第3話 二人の蜘蛛

文字数 1,183文字

陽が翳るのも早くなり、道を歩く人も家へ早足へ向かっている。
男はその人の流れにまかせて長い外套をはためかせながら住宅街へ向かっていた。

大きな屋敷が立ち並ぶ住宅街へ来ると狭い脇道を縫い歩き一際大きい屋敷の裏口から鍵を開けて入っていった。
そこが男の目的地。男の居候先だ。

「帰りましたよ〜」
屋敷の中から返事はない。男の明るい声が暗い玄関先に溶けていった。
男は慣れたように明かりのない長い廊下を歩き奥の部屋の前で止まる。
「入りますよ」

煌々と蛍光灯の灯りに照らされた部屋の真ん中、漆塗りの立派な机に書類を広げている少年がいる。その少年を見るや否や男は嬉しそうに「『おかえりなさい』って言ってくださいよ〜」「ご飯はまだですか?」
少年は無表情のまま一瞥をくれるとゆっくりと書類に目を戻し「『おかえり』、夕食はこれからだ」。
「もしかして俺の帰りを待っててくれたんですか?俺、一緒にご飯食べたかったんですよ」「ご飯の準備しますね。秀貴さん、それ夕食の後でも大丈夫ですか?」
男が早口で捲し立てるが少年は一言「ああ」とだけ答えた。


夕食を食べ終えた二人はそれぞれ書類に向かっていた。夕食前から夕食中、食べ終えた後になっても男は一方的に喋り続けていた。
「斥候っていいですよね。今回は特に、相手はこちらの動きなんて気にしてないんですから。これくらいでお金が稼げるならみんな軍に入りたいんじゃないですか?まあ激戦地だったら前線に出ますし、先制や強襲にあえば真っ先に死ぬでしょうけど」
喋りながらも手は止まらない。少年が割って入るように口を開いた。
「父さんはどうだった?」
「秀人さんは相変わらずでしたよ。沖津さんも一緒です。軍備拡大、南国のこととか欧州派遣とか色々大変なんだそうです」
「……そうか」
「ならいい」と答えた少年の横顔は先ほどまでの無表情とは違い、なにかの感情が浮かんでいた。
「今度はいつ帰ってくるんでしょうね。まあどこかで隙を見てすぐにでも帰ってくるかもしれませんね」
書類を書き終えた男が少年の方に目をやると少年も机でトントンと書類を揃えていた。
「家に帰ってきたくないかもしれないだろう」
「何故です?」と問う男に少年は大きな目を細めて「僕がいるからだ」。
「貴方がいるから帰りたくない?」
男は心底おかしいようで腹を抱えて笑い始める。
「はは、そんなわけないでしょう?えぇ?あの人が?」
「ないです。俺から見てもそれはないですよ。沖津さんに聴いてみてください。『それはない』って言うでしょうから」
ケラケラ笑う男を「もういい」と不愉快そうにため息をつき書類を机の端に追いやった。


外では虫が鳴き始めて、少し開けた障子から涼しい風が入ってくる。
「鬼蜘蛛」と呼ばれる男と共に生活する少年もまた「鬼蜘蛛」という。
だがそこにいるのは「鬼」でも「蜘蛛」でもなく、機嫌の悪い少年と半笑いで慰める男がいるだけだった。
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