19 薬
文字数 4,714文字
今さっき聞いたばかりのこの清廉な声の主は……。
「何の話をしてるの? 私もいれてくれないかしら?」
何で来たー!!! ルーナの登場に思わず食べていたものを吹きそうになる。グッと抑え込むが今度は気管に入って咳き込んでしまう。
「ゴホッグホッ!」
「アユム大丈夫かよ」
ジェスラが背中をさすってくれる。ルーナは困ったように笑顔を浮かべながら大丈夫? と聞いてくる。大丈夫じゃあないぞ。
「ルーナちゃん! あのファンなんです。握手して貰ってもいいですか?」
ゴヨといえば特にこちらを気にした様子もなく、ルーナに対して握手を求めていた。ルーナもにこやかな笑顔を浮かべながらゴヨの握手に応じる。
「ふふふ、いつも聴いてくれてありがとう」
「はい~!」
彼女の存在を気にしないことにしようと思った矢先にこれだ。一体なぜこちらに来たのだろうか? ゴヨはまるで女の子のようにはしゃいでいる。
「マスター! ルーナちゃんに何か飲み物を!」
「ふふ、ありがとう」
「歌はいいの?」
「休憩よ。休憩」
店内に響くのは緩やかなピアノの伴奏のみ。休憩だというルーナはステージを降り、今ここにいる。
「アユムを知ってるのか?」
「ルービアプラタで会ったことがあるの。久しぶりねえ」
「ルービアプラタで? そうなのか?アユム」
不思議そうなジェスラの言葉にどう答えていいものかと少し悩む。ルーナ達に分からず、ジェスラのみにわかる言葉……。
「汗……」
「は?」
「汗……汗……」
「なあに? 汗がどうかしたの?」
うまい具合にはぐらかせればいいのだが自分はそういうものがうまくはないため、ジェスラのみにわかるであろう単語を繰り返す。どうか伝われ。
「汗? …………あ」
「……わかった?」
「……ああ」
どうやら理解したようで微妙に渋い虎顔へと変わる。大方、カーブロレのことでも思い出しているのだろう。
「なんだなんだ。二人にしか分かんねえ会話すんなよ。あせってなんだ。焦ってんのか?」
「いや、うん、こっちの話だ。続けてお嬢さん」
「そう?」
頭に?を浮かべる二人には悪いと思うが伝わったら伝わったで困るのでどうかそのままの君でいてくれ。
「アユムくんに前会った時、もう一度会えたら名前を教えるって言ったでしょ? だから教えに来たのよ」
「へ、へえ」
どうやら律儀な性格らしいが今に至ってはその律儀さは発揮しないで欲しかった。
「私の名前はルーナ。ルーナ・リカント」
「トウゴウ・アユムです……」
「ふふ、また会えたわね。アユムくん」
「ひゃい」
軽く屈んで目線を合わせられる。自然にこういうことを出来るところが彼女の魅力の一つなのかもしれない。気恥ずかしくて少し目線を逸らした。
「貴方方はなんというお名前なの?」
「ゴヨです!!!」
「ジェスラだ」
「ゴヨさんにジェスラさんね。お仕事は何をされているの?」
「運び屋です! 俺もこいつも」
「運び屋……」
運び屋という言葉に何かを感じたのか、ルーナに少し考え込むような間を感じた。二人は関せず話を続けていたし、ルーナも次第にその話へと混ざっていったが、何か思い当たることでもあったのだろうか。
そうして二人の会話に混ざっていると、ルーナが聞きたいことがあると言い出した。
「ねえ、運び屋さんに聞きたいことがあるのだけれど、いいかしら」
「なんだい?」
「ヴァルレクサという薬はご存知ないかしら」
急にサッと場の空気が変わるのを感じた。聞かれた二人は硬い表情になり、聞いたルーナも何かを秘めたような表情に感じる。
「なぜその薬を?」
ゴヨがそう口を開いた。ジェスラに目配せをしながらルーナの本意を探り始める。
「出どころを探ってる。情報に精通されていると思うから聞いたのだけれど、何か知らないかしら?」
ルーナは飲み物に口をつけながら二人にそう問いを向けた。
ゴヨとジェスラは何か考え込むように口を閉ざしている。二人にとってこの質問は触れてはならないものであったのだろうか?
「お嬢さん、残念だがあんたに教えられる情報はないな」
ジェスラがそう言葉を切り出した。
「それはなぜ」
「危険だ。素人が首突っ込んでいい話じゃない」
「そうだぜ。ルーナちゃんみたいな一般人が扱っていい情報じゃあない」
二人とも硬い雰囲気でルーナの知ろうとしていることを諌める。
「そんなもの知ってどうする」
「仇……それを探している」
「もっと言えねえよ。ルーナちゃん無茶だよそれは。教えた情報が正しいかも分からんし、危ない目に合わせるわけにはいかねえ。誰かの為かもしれないがルーナちゃんのためにはならないよ」
仇とは一体何のことなのだろう。ヴァルレクサという薬が一体どんなものなのか知らないが、彼らがそこまでして止めようとすることは大分危険な薬なのだろうか。麻薬とかそういう類の薬なのかもしれない。
「そう……まあ当たり前か……。ごめんなさいね。無茶なお願いしてしまって」
二人の言葉に何を思ったのかはわからないが、ルーナは案外あっさりと身を引いた。頑なな彼らに自分の知りたい情報はこれ以上得ることは出来ないと思ったのだろうか。
「ねえ、アユムくんはどこに住んでるの?拠点にしてる街とか」
「マルディヒエロだよ」
「ああ、あの工業街ね。行ったこと無いから遊びに行こうかな」
ルーナが話の方向を変えると、二人の雰囲気も幾分柔らかなものへと変わった。
「ルービアプラタでは何をしていたの?」
「……さっき言ったことの情報を集めるためよ。これでも危ない橋、結構渡ってきたんだから」
彼女に初めて邂逅した時、ルーナは男達に追いかけられていたようだった。それがヴァルレクサに関係あることだったのだろうか。危ない橋を渡ってきたという彼女は、どれほどヴァルレクサについての情報が欲しいのだろう。出会ったばかりのゴヨとジェスラに聞いてきたあたり、結構切羽詰まっているのかもしれない。
ふとジェスラを見ると何かを深く考え込んでいるようだった。次いでメモ用紙を取り出して何かを書き込んだと思うと、それを破りルーナへと差し出した。
「マルディヒエロに用があるならここにいくといい」
「なに? インシエンソ?」
インシエンソ? インシエンソとは以前行った紅茶屋ではなかっただろうか? 見知った店の名前を出され一体なんなのだろうと耳を傾ける。
「そこで情報を扱ってる。あんたの知りたいことも何か分かるかもな」
「さっきは駄目だって言ったのにどういう風の吹きまわしかしら」
「目的は違うが、俺もあんたと同じなんでな。何か助けになればいいが」
「同じね……。ふうん……ありがとう。今度行ってみるわ」
同じとは一体どういうことなのだろう。ジェスラとルーナの話に聞き入っていると、ゴヨが焦ったように口を出す。
「おいおいジェスラ、いいのかよ教えちまって!」
ゴヨの言い分は最もだろう。先ほどまで駄目だと言っていたはずなのに突然情報を教えたのだ。不安げなゴヨとは正反対にルーナは明朗にゴヨに返事を返す。
「大丈夫大丈夫、私だって多少は腕に覚えがあるんだから。そんなに心配しないで? でもありがとね、心配してくれて」
「いえいえとんでもない!」
先ほどより幾分か気分が上がったルーナは情報を教えてくれた礼だと言うと歌を歌いだす。再び流れ出した清廉な歌声に店の中は静かになる。この美しい歌声の持ち主は、一体何を抱えているのだろうか。彼女の輝く瞳の中に答えがある気がした。
夜も大分更け、店からの帰り道を辿っていく。ジェスラはほろ酔い気味なのか鼻歌なんて歌っている。そういえば、ルーナとの会話から結構飲んでいたような気がする。
「ジェスラ大丈夫? 飲み過ぎてない?」
「これくらい大丈夫だって。二日酔いにはならんよ」
「ならいいけど」
いい酔い方なのか悪い酔い方なのかはわからないが、本人が大丈夫と言っているのならそうなのだろう。ゴヨとは店の前で別れたが、ゴヨは大分出来上がっていたように感じたので、ゴヨの方こそ心配かもしれない。
「そういや、ルーナさん綺麗だったな」
「え、ああうん、そうだね。綺麗な人だよね」
「あの人から汗を取ったのかと思うとそりゃあ罪悪感あるだろうな」
「……うん」
なぜ今にしてその話題を蒸し返すのだ……。忘れそうになっていた罪悪感がまたしても腹に湧き上がってくる。もしやわざとか。
「ねえそれわざと言ってる?」
「ん? 何がだ?」
「……いや、なんでもないや」
ジェスラのことだ。多分無意識で蒸し返してきたのだろう。親戚の悪気ないおじさんみたいだ……。
前を歩くジェスラを見る。ジェスラは一体何を考えているのだろう。ルーナに薬に繋がる情報を教えた事の真意がよくわからない。
「あのさ、ルーナさんに教えちゃって良かったの? それにあの店紅茶屋さんじゃないの?」
「紅茶屋だが裏で情報も扱ってる。教えたのは、まあ、気まぐれみたいなもんだ」
そんな事初めて知る。特に知ろうとしてもいなかったが、あの穏やかな店主と騒がしい娘がそんな情報を扱っているのだろうか? 未だ知らない店主の夫が関わっているのかもしれない。
「ヴァルレクサってどんな薬なの?」
「麻薬のようなものだ。快楽、それに加え、異常なほどの身体機能の向上。常飲すれば命を削る」
「ジェスラはその薬に関わったことあるの? 例えば運んだとか」
「いや、運んだことはない。だが同業者で扱った事のある奴はいるよ」
「ジェスラは……」
「なんだ」
あの時ジェスラはルーナと同じと言っていた。ルーナは仇を探しているとそう言った。誰か大切な人を失ったのかもしれない。ジェスラは? ジェスラはどうなのだろうか。誰か大切な人を失ったのだろうか?
「ジェスラには、大切な人っていた?」
口をついて出たのはそんな言葉。ハッとして口を噤むがもう遅い。
「……ああ、いたよ。ずっと昔」
落ち着いた声色で話されるが、今ジェスラはどんな表情をしているのだろうか。
「その人たちは、……」
「……死んだよ」
「ごめん俺、何言ってんだろ」
「いいさ、そのうち話す時が来るとは思ってた。……俺はある男を探してる。家族を奪った男を。薬に飲まれ、落ちていった男だ。そいつを殺すことだけを考えてこの十数年生きてきた」
「……」
ジェスラが立ち止まりこちらを振り返る。ジェスラは何かを懐かしむような目をしながらこちらを見る。
あの瞳に秘められた感情は何なのだろう。遠い過去に一体何がジェスラを襲ったのだろう。
「もし、仇が現れたら、ジェスラはその人を殺す?」
「ああ、それだけが俺に残された道だ。それが俺の懺悔であり、弔いだ」
「そ、うか」
ジェスラの言葉に何と返せばいいのかわからない。ジェスラが見てきたものは一体何なのだろう。懺悔であり弔い、きっと重く苦しい枷だ。それに囚われて、今まで何を思ってた生きてきたのだろう。だが、これ以上はきっと俺が踏み込んでいい領域ではないのだ。
「帰るぞ。もう夜も更けてきた。アルマも出してやらんとだし。さあ行くぞ」
ジェスラの笑顔はどこか悲愁を漂わせている。一体彼はその背中にどれだけのものを背負っているのだろう。遠ざかる背中を追いかけながらそう思った。
「何の話をしてるの? 私もいれてくれないかしら?」
何で来たー!!! ルーナの登場に思わず食べていたものを吹きそうになる。グッと抑え込むが今度は気管に入って咳き込んでしまう。
「ゴホッグホッ!」
「アユム大丈夫かよ」
ジェスラが背中をさすってくれる。ルーナは困ったように笑顔を浮かべながら大丈夫? と聞いてくる。大丈夫じゃあないぞ。
「ルーナちゃん! あのファンなんです。握手して貰ってもいいですか?」
ゴヨといえば特にこちらを気にした様子もなく、ルーナに対して握手を求めていた。ルーナもにこやかな笑顔を浮かべながらゴヨの握手に応じる。
「ふふふ、いつも聴いてくれてありがとう」
「はい~!」
彼女の存在を気にしないことにしようと思った矢先にこれだ。一体なぜこちらに来たのだろうか? ゴヨはまるで女の子のようにはしゃいでいる。
「マスター! ルーナちゃんに何か飲み物を!」
「ふふ、ありがとう」
「歌はいいの?」
「休憩よ。休憩」
店内に響くのは緩やかなピアノの伴奏のみ。休憩だというルーナはステージを降り、今ここにいる。
「アユムを知ってるのか?」
「ルービアプラタで会ったことがあるの。久しぶりねえ」
「ルービアプラタで? そうなのか?アユム」
不思議そうなジェスラの言葉にどう答えていいものかと少し悩む。ルーナ達に分からず、ジェスラのみにわかる言葉……。
「汗……」
「は?」
「汗……汗……」
「なあに? 汗がどうかしたの?」
うまい具合にはぐらかせればいいのだが自分はそういうものがうまくはないため、ジェスラのみにわかるであろう単語を繰り返す。どうか伝われ。
「汗? …………あ」
「……わかった?」
「……ああ」
どうやら理解したようで微妙に渋い虎顔へと変わる。大方、カーブロレのことでも思い出しているのだろう。
「なんだなんだ。二人にしか分かんねえ会話すんなよ。あせってなんだ。焦ってんのか?」
「いや、うん、こっちの話だ。続けてお嬢さん」
「そう?」
頭に?を浮かべる二人には悪いと思うが伝わったら伝わったで困るのでどうかそのままの君でいてくれ。
「アユムくんに前会った時、もう一度会えたら名前を教えるって言ったでしょ? だから教えに来たのよ」
「へ、へえ」
どうやら律儀な性格らしいが今に至ってはその律儀さは発揮しないで欲しかった。
「私の名前はルーナ。ルーナ・リカント」
「トウゴウ・アユムです……」
「ふふ、また会えたわね。アユムくん」
「ひゃい」
軽く屈んで目線を合わせられる。自然にこういうことを出来るところが彼女の魅力の一つなのかもしれない。気恥ずかしくて少し目線を逸らした。
「貴方方はなんというお名前なの?」
「ゴヨです!!!」
「ジェスラだ」
「ゴヨさんにジェスラさんね。お仕事は何をされているの?」
「運び屋です! 俺もこいつも」
「運び屋……」
運び屋という言葉に何かを感じたのか、ルーナに少し考え込むような間を感じた。二人は関せず話を続けていたし、ルーナも次第にその話へと混ざっていったが、何か思い当たることでもあったのだろうか。
そうして二人の会話に混ざっていると、ルーナが聞きたいことがあると言い出した。
「ねえ、運び屋さんに聞きたいことがあるのだけれど、いいかしら」
「なんだい?」
「ヴァルレクサという薬はご存知ないかしら」
急にサッと場の空気が変わるのを感じた。聞かれた二人は硬い表情になり、聞いたルーナも何かを秘めたような表情に感じる。
「なぜその薬を?」
ゴヨがそう口を開いた。ジェスラに目配せをしながらルーナの本意を探り始める。
「出どころを探ってる。情報に精通されていると思うから聞いたのだけれど、何か知らないかしら?」
ルーナは飲み物に口をつけながら二人にそう問いを向けた。
ゴヨとジェスラは何か考え込むように口を閉ざしている。二人にとってこの質問は触れてはならないものであったのだろうか?
「お嬢さん、残念だがあんたに教えられる情報はないな」
ジェスラがそう言葉を切り出した。
「それはなぜ」
「危険だ。素人が首突っ込んでいい話じゃない」
「そうだぜ。ルーナちゃんみたいな一般人が扱っていい情報じゃあない」
二人とも硬い雰囲気でルーナの知ろうとしていることを諌める。
「そんなもの知ってどうする」
「仇……それを探している」
「もっと言えねえよ。ルーナちゃん無茶だよそれは。教えた情報が正しいかも分からんし、危ない目に合わせるわけにはいかねえ。誰かの為かもしれないがルーナちゃんのためにはならないよ」
仇とは一体何のことなのだろう。ヴァルレクサという薬が一体どんなものなのか知らないが、彼らがそこまでして止めようとすることは大分危険な薬なのだろうか。麻薬とかそういう類の薬なのかもしれない。
「そう……まあ当たり前か……。ごめんなさいね。無茶なお願いしてしまって」
二人の言葉に何を思ったのかはわからないが、ルーナは案外あっさりと身を引いた。頑なな彼らに自分の知りたい情報はこれ以上得ることは出来ないと思ったのだろうか。
「ねえ、アユムくんはどこに住んでるの?拠点にしてる街とか」
「マルディヒエロだよ」
「ああ、あの工業街ね。行ったこと無いから遊びに行こうかな」
ルーナが話の方向を変えると、二人の雰囲気も幾分柔らかなものへと変わった。
「ルービアプラタでは何をしていたの?」
「……さっき言ったことの情報を集めるためよ。これでも危ない橋、結構渡ってきたんだから」
彼女に初めて邂逅した時、ルーナは男達に追いかけられていたようだった。それがヴァルレクサに関係あることだったのだろうか。危ない橋を渡ってきたという彼女は、どれほどヴァルレクサについての情報が欲しいのだろう。出会ったばかりのゴヨとジェスラに聞いてきたあたり、結構切羽詰まっているのかもしれない。
ふとジェスラを見ると何かを深く考え込んでいるようだった。次いでメモ用紙を取り出して何かを書き込んだと思うと、それを破りルーナへと差し出した。
「マルディヒエロに用があるならここにいくといい」
「なに? インシエンソ?」
インシエンソ? インシエンソとは以前行った紅茶屋ではなかっただろうか? 見知った店の名前を出され一体なんなのだろうと耳を傾ける。
「そこで情報を扱ってる。あんたの知りたいことも何か分かるかもな」
「さっきは駄目だって言ったのにどういう風の吹きまわしかしら」
「目的は違うが、俺もあんたと同じなんでな。何か助けになればいいが」
「同じね……。ふうん……ありがとう。今度行ってみるわ」
同じとは一体どういうことなのだろう。ジェスラとルーナの話に聞き入っていると、ゴヨが焦ったように口を出す。
「おいおいジェスラ、いいのかよ教えちまって!」
ゴヨの言い分は最もだろう。先ほどまで駄目だと言っていたはずなのに突然情報を教えたのだ。不安げなゴヨとは正反対にルーナは明朗にゴヨに返事を返す。
「大丈夫大丈夫、私だって多少は腕に覚えがあるんだから。そんなに心配しないで? でもありがとね、心配してくれて」
「いえいえとんでもない!」
先ほどより幾分か気分が上がったルーナは情報を教えてくれた礼だと言うと歌を歌いだす。再び流れ出した清廉な歌声に店の中は静かになる。この美しい歌声の持ち主は、一体何を抱えているのだろうか。彼女の輝く瞳の中に答えがある気がした。
夜も大分更け、店からの帰り道を辿っていく。ジェスラはほろ酔い気味なのか鼻歌なんて歌っている。そういえば、ルーナとの会話から結構飲んでいたような気がする。
「ジェスラ大丈夫? 飲み過ぎてない?」
「これくらい大丈夫だって。二日酔いにはならんよ」
「ならいいけど」
いい酔い方なのか悪い酔い方なのかはわからないが、本人が大丈夫と言っているのならそうなのだろう。ゴヨとは店の前で別れたが、ゴヨは大分出来上がっていたように感じたので、ゴヨの方こそ心配かもしれない。
「そういや、ルーナさん綺麗だったな」
「え、ああうん、そうだね。綺麗な人だよね」
「あの人から汗を取ったのかと思うとそりゃあ罪悪感あるだろうな」
「……うん」
なぜ今にしてその話題を蒸し返すのだ……。忘れそうになっていた罪悪感がまたしても腹に湧き上がってくる。もしやわざとか。
「ねえそれわざと言ってる?」
「ん? 何がだ?」
「……いや、なんでもないや」
ジェスラのことだ。多分無意識で蒸し返してきたのだろう。親戚の悪気ないおじさんみたいだ……。
前を歩くジェスラを見る。ジェスラは一体何を考えているのだろう。ルーナに薬に繋がる情報を教えた事の真意がよくわからない。
「あのさ、ルーナさんに教えちゃって良かったの? それにあの店紅茶屋さんじゃないの?」
「紅茶屋だが裏で情報も扱ってる。教えたのは、まあ、気まぐれみたいなもんだ」
そんな事初めて知る。特に知ろうとしてもいなかったが、あの穏やかな店主と騒がしい娘がそんな情報を扱っているのだろうか? 未だ知らない店主の夫が関わっているのかもしれない。
「ヴァルレクサってどんな薬なの?」
「麻薬のようなものだ。快楽、それに加え、異常なほどの身体機能の向上。常飲すれば命を削る」
「ジェスラはその薬に関わったことあるの? 例えば運んだとか」
「いや、運んだことはない。だが同業者で扱った事のある奴はいるよ」
「ジェスラは……」
「なんだ」
あの時ジェスラはルーナと同じと言っていた。ルーナは仇を探しているとそう言った。誰か大切な人を失ったのかもしれない。ジェスラは? ジェスラはどうなのだろうか。誰か大切な人を失ったのだろうか?
「ジェスラには、大切な人っていた?」
口をついて出たのはそんな言葉。ハッとして口を噤むがもう遅い。
「……ああ、いたよ。ずっと昔」
落ち着いた声色で話されるが、今ジェスラはどんな表情をしているのだろうか。
「その人たちは、……」
「……死んだよ」
「ごめん俺、何言ってんだろ」
「いいさ、そのうち話す時が来るとは思ってた。……俺はある男を探してる。家族を奪った男を。薬に飲まれ、落ちていった男だ。そいつを殺すことだけを考えてこの十数年生きてきた」
「……」
ジェスラが立ち止まりこちらを振り返る。ジェスラは何かを懐かしむような目をしながらこちらを見る。
あの瞳に秘められた感情は何なのだろう。遠い過去に一体何がジェスラを襲ったのだろう。
「もし、仇が現れたら、ジェスラはその人を殺す?」
「ああ、それだけが俺に残された道だ。それが俺の懺悔であり、弔いだ」
「そ、うか」
ジェスラの言葉に何と返せばいいのかわからない。ジェスラが見てきたものは一体何なのだろう。懺悔であり弔い、きっと重く苦しい枷だ。それに囚われて、今まで何を思ってた生きてきたのだろう。だが、これ以上はきっと俺が踏み込んでいい領域ではないのだ。
「帰るぞ。もう夜も更けてきた。アルマも出してやらんとだし。さあ行くぞ」
ジェスラの笑顔はどこか悲愁を漂わせている。一体彼はその背中にどれだけのものを背負っているのだろう。遠ざかる背中を追いかけながらそう思った。