第18話 多くを知る

文字数 2,234文字

寒さ厳しく鼻先が真っ赤になった少年は自身の部下を引き連れ郊外の酒場にやってきていた。ならず者がたむろするこの場所に不釣り合いな少年に隣の補佐官は再三確認する。
「良いんですか?建物も人も本当に綺麗じゃないですよ」
ここにくるまでの道中何回も言われたのだろう少年は少し面倒臭そうにしていた。
「いいと言っただろう。邪魔になるなら帰るが」
「邪魔にはなりませんがね……貴方のお父上に小言は言われますね。俺が」
懸念材料があるようでずっと歯切れが悪い。少年はその補佐官の態度に何かあるならさっさと言えと不満げでいた。

そうこうするうちに例の酒場に到着する。店に入るとタバコの煙が充満しタバコと土、そして酒の匂いで少年は帽子の下で眉を顰めた。
この酒場には腕と信頼のある情報屋がいるようで少年は社会勉強という名目でついてきたのだった。広いものの机と人でごった返した店内にあるカウンター席の1番奥に情報屋は週末になると現れる。人と物の間を慣れた様子で歩く補佐官について歩くと一人端にフードを目深に被った男がいる。それこそ件の情報屋だった。
情報屋と話をしている間、少年は珍しく落ち着かない様子で辺りを見渡していた。それもそのはず、こんな場末の酒場に来たことはないのだ、全てが物珍しい。
そしてそれは客のならず者も同じようで、多くの者が酒を煽りながらチラチラと視線を少年に送っていた。

情報屋との話が終わったところで周りから声がかかる。
「坊やどうしてこんなところにいるんだ?金でも稼ぎにきたか?」
「ついでだオレの酒を注いでくれよ」
などと口々に言葉を飛ばし、調子が良くなったのかその言葉はだんだん汚らしくなっていく。
「オレは男もいける口なんだちょっと顔見せな」
「有金全部やるから体貸してくれよ」


「早く出ましょう。貴方のいる場所じゃない」
小声で補佐官に促され少し早足で出口を目指すとすれ違いざまの男が少年の体に腕を伸ばしてきた。避けたものの帽子を取られ少年は足止めを食らうことになった。
「おいおい……こんなキレイなガキその辺にいねぇよ」
少年の顔を見るなり周りの男達は驚きの声を上げたりニヤニヤと下卑た笑い声をあげたりし始めた。
「よっぽど育ちのいい坊ちゃんだなこれ」「いいな上等な味がしそうだ」
どんな状況下でも冷静な少年は下品下劣な視線と言葉を一身に受けると流石に居心地の悪さを感じていた。早くこの場を去りたいが四方八方をならず者に囲まれ動くに動けない。そんな中、一人の男が少年に触れようとした、その時。
「触れるな下郎が」
気づいた時には少年に伸ばした腕を反対に曲げられていた。男は遅れて悲鳴をあげていたが、補佐官にはそんなことお構いなしに周りの男達にも聞こえる声でこう言った。
「この子どもに触れるな。殺すぞ」

なんと安っぽい脅し文句だろうか。しかしこの声の主から出る異常なまでに冷たくて強い殺気にその手のことには小慣れているならず者は皆悟った。
“あぁ本当に殺される”と。
その声が聞こえないであろう遠くにいた男達でさえもその異様な雰囲気を察して店内は水を打ったように静かになった。


「だ〜から嫌だったんですよ〜!」
店外では先ほどまでの雰囲気などどこにもなく冬の青空から日差しが降り注いでいる。
「あそこを軍が介入しないのも独自の自治がされているからなんだな。そのほかにも色々勉強になった」
「それはよかったですけどね。俺も勉強になるだろうなとは思ったんですけど、別に知らなくてもいいんじゃないかという気もしてたんです。やっぱりあんなことになりましたし」



「おい“鬼蜘蛛”」
後ろからそう呼びかけるのはさっき話をした情報屋だ。どうやら追いかけてきたらしい。
「その子はどういう関係だ?アンタが人を連れてるなんて初めてじゃないか」
そう問われた補佐官は少年と話していたような柔らかな雰囲気はなく、店内にいた時と同じような雰囲気に戻っていた。
「仕事のことは答えられない」

情報屋が次の問いを逡巡している様子を見兼ねて少年は口を開く。
「なぜ“鬼蜘蛛”だと知っていて生きているのですか?」
情報屋は目をぱちくりさせて「この仕事も長いからそれなりに重宝されてるんだ。全く命懸けだよこっちは」。
続けて情報屋は「というか、それはキミもじゃないか?少年、君は彼の何だい?」と言いかけたところで「仕事のことに口を出すな」と警告を受け口をつぐむ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、そんなことを聞きにきたんじゃない。オレはアンタにこれを渡しにきたんだ」
情報屋は懐からある一冊の本を取り出した。「アンタの一族に関わる本だ。いるんだろ?三ケ坂医師の家から出てきたもんだ」
補佐官はそれを受け取ると黙って踵を返した。少年は補佐官の代わりに礼を言い後ろをついて帰路についた。

「さっきのは何なんだ?」
「これですか?手記ですよ。三ケ坂五郎、三ケ坂弓の父親で、俺の実家の専属医師をしてた人が書いたものです。いつの間にか死んでたので処分に困ってたんですよね」
「捨てるのか?」
「ええ、昔の記録なんて要らないので。見られて損する内容なんて書いてませんが…………俺なりの復讐です」
“復讐”という単語を反芻していると軽快な笑い声が聞こえる。
「気にしないでください。昔のことですから」
「嫌でなければ知りたい。僕は昔のお前のことをよく知らないから」

その言葉に補佐官は「そうですね……」と唸り声をしばらくあげていたが何か付き物が落ちたのか穏やかな様子で「あとで教えてあげますよ」と微笑んだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み