20 セレーブロ

文字数 6,158文字

 机に向かい、頬杖をついてぼんやりと部屋を見渡す。窓から差し込む陽の光が横顔を照らし、少しばかり眩しい。

 歓楽街アレグノーチアからの仕事を終えマルディヒエロに昨日帰ってきた。仕事内容は変わらずアレグノーチアからの運び屋仕事を受け、小さな町を転々としながら依頼を終わらせた。マルディヒエロへの運びものは数個あるが、それも仕事の締め切り前についたので今日は特に仕事を与えられるでもなくのんびりとした日だった。

「何考え込んでんの?」

 目の前の机に止まっているアルマが口を開く。暇そうに羽繕いをしているが、そう指摘するとこれでも忙しいと憤る。

「どうせジェスラのことでも考えてるんでしょ」
「なんで分かるんだよ」
「あーヤダヤダ。他人のことなんかで悩んじゃって。君がどうこうできることでもない癖に」

 アルマの言う通りジェスラの事を考えていた。ジェスラは仇を探している。それに自分にできる事などありはしないだろうし、ましてやあれは個人的な問題だ。自分が手出ししていい問題ではないだろう。
 ガンリなら過去のジェスラに何があったのか、答えを知っているかもしれないが、正直聞くのは憚られる。
 だからこうして黙々と何かできることはないのかと考え込んでいるのだが、答えは見つかりそうにはない。

「おーい、アユムーいるかー」
「呼んでるよ。さっさと行ってきたらどうなの」
「はいはい」

 ジェスラに呼ばれリビングへと向かう。リビングではジェスラがソファに座りながらコーヒーを飲んでいた。何か用かと聞けば、これから配達に行って欲しいと頼まれた。

「今日は休みじゃなかったの?」
「いやあ、さっき電話があって今日届けて欲しいって言われてな」
「そうなの。どこに届ければいい?」
「ベルパドのところだ。珍しい香辛料だってんで頼まれてたんだが、俺はこれから行かなきゃいけないところがあるから、お前に頼みたいんだ」

 ベルパドの店に届けて欲しいと頼まれ二つ返事で引き受ける。特にやることもないし、外に出て気分転換もいいだろう。ジェスラから紙袋に入った届け物を受け取り、部屋に戻り支度する。するとアルマが肩に止まってきた。

「ジェスラ何だって?」
「届け物して欲しいってさ」
「僕も連れてけ!」
「はいはい、じゃあバッグの中入ってろよ」
「わーい!!」

 バッグの中に入っているよう言えば特に文句もなく嬉々として壁にかかってるバッグの中へと滑り込んで行った。
 帽子を取り頭に被る。後は特に着替えるでもなくそのままの服装でいいやとバッグを背にかける。

「ジェスラー行ってくるね」
「おう、行ってらっしゃい。頼んだぞー」

 玄関からジェスラへ声をかけるとリビングから顔だけ出し声をかけられた。
 薄暗い玄関から出ると空は晴れ晴れとしており眩しい。

 家から続く細い道を抜け大通りへと出る。相変わらず人通りは多いが、ベルパドの店は最初に行った時以外にも何度か訪れているので、特に道に迷うことも無く行くことが出来るだろう。

「見つけた」

 ふと喧騒の中に聞こえた一つの声。その声にゾッと寒気がした。
 恐る恐る振り返れば、そこにいたのは銀色の長い髪に薄褐色の肌を持つ少女。琥珀色の瞳のをこちらに向け一人佇んでいる。
 あの子だ。蘇るのは一つの記憶。そぼ降る雨の中、自分の首を絞め上げる一人の少女。暗い憎しみを向けるあの目が忘れられない。
 なぜここに居るのだろう。固まる体をどうすることもできず、ただ立ちすくむ。

 何も出来ずに居るとゆっくりと一歩ずつ近づいてくる。一歩また一歩と近づいてくるたび、冷ややかなあの目に吸い込まれそうになる。

「アユム!!」

 いきなり聞こえたその声にハッと現実に戻された。アルマの声だ。
 バッと人を押しのけ少女と反対側に走りだす。

「あの子が居たんだね? 早く逃げなきゃ!」
「逃げてるよ!!」

 バッグの中から若干くぐもった声で話しかけてくるアルマは、バッグの中でもぞもぞと動いて居る。
 どこかに逃げなければ、だがどこに逃げればいいんだろう。
 振り返ると少女が追いかけてきていた。だが全力で走っているようにも見えず、一定の距離を保ちながらまるで狩りでもしているかのようだ。
 見知った道を辿りながらどうすればいいのか考える。とりあえず誰かに頼りたいが、家に逃げ込んでもジェスラはもう家を出てしまっているかもしれないし、ここからではガンリの店も反対だ。今から方向転換しても、走りっぱなしでは途中で捕まってしまうだろう。
 なら、ここから近い場所で頼れる大人は、ベルパドだろうか。

 走り続けベルパドの店への道を選んで行く。息も切れ切れであと少しあと少しと思ったところで、肩に手がかけられ強い力で引っ張られる。

「うわっ!!」

 グンと後ろへ転び、仰向けに倒れた。目の前には少女の顔、下を向いているからか銀色の髪のカーテンがかかり、彼女しか見えなくなる。
 上に股がられ腕を抑えられる。暴れようとするが強い力で押さえつけられ、身動きが取れない。全体重をかけているかのように強い力で首を締め上げられる。

「うぐぅうう」

 呼吸が出来ず絞り出すような呻き声しか出ない。窒息死よりも首の骨を折りにきているのかもしれない。足をバタつかせるがそれも無意味で少女はひるむ様子はない。視界が霞み始め、薄く白んで行く。このままではやばいと思った時、近くに大きな気配を感じた。

「ぐあ!!!」

 突然首元の感覚がなくなる。うまく呼吸出来ずに気道からヒューヒューと音がする。

「アタシの店の前で何やってんだい?」
「べ……ベル、パド!」

 不機嫌そうなその声に安心する。どうやら助けてくれたのはベルパドのようだ。よく見れば、場所もベルパドの店の前だったようだったらしい。どうやら間に合ったようだ。

「あら、アユムじゃない。アンタ一体何したのよ」
「何も、してないですけど!」

 手を差し出されそれに捕まりヨロヨロと立ち上がる。少女はどうやらベルパドに弾き飛ばされたようで少し遠い場所に倒れこんでいるのが見て取れた。
 しばらくすると呻きながら立ち上がり、こちらを睨みつけて来る。

「退けトカゲ。そいつを殺すんだ」
「はあ? 何言ってんだい小娘」
「退け。退かないなら容赦はしない」

 軽く屈むと恐ろしいほどの速さでこちらに飛び込んできた。ビュっと風切り音が聞こえるほどの拳をベルパドに飛ばす。ベルパドは間一髪というところで避け、よろめきながら後ろに後退した。

「あっ、ぶないわねえ!なんなのよアンタ!」
「……」
「アユムに何の用があるかは知らないけどねえ。そっちがその気ならアタシだって容赦しないよ」

 ベルパドが拳を構え、少女を睨みつけた。少女がベルパドへと飛び込むとサッと拳を繰り出した。だが少女は拳をひらりと交わし、ベルパドの顎へ向かって拳を振り上げる。
 拳は顎へ命中し、ベルパドの体が後ろへ傾く。かと思いきや、たたらを踏みながらも踏ん張り体制を立て直した。少女は続けざまに拳を繰り出すが、ベルパドは全て受けきる。少女は距離を取ると回し蹴りをベルパドに食らわせ、ベルパドは唸り声をあげて後ずさる。近くに迫り大振りなアッパーカットを繰り出せば、間一髪でベルパドが躱す。そうして、少女の振り上げた拳によってガラ空きになった腹部に重い突きを打ち込んだ。

「かはっっ!」
「ガキが殺すどうこう言ってんじゃないよ!! ガキならガキらしく喧嘩しな!!」

 少女が後ろに吹っ飛ぶと、いつの間にか集まっていた人の壁が割れ、地面へと突っ込む。ベルパドの突きは効いたらしく、しばらく地面で倒れ伏したままだった。

「君も相変わらず無茶するね」

 落ち着いた声色で少女へ向けられた声。転んだ拍子にでもバッグから出てきたのか、アルマが肩に止まってきた。

「ファルソか……、裏切ったな」
「その名で僕を呼ぶな。……それに裏切ったも何も、僕は最初っから君の味方でもなんでもないよ」

 ファルソとはアルマのことだろうか? 二人の雰囲気は険悪だ。契約関係というから冷めた関係だろうと思っていたが、予想以上に関係は悪いらしい。

「ここじゃあ目立つね。アンタ達、店の中に入りな」

 人の壁が周りを取り囲む。人通りはそこそこ多い通りではあったが、先ほどの騒ぎのせいで人が集まってきたようだ。ベルパドの言うように店の中に逃げた方がいいかもしれない。
 落ちていた届け物を拾い、ベルパドに言われるままに店の中へと入る。後ろには少女がこちらを見たままどこかへ立ち去ろうとする。

「どこに行く気だい。アンタも来るんだよ」

 ベルパドに着ている外套を掴まれ、戸惑うような表情を見せる少女。
 少女の意思というより、首根っこを掴まれ、ベルパドにほぼ引っ張られるような形で店の中に入ってくる。オカマは強い。正直少女と同じ空間にいることが恐ろしいがベルパドには逆らいたくない。
 店はまだ準備中なのか人がおらず、薄暗い。だが厨房からは腹の減るいい匂いが漂ってきて、仕込みの途中だったようだ。

「アンタ名前はなんて言うんだい」
「……」

 ベルパドが少女にそう問いを向ける。少女は店内の椅子に座り込み、何か考え込むように俯くが、一瞬こちらをちらりと流し見た。

「……セレーブロ」
「はあ?」
「私の名前はセレーブロ」
「アンタふざけてんの?」
「悪趣味だなあ。言うに事欠いて、君それを名乗るの?」
「セレーブロ? どういう意味?」
「セレーブロは脳みそって意味だよ」
「脳みそ?」

 セレーブロ、脳みそなんて意味の名前。恐らく、アルマの言葉を聞くに実名では無いのだろう。彼女はなぜそんな名前を名乗ったのだろうか?

「まあいいわ。じゃあセレーブロ、どうしてアンタはアユムを襲ったの」
「……私はただ、自分の右腕を返して欲しかっただけよ」

 セレーブロがひらひらと脱力した右腕を振る。右腕は緑の鱗に包まれたスケイリー(爬虫類人)の腕だ。

「腕え? アンタ腕生えてるじゃない」
「これは私の腕じゃないわ」
「どういうことよ」
「そいつの右腕を見れば分かる」
「んん? アユム、ちょっと右腕いいかしら」

 ベルパドに頼まれ右腕の服を捲る。現れたのは褐色の肌で俺の持つ左腕とは全くの別物だということが一目で分かるだろう。根元辺りまでたくし上げれば、縫合痕のようなものが見える。

「肌の色が違うわね……。これがアンタの腕だって言うの?」
「そう」

 セレーブロは店内を見渡しながらそう答えた。自分に対して、向けていた憎悪の瞳は消え、物憂げな感じに見受けられる。先ほどのベルパドとの攻防から争う意思は見えず、瞳に宿るのは理性的な光だ。

「アユムがアンタの腕奪ったって言うけれど、なんの得があってそんなことするのよ」
「さあ、知らないわ。私だって気が付いたらいつの間にか腕を切られて、違う腕にすげ替えられてたんだもの。理由なんてこっちが知りたい」

 外から差し込む光に長い睫毛が煌めいている。長い髪が日に透けて絵画のような幻想的さを感じる。

「ちょっとアユム聞いてんのかい?」
「あ、聞いてる聞いてる」
「アンタこの子に言いたいことないのかい? 殺されかけたんだよ?」
「言いたいこと?」

 言いたい事というか、聞きたいことなら山ほどある。一体何から聞けばいいのだろう。

「じゃあまず、どうしてここにいるって分かったの?」
「……虎の運び屋がマルディヒエロにいると噂で聞いたから」

 なるほどジェスラか。これがヒューマなら砂漠の針を探すようなことだが、虎の頭を持つファーリィのジェスラの見た目はとても目立つ。それに加え運び屋なんて限定的な職業だ。探すのは簡単だっただろう。
 セレーブロは若干呆れたような表情を見せ、アルマにも小突かれる。

「そんなこと聞いてどうすんのさ。危機感あるの?」
「ごめん、気になって」

 アルマに叱られ居住まいを正す。聞きたい事はちゃんとある。

「その、俺は以前君と会ったことがあるんだよね?」
「……本当に、何も覚えて無いのね……ふふ、私一人で騒いで、馬鹿みたいね」

 セレーブロは自嘲するような笑みを浮かべ、こちらを睨んでくる。

「……ごめん」
「どうしてそこで謝るのよ! ていうかアンタ達初対面であんな事したの!? マー、信じられない!」
「初対面では無いんだけれど、うーん、俺からしたらほぼ初対面かなあ」
「はっきりしないわねえ」

 二人からの目線はキツイがとりあえずセレーブロにはもう争う気は無いようだ。正直最初の質問で呆れられたのだろうが、こちらが本当に覚えていないのだとわかり脱力しているようにも見える。

「俺とセレーブロはどこで出会ったの?」
「……教えないわ。記憶を忘れてのうのうと生きてるお前に教える義理はないもの。答えは、お前自身で見つけることね」

 セレーブロの言う事は最もだと思う。きっと
いつか思い出さなければいけない。

「お前といると、今までの自分がアホらしくなってくる。勝手に忘れて勝手に自問自答して苦しめばいいわ。もう帰って。お前の顔はしばらく見たくない」
「え、帰っていいの?」
「ええ、でも私はいつでもお前の事を殺せるって事、忘れないことね」

 セレーブロが憎悪を湛えた瞳を再びこちらへ向ける。背筋に冷や汗が流れる。恐怖を覚えるこの目を向けられるのは恐らく慣れる事はないのだろう。セレーブロの言葉に頷きながら、本来の目的を思い出す。

「あ、お届け物です。サインお願いします」
「え、ああ、そういや頼んでたものね。はいはい」
「気が抜けるなあ。それわざと?」

 アルマにチネチネとつねられながら届け物を差し出す。サインを待っているとベルパドが話し出す。

「セレーブロ、アンタどっから来たのよ。ここに宿でも取ってるの?」
「いや、宿無しよ」
「ならアンタここで働かない?」
「はあ?」
「アンタの拳強烈だったわ〜。店の中で乱闘しようとする馬鹿がたまにいるから腕っ節強い給仕探してたのよ〜。ねえ働かない?」
「……」

 ベルパドの誘いにセレーブロは目を瞑り、考え込んでいるようだ。

「今までの話だと、どうせアンタまたアユムにちょっかい出しに行くんでしょ? 泊まるとこ無いなら住み込みでいいわ。どう、悪い条件じゃないと思うんだけれど」

 殺しにくるのをちょっかいを出すと表現するのもいかがなものなのだろうと思う。セレーブロは少し笑うと目を開きベルパドの方を見る。

「……いいわ。受けましょう」
「本当〜!? よろしくねえセレーブロ。あ、アタシの名前はベルパド。ここの店主よ」
「……いいのかなあ」

 アルマがポツリと呟く。トントン拍子に話が進み、あっという間にセレーブロがこの店で働くことになった。いいのかなあ、サインを受け取りながらこれから始まるであろう波乱を想像した。
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