02 虎の運び屋-2

文字数 2,650文字

  その後、撫でまわしから解放され無事に風呂場へと連れて行かれ、シャワーを浴びながら汚れと疲れを流す。体は若返ったが、精神は10歳以上老け込んだように感じた。
 とんでもない一日だった。細かい傷の痛みを耐えながらも頭と体を洗い、あらかた汚れを落とし終えたところで、シャワーを止めて備え付けの鏡を見る。
 19歳の自分の面影を感じる幼い顔。似ているように感じるが、自分の12、3歳の頃の容姿なんて対して覚えていない。子供特有の可愛さは消え始め、第二次性徴期に入り、一気に大人へと変わり始める時期だ。途中の進化過程なんて、逐一覚えられるわけがない。

 後頭部に手を持って行くと、12歳より前から存在する傷が、そこには残っていた。もしかしたら、とちょっとばかり膨らんだ希望はすぐに消えた。

 縁石に頭をぶつけ、痙攣し泡を吹きながら病院に搬送、十数針縫う結果になったその怪我は、髪の毛は生えてきますよ、大丈夫です。という医者の言葉とは裏腹に、風が吹きすさぶ不毛の頭皮となってしまった。
 そして、多少髪が長ければ見えない頭皮に襲いかかる中学校の運動部という地獄。一年生は坊主にしなければならないという暗黙のルールにより、同級生や先輩だけでなく、初恋の女の子にまでハゲと笑われ、頭皮よりも深い大怪我を、心に負ってしまった。
 いけない。心を惑わされるな。体が縮んだからと言って、傷が消えるわけじゃないんだ。それはわかる。だが、あの時の傷はあまりにも深く心に焼きつき、思い出すたびに精神をえぐってくる。だから俺は決意する。この傷をなんとしてでも隠し通すと!
 決意を秘め、右手を握り締める。そういえば右腕もおかしなことになっていたな……。
 自分のものだとほぼ確信した体に、全くの異物が二の腕から抜い後を残したままぴったりとくっついている。動かしても違和感はなく、自前の腕と大差ない。傷だらけでもわかるすらっとした綺麗な手をしていた。

はクシュン!
 風呂場に響くくしゃみはシャワーを浴びた後、素っ裸で哀愁を漂わせながら鏡の前に突っ立っているということをしたせいで湯冷めをしてしまったようだった。
 体を拭き、いつの間にか脱衣所に置かれていた、この体には大きめの服を着込む。新品と思われるトランクスはなんとか履くことはできるが、またぐらがスースーとし落ち着かない。

 脱衣所を出て、風呂場に来るまでの道を通り、光が漏れ、話し声が聞こえてくる場所に行く。流石に今まで履いていた靴を履くわけにもいかず、衣類とともに置かれていたスリッパを履き、スカスカと安っぽいビニールのすれる音を鳴らしながら歩く。
 リビングと思われる場所にはガンリと、すでに帰ってきていたらしいジェスラが話し合っていた。

「いい誂えだよねえこれ。もー惚れ惚れしちゃうよ。やっぱりカーブロレに頼んだだけあって、一級品だねえ」
「もう一度頼むとか言うなよ。あの偏屈ジジイが駄々こねるせいで、お得意様との契約切れかけるとこだったんだからよ。もう二度と行かん」

 ソファに座るガンリはうっとりと手に持つ懐中時計のようなものを眺めながら、デザインがどうこうを熱く語り始めた。
 ジェスラは虎の顔を歪めながら、適当に相打ちをうっている。廊下から顔を覗かせるこちらに気がついたようで、歪んでいた虎顔をこころなしか輝かせこちらに近づいてきてた。頭にかけたタオルの上からぐしゃぐしゃと髪をかき乱されるがゴリゴリと何かが当たってやけに痛い。

「遅かったな! 随分長風呂だった」
「汚れ、なかなか落ちなくて」

 適当なことを言いながら、右手でジェスラの腕をのけ、リビングに足を踏み入れる。ガンリもこちらに気がついたらしく、にこにこと上機嫌に話しかけてきた。

「いやあ、小さめのひっつかんできたけれど、やっぱり服でかかったね。お、下着は安心してくれ! 未使用だ!」
「着れりゃあなんでもいいだろ。アユム、右腕出せ」
「お前と他人を一緒にすんなっつうの!」

 ジェスラに噛みつくガンリの言葉に、心の内で同意しながら、少し躊躇したが黙って右腕を差し出す。

「ほー、その腕がさっき言ってた。長袖着てたから気がつかなかったけれど、確かに色が違うなあ。それに大きさもちょっと右手の方がでかい」
「ああ、妙に気になってな。腕、まくってもいいか」
「あ、はい」

 俺が風呂に入っていた間にでも、俺のことを話して居たのか。
 ダボダボとしたTシャツの袖をめくり上げると、風呂場でも確認した縫い跡が現れ、ガンリが思案顔でううんと唸り声をあげた。

「縫合跡があるのか。なんともまあ、綺麗にくっついてんねえ。怪我したというより、スパッと切って入れ替えただけ、みたいな」
「この傷に覚えは?」

 覚えは全くない。そもそも、この世界にいる理由すらわからない。だんまりとしながら、首を横に振る。だが、腕が全く別のものになっているというのなら、ジェスラもではないか? 彼の左腕の肘から伸びる手は人間と全く同じ滑らかな肌の腕だ。虎の毛に覆われている右腕とは全く違う。親指と薬指、小指に指輪をしている大きな手。

「ジェスラさんの腕だって左腕と右腕違うじゃないですか。それもこんな感じに、くっつけたとかじゃあないんですか?」
「なーに言ってんだこの子」

 ガンリはわけがわからないとでも言うように、しかめっ面でジェスラに答えを求める。

「こいつ、俺と出会った時、ファーリィ(獣人)にあったことが無いって言うんだ。そんなのあり得ないだろう」
「あったことがないぃ?なんじゃあそら。冗談にすらなんねえぞ」
「違うんですか?」
「ああ、違う。俺たちには、ヒューマとファーリィの特徴が混ざっていることなんて、当たり前だ」

 またわからない単語が出てきた。ファーリィは、"獣人"だという意味だとは最初出会ったときに聞いた。おそらく響きから"人間"という意味なのだろう。

「この子本当にわからないのか?なんともそりゃあけったいな」
「しかも、ここに来るまで隠れて来たからな。俺たち以外の人間にあったことがない」
「はー、そりゃまあ。実際に目にしたのがお前だけじゃあな」

そう言うとガンリは履いていた左脚のブーツの紐をいそいそと緩め始め、白熱灯の橙がかった光の元に、その脚を晒した。
 人の脚と見紛うことは決してないであろう、鮮やかな羽毛とうろこに包まれた足が、そこにはあった。
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