【弐拾壱】再会
文字数 2,408文字
薄汚れた刑事とはいえ、弓永は曲がりなりにもTPOは弁えているらしく、喪服姿で、不精たらしい髭も剃り、髪もちゃんと整えていた。
焼香はしないとはいえ、詩織と祐太朗も慎ましい服装に身を包んでいた。今にも消え入りそうな声で詩織は弓永に、自分も同行していいかと訊ねた。弓永は何もいわずに頷いた。
弓永の車に乗り込むと、誰ひとりとして口を開こうとしなかった。弓永は運転に集中し、詩織は助手席で俯いている。祐太朗は後部座席でひとり、外の景色を眺め――
突然、祐太朗が目を見開いて窓ガラスに張りついた。すぐさま窓ガラスを開け、窓から顔を出す。弓永に注意されてもお構いなしで、祐太朗は過ぎ去った通りの風景に目を凝らしていた。何があったのか詩織が訊ねても、祐太朗はただひとこと――いや、何でもない。
通夜の会場に着くと、弓永は祐太朗と詩織を残してひとり通夜の席へ向かった。
弓永の姿が見えなくなるや、祐太朗も車を降りた。詩織は祐太朗を止めようとしたが、祐太朗は詩織の制止も聞かず何かに導かれるようにして通夜の会場周辺の土地を見回した。
甲高い笑い声。その声に引っ張られるように祐太朗と詩織は顔を向けた。
――何その格好! 似合わなッ!
美沙が腹を抱えて笑っていた。
幻覚ではなかった。確かにそこには美沙がいた。
制服姿であどけない笑みを携えてはいるが、制服はボロボロで顔を含む全身にはドス黒いアザが点々とし、内腿には凝固した血の跡が筋を作っていた。
美沙は浮遊霊としてこの世に留まっていたのだ。
――あ、見ないで! 今酷い顔なんだから!
美沙は恥ずかしそうに顔を覆った。
祐太朗は唇を噛み締めて美沙に歩み寄ると、美沙の頬に張り手を見舞おうとした。が、霊となった美沙に祐太朗の張り手は届かない。
――残念でしたぁ。もうその手は通じないよぉーだ。
「クソ馬鹿! 心配ばかり掛けやがって! 人を舐めるのも大概にしろ!」
祐太朗の激昂に美沙の神経にも糸が張る。
――は、何いきなり。マジうざいんですけど。
「もうその手は通じない。それがどういうことかわかるか? テメエは、もう誰の手にも触れられないし、誰かに触れられることもねえんだよ! それなのに――」
祐太朗がいい淀む。通夜の弔問者たちが声を荒げる祐太朗を怪訝そうに見る。詩織が祐太朗を宥めようとするも、祐太朗の興奮は治まらない。
――何そのいい様……、マジムカツク……。別に祐太朗がわたしに……わたしに触るわけじゃないんだからいいジャン!
声を上げて泣く美沙。しかし、その泣き声は祐太朗と詩織にしか届かない。
祐太朗の激昂で会場周辺は慌しい雰囲気に包まれ、それを察知した弓永が走って戻ってきた。悪態をついて運転席に飛び乗りエンジンを掛けると、祐太朗と詩織に乗車するよう促した。ふたりが席についたのを確認すると同時に弓永はアクセルを一気に踏み込んだ。
会場から離れると、弓永は呆れ返って声を荒げた。
「まったく、お前って奴は! このくらいの常識もわからねえのか!」
――アンタみたいな警官がいるからわたしみたいな犠牲者が出るんだよ!
「うるせえ、黙ってろ」
「何かいったか?」フロントミラーに写った弓永の目が後部座席の祐太朗を捉えていた。
「あ、いや……こっちの話だ」祐太朗は、弓永にベロを出す美沙を横目で睨みつけた。
実は車が出る際、美沙も車に飛び乗っていたのだ。が、当然弓永には美沙の姿は見えず、声も聞こえない。祐太朗が美沙に掛けたことばを自分への悪態と捉えるのも無理はない。
「それより、会場のほうはどうだったんだよ?」
フロントミラーに映る弓永の目がスッと横へ逸れた。
「……酷ぇもんさ。薄ら笑いを浮かべたガキどもには弔いの『と』の字もねえし、あの親も大概だよ。たったひとりの娘が死んだっていうのに、まるで他人事。迷惑で仕方がないとでもいいたげでよ。親父はともかく、母親のほうは腹を痛めて産んだガキをあんな風に邪険にできるもんなのかね。あれじゃ美沙って子がかわいそうだ」
ラジオから最新のポップチューンが流れ始めた。流行の女性歌手による、キミはひとりじゃない、世界は愛に満ちている、といった内容の曲だった。
祐太朗は座席に深く腰掛け直し、座席に腕を掛ける振りをしてさめざめと泣く美沙の肩を静かに抱くジェスチャーをした。が、その手が実際に美沙に触れることはなかった。
「まぁ、でも……それをいったら、うちのジジイとババアも大概だけどな」
祐太朗がそういうと、詩織がフロントミラー越しに祐太朗をねめつけた。怒りに満ちた目。が、悲しげに俯く美沙に気づくと、詩織はミラーから視線を外した。
「あぁ、そういやお前の両親、最近大活躍じゃねえか。この前テレビに出てたよ」
「へぇ、あのペテン師、相変わらず調子こいてんな。もしかしたら片田舎のどっかに造った工場で化学兵器と粗悪なアサルトライフルを鋭意製作中かもしれねえぜ。もしお前にあのクズどもを撃ち殺す度胸があるなら、協力す――」
「やめて!」空間を引き裂くような詩織の悲鳴が、祐太朗の口を縫い合わせた。
人生は美しい、この世には希望がある――カーステレオからそんな歌が聴こえてくる。
「流石にいい過ぎだ」弓永が顔を顰めた。「仮にも親じゃねえか。まぁ、それはそれとしても、お前、あのご両親の何がそんなに憎いんだ? 確かにやってることは特殊っちゃ特殊だけど、おれにはそんな悪いことをしてるようには思えねえ。一体、何があったんだよ?」
祐太朗は何も答えなかった。弓永もそれ以上は追求しなかった。
夜のストリートの喧騒を置き去りに、車は闇夜へ消えた。
焼香はしないとはいえ、詩織と祐太朗も慎ましい服装に身を包んでいた。今にも消え入りそうな声で詩織は弓永に、自分も同行していいかと訊ねた。弓永は何もいわずに頷いた。
弓永の車に乗り込むと、誰ひとりとして口を開こうとしなかった。弓永は運転に集中し、詩織は助手席で俯いている。祐太朗は後部座席でひとり、外の景色を眺め――
突然、祐太朗が目を見開いて窓ガラスに張りついた。すぐさま窓ガラスを開け、窓から顔を出す。弓永に注意されてもお構いなしで、祐太朗は過ぎ去った通りの風景に目を凝らしていた。何があったのか詩織が訊ねても、祐太朗はただひとこと――いや、何でもない。
通夜の会場に着くと、弓永は祐太朗と詩織を残してひとり通夜の席へ向かった。
弓永の姿が見えなくなるや、祐太朗も車を降りた。詩織は祐太朗を止めようとしたが、祐太朗は詩織の制止も聞かず何かに導かれるようにして通夜の会場周辺の土地を見回した。
甲高い笑い声。その声に引っ張られるように祐太朗と詩織は顔を向けた。
――何その格好! 似合わなッ!
美沙が腹を抱えて笑っていた。
幻覚ではなかった。確かにそこには美沙がいた。
制服姿であどけない笑みを携えてはいるが、制服はボロボロで顔を含む全身にはドス黒いアザが点々とし、内腿には凝固した血の跡が筋を作っていた。
美沙は浮遊霊としてこの世に留まっていたのだ。
――あ、見ないで! 今酷い顔なんだから!
美沙は恥ずかしそうに顔を覆った。
祐太朗は唇を噛み締めて美沙に歩み寄ると、美沙の頬に張り手を見舞おうとした。が、霊となった美沙に祐太朗の張り手は届かない。
――残念でしたぁ。もうその手は通じないよぉーだ。
「クソ馬鹿! 心配ばかり掛けやがって! 人を舐めるのも大概にしろ!」
祐太朗の激昂に美沙の神経にも糸が張る。
――は、何いきなり。マジうざいんですけど。
「もうその手は通じない。それがどういうことかわかるか? テメエは、もう誰の手にも触れられないし、誰かに触れられることもねえんだよ! それなのに――」
祐太朗がいい淀む。通夜の弔問者たちが声を荒げる祐太朗を怪訝そうに見る。詩織が祐太朗を宥めようとするも、祐太朗の興奮は治まらない。
――何そのいい様……、マジムカツク……。別に祐太朗がわたしに……わたしに触るわけじゃないんだからいいジャン!
声を上げて泣く美沙。しかし、その泣き声は祐太朗と詩織にしか届かない。
祐太朗の激昂で会場周辺は慌しい雰囲気に包まれ、それを察知した弓永が走って戻ってきた。悪態をついて運転席に飛び乗りエンジンを掛けると、祐太朗と詩織に乗車するよう促した。ふたりが席についたのを確認すると同時に弓永はアクセルを一気に踏み込んだ。
会場から離れると、弓永は呆れ返って声を荒げた。
「まったく、お前って奴は! このくらいの常識もわからねえのか!」
――アンタみたいな警官がいるからわたしみたいな犠牲者が出るんだよ!
「うるせえ、黙ってろ」
「何かいったか?」フロントミラーに写った弓永の目が後部座席の祐太朗を捉えていた。
「あ、いや……こっちの話だ」祐太朗は、弓永にベロを出す美沙を横目で睨みつけた。
実は車が出る際、美沙も車に飛び乗っていたのだ。が、当然弓永には美沙の姿は見えず、声も聞こえない。祐太朗が美沙に掛けたことばを自分への悪態と捉えるのも無理はない。
「それより、会場のほうはどうだったんだよ?」
フロントミラーに映る弓永の目がスッと横へ逸れた。
「……酷ぇもんさ。薄ら笑いを浮かべたガキどもには弔いの『と』の字もねえし、あの親も大概だよ。たったひとりの娘が死んだっていうのに、まるで他人事。迷惑で仕方がないとでもいいたげでよ。親父はともかく、母親のほうは腹を痛めて産んだガキをあんな風に邪険にできるもんなのかね。あれじゃ美沙って子がかわいそうだ」
ラジオから最新のポップチューンが流れ始めた。流行の女性歌手による、キミはひとりじゃない、世界は愛に満ちている、といった内容の曲だった。
祐太朗は座席に深く腰掛け直し、座席に腕を掛ける振りをしてさめざめと泣く美沙の肩を静かに抱くジェスチャーをした。が、その手が実際に美沙に触れることはなかった。
「まぁ、でも……それをいったら、うちのジジイとババアも大概だけどな」
祐太朗がそういうと、詩織がフロントミラー越しに祐太朗をねめつけた。怒りに満ちた目。が、悲しげに俯く美沙に気づくと、詩織はミラーから視線を外した。
「あぁ、そういやお前の両親、最近大活躍じゃねえか。この前テレビに出てたよ」
「へぇ、あのペテン師、相変わらず調子こいてんな。もしかしたら片田舎のどっかに造った工場で化学兵器と粗悪なアサルトライフルを鋭意製作中かもしれねえぜ。もしお前にあのクズどもを撃ち殺す度胸があるなら、協力す――」
「やめて!」空間を引き裂くような詩織の悲鳴が、祐太朗の口を縫い合わせた。
人生は美しい、この世には希望がある――カーステレオからそんな歌が聴こえてくる。
「流石にいい過ぎだ」弓永が顔を顰めた。「仮にも親じゃねえか。まぁ、それはそれとしても、お前、あのご両親の何がそんなに憎いんだ? 確かにやってることは特殊っちゃ特殊だけど、おれにはそんな悪いことをしてるようには思えねえ。一体、何があったんだよ?」
祐太朗は何も答えなかった。弓永もそれ以上は追求しなかった。
夜のストリートの喧騒を置き去りに、車は闇夜へ消えた。