09 水仙の時計-2

文字数 2,124文字

 家まで帰ると、見覚えのある後ろ姿が、扉が開け放たれた玄関に見えた。あの長く大きなツノ言えば彼しか思い当たらない。近付く気配に気が付いたのか、ピンと立った耳をピクっと反応させながらこちらを振り返った。

「ああ、君。この前の」
「どうも……」

 神経質そうな鹿のファーリィ(獣人)は俺に気が付くと会釈をし、俺もそれに習うように会釈で返す。開け放たれた扉の奥にはジェスラがおり、どうやら彼の対応をしている最中だったようだ。

「アユム帰ったのか。裏から入ってこい」
「うん」

 ジェスラに言われたとおり、仕事用ではない方の玄関の方の回り込み、家の中に入る。恐らくお茶を入れてくれと頼まれるだろうと思い、荷物が乱雑に置かれた廊下や部屋を通り抜けキッチンを目指す。いつも通る度に思うのだが、依頼品をこんな適当な扱いでいいのだろうか。今度ジェスラに荷物の扱いについて異議を申し立てるべきかもしれない。
 荷物の処遇について考えるうちにキッチンに着く。水を出し手を洗っている最中にジェスラから思ったとおりの声がかかり、やかんに水を汲み火にかける。以前のとおり、紅茶でいいだろうか、以前ははっきり言って不味いし、あの鹿も飲んでは行かなかったが今度こそはと妙な意地が出張る。椅子に乗り自分の身長では届かない棚にある茶葉を探す。
 茶葉をキャディスプーンで計り、ティーポットに入れる。カップとソーサー、スプーンにミルクと砂糖を用意して、沸いたお湯を注いで数分待つ。今度こそはうまく入れてやる、という意地で出来たこのお茶は果たして美味しいんだろうか。

 ノックをし応接間へと入ってゆく。扉を開けると以前と同じようにジェスラと鹿のファーリィはソファに座り、二人で話し合っていた。

「失礼します」
「ああ、どうも。これ、ここで確認してもよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ」
「では、失礼して……」

 二人の前に紅茶などを置こうとすると、ちょうど良く依頼品の件になって居たらしく、鹿の依頼人が箱を開けようとしていた。あれだけ精神的に苦労したのだからそれはそれは良いものなのだろうと思い、こっそりと様子を伺うと、おお……と感嘆の声が鹿から零れた。

「ああ、思ったとおり素晴らしい作りだ」
「それは良かった」
「ええ、蓋の水仙の花も美しいですが、この私の銀細工の肖像なんて最高じゃあないですか!」

 ……ん?銀細工の、肖像? 懐中時計の蓋を開けながら、鹿のファーリィはうっとりとしたいように中を見ている。蓋に描かれているのは見たところ、彼が言うように水仙なのだろう。何らかの花が美しい銀細工によって描かれている。彼の言う肖像というものは見えないが、蓋の内側にあるのだろうか。

「ああ、私の美しさはどんなものに写しても美しい。実際に私が行って、私を見て貰いながら描いて貰おうとも思ったのですが、それでは私の美しさに描き手が倒れてしまうかもしれないと思って、写真を送ったんですよ。ああ、本当に良い職人ですねえ、カーブロレは。写真のみでこんなに私の美しさを再現してくれるなんて、特にこのツノ、とても美しいと思いませんか? この艶めきや形の美しさ。銀細工の美しさは私をさらに輝かせるのですね。ああ、なんて事なんでしょう。私の美しさは陰ることを知らないようですよ。いやはや、本当にありがとうございます。ジェスラさん」

「え、ああいえ、私どもは己の仕事を全うしただけですので……」

 語り出した鹿のファーリィに、ジェスラは一瞬ばかり引いた様子を見せるが、何とかうまく繕うと今までに見た中で最高と思われるような、虎の顔を恐らくは、恐らくはだが爽やかな笑顔に変えながら謙遜を言う。が、鹿の彼は時計の方に夢中のようで対して気にする様子もなく時計に見入っている。

「ああそうだ。これから用事があるのでした。 報酬は口座の方に振り込んでおきますね。ジェスラさん。機会がありましたらまた利用させて頂きますよ。本当にありがとうございました」

 鹿のファーリィは一瞬何かを思い出したようにすると、荷物をまとめて出し、部屋を出て行く準備をし始めた。

「美しい私に夢中の方が待っているのでね。ではこれで」

 そう言うと前のようにツノを扉のヘリにぶつけないよう大袈裟にくぐりながら、外へと出て行く。ジェスラも見送りのために後を追い、俺はひとり応接間に残された。
 
「……」

 遠くで聞こえるジェスラ達の声を聞きながら、鹿の座っていたソファに座り紅茶をすする。紅茶は相変わらず苦く、己の舌に渋みを残しただけだった。
 なんなのだろう、この言い知れぬ虚無感は。客が喜んでくれる、仕事人冥利に尽きることではないか。いや、それは分かっている。分かっているが、一体、俺のあの精神的苦労は何だったのだろう。若い女性の汗を取って来いなどという、あの変態な願いに本気で悩んだ俺は何だったのだというんだ。あの変態ジジイの気持ちが少しだけ分かってしまった俺は一体……何を得たんだろう。

「あんなツノ、折れちまえばいいのに……」

 苦い紅茶にミルクと砂糖を注ぎながら、ぽつりと呟いた。
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