にブドウ畑から貯蔵庫までの道を順繰りと辿った。
 ワイナリーの人が説明する言葉を、真剣に聞きながら頭に焼き付けていく。ここで育てているぶどうの種類や熟成方法。ボトルへ詰める工程やラベルの種類。大きな樽から少しずつ試飲もさせてもらい、見学はあっという間に終了した。
「楽しいね」
 ウキウキと踊る心のまま貴哉の顔を見たら、無言の笑みが返ってきたから満更でもなさそうだ。俺って凄いだろう。と心の中で悦に入っているに違いない。
 ワイナリーの後は、ワインや関連商品を販売している広々とした店内を一通り見て回った。その後、すぐ近くにある直営のレストランに向かった。こちらにも予約が入っていた。
 清々しいお天気の中、外を一望できるテラス席に案内される。
 誕生日用に、特別なコース料理が用意されていた。その土地のものと、ワインやブドウを活かした料理が、目に鮮やかで舌に嬉しい。
 車を運転する貴哉は、さっきからブドウジュースで少し可哀想。でも、ワイングラスに注がれているから、色もワインと同じようなもので、私としては一緒に飲んでいるみたいに楽しい。
 美味しくて嬉しくて、笑みが絶えず。料理を口にしては自然を眺め、目の前の貴哉に笑みを向けていた。
「酔ってんのか?」
「どうして?」
「さっきからニコニコしたままだから」
「嬉しいからだよ。すごく嬉しい。貴哉がこんな素敵な場所に連れてきてくれたことも、私の仕事のことを考えてくれてるんだろうなってことも。すごく、すごく素敵で嬉しいの」
 素直に感想を述べたら、貴哉は少しばかり俯いてしまった。きっと照れくさいのだろう。
「やっぱり酔ってるよ。千夏は」
 そうかもしれない。いつもは出来ない嬉しい気持ちを、素直に伝えられるんだもん。
「千夏の育った町は、こんな感じなのか?」
 貴哉は、テラス席から見える広大なブドウ畑の広がる自然に目をやる。遠くまで広がる雲の少ない青空。ブドウ畑の切れ間には、深い緑に覆われた山たち。これでもかっていうくらい目の前に広がっている自然は、東京では絶対に見ることなどできないだろう。
「私の育った町はね、山もあるけど海が近いの。家からいつでも歩いていけるんだよ。水は透き通っていて、沖縄みたいに青くはないけど、波打ち際からでも泳いでいる魚が見えるくらい。小さい頃は、いつも真っ黒に日焼けしてた」
 田舎の話に貴哉が驚き、そのすぐ後にはクツクツと笑いだした。
「今は、死にそうなくらい色白だよな」
 ワンピースから出ている腕を指摘する。
「仕事を始めて、だいぶマシになったと思ってたんだけどな」
 自分の腕を眺めて、少しだけ唇を尖らせた。
 すると貴哉が自分の腕を差し出して比べ始める。
「見ろよ、俺。ちょー健康的な営業焼け」
 楽しそうに腕を見せる貴哉を見ていると、こちらも自然と笑顔が伝染してくる。
「波打ち際に魚か。スゲーな。なんか、映画みたいだな」
 どんな映像を想像しているのか、貴哉は遠くの空に再び視線を移し、青の眩しさに目を細めている。
「海や山の近くで育つと、千夏みたいなのができあがんだな」
 シミジミともらした言葉は、からかっているのかよくわからない。それでもしんみりというには少し違う気がして、わざとおどけてみた。
「千夏みたいのって、なによ~」
 不満な顔で頬を膨らませていたら、貴哉の大きな手が頬に触れた。
「いい意味で」
 頬に触れたまま穏やかで優しい顔をするものだから、一気に熱が上がる。
 数秒止まった時間の中で、まっすぐ見つめる瞳が愛しい。ゆっくりと離れていく手が惜しくなるほど、好きが溢れ出す。
 その手がテーブルの下へと行き、再び現れた時には小さな箱が握られていた。
「おめでとう、千夏」
 驚く私へ、少しだけ照れたようなハニカミ笑顔をした。それを誤魔化すみたいに差し出された小箱を開けるように促され、言われるままに蓋を持ち上げたらキラキラと自然光に輝く石のついた華奢な造りのネックレスが現れた。
「綺麗」
 うっとりしてみていたら、こっちがメインと照れ笑いしている。そうして席を立つと、貴哉がネックレスを首につけてくれた。
 首元にやってきた石にそっと触れれば、幸せすぎてどうにかなりそうだ。
「俺、残業頑張ったから」
 本気なのかわからないけれど、得意げに顎を突き出している。
 忙し過ぎて全然会えなくて、喧嘩もしてつらかったけれど、今はこうして想いに満たされている。
 人って、なんてわがままで、素敵な生き物なのだろう。
「貴哉の時も期待しててね」
 嬉しさのあまり、少し興奮気味に一月にある貴哉の誕生日を持ち出すと、背もたれに寄りかかり腕を組んでいる。
「まー、千夏はニートあがりだから無理すんな。俺の時は、新車で勘弁してやる」
「無理だからっ」
 くだらないやり取りが楽しくて幸せで。そんな気持ちのまま、再び向かう都心への道は、少しだけもう少しだけこのままで、と思わせる寂しさを連れてくる。
 田舎にはない夜のネオンは、相変わらず賑やかで明るくて。夜になるほど活気付いてくる。
 再びマンション近くのパーキングに停めた車から降りれば、夢から覚めてしまったような、はしゃぐ気持ちだけを置き去りにしてきたような切ない気持ちになった。
「楽しい時間が過ぎるのは、早いね」
 マンションに二人で戻り、玄関で靴を脱ぎながら呟くと、俺のお楽しみはこれからだっ、というが早いか、あっという間に唇が奪われた。
 楽しそうにキスをする貴哉がおでこをくっつけて、先にお風呂にする? なんてわざとらしくふざけるから吹き出してしまった。
 転がるように抱き合って、絡み合う二人の体が求め合う。
 素肌の上に輝く石は、この先の未来をも光で照らしてくれている気がした。
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