【弐拾睦】死人に口あり
文字数 3,344文字
麻奈美が目を覚ましたのは、蜘蛛の巣の張った廃工場の中で、だった。辺りを見回し、身体をまさぐる。傷もなければアザもない。衣服は土埃で汚れていた。
数時間前、麻奈美が塾へ向かう途中のことだった。道端に駐車してあった銀色のバンのドアが突然開き、そこから出てきた目出し帽の三人組に腹部と心臓部を強く圧迫された麻奈美は気を失い、気づけばこんな場所に放置されていたのだ。
立ち上がると、腹部と胸部に痛みが走る。よほど強く圧迫されたのだろう。
麻奈美は呻き声を上げながら立ち上がると、足を引き摺って窓のほうへと寄り、外の様子を窺った。が、ここが五村市内なのかどうかもわからなかった。
くぐもった声で助けを呼んだ。が、反応はない。
だだっ広い工場内、声は反響し、霧のように広がると、霞のように消え入った。
尚も助けを呼んだ。すると、何者かが返事をした。
男性の低い声だった。
麻奈美の前に男が現れた。三〇代半ばくらいだろうか、男は中肉中背で黒い髪は短く刈られており、赤いアロハに使い古しのブルージーンズを着ていた。
「誰?」麻奈美が訊ねると男は射るように麻奈美を見つめたまま、にじり寄ってきた。
「わたしだよ、麻奈美」
麻奈美の表情が強張る。何故、この男は自分の名前を知っているのだろう。引き攣り真っ白くなった顔にはそう書いてあった。
「はぁ? 意味わかんねえんだけど」
麻奈美らしからぬ粗暴な話し方だった。が、男は動じない。
「それがアンタの本性なの? だったら――」
「うるせえな! 誰だって訊いてんだろうが!」
麻奈美の背が壁に接した。男は立ち止まった。
「わたし、美沙、大原美沙。アンタの友達だったマヌケな女だよ」
麻奈美は目を大きく見開き、唇をわななかせた。が、すぐに薄ら笑いを浮かべると、
「は? 何が、わたし、だよ。気持ち悪ぃな。お前、マジ、頭おかしいんじゃねえの?」
大原美沙は死んだ。暴漢に襲われて息絶えた。が、目の前にいるこの男は、こともあろうに大原美沙の名前を騙っている。しかし、男は麻奈美の幼少時代から小、中、高校と一緒に過ごした時間の思い出や互いの秘密を口にしているではないか。
麻奈美と美沙しか知りえない話。麻奈美は凍りついた。
「どうして……そんな……まさか、あの女、わたしの秘密暴露ったのかよ!」
男は首を横に振った。
「どうして人を信じられないの? わたし、そんなことしないよ」
「じゃあ、まさか……」麻奈美のこめかみに汗が伝った。男は頷いた。
「うん、わたし。ごめんね、驚かせちゃって。実はわたし――」
――余計なことをいうな。
「あぁ、ごめん」
「誰と話してるの?」怪訝そうに麻奈美は訊ねた。
「この身体を貸してくれてる人。ほら、この人、見覚えない?」
麻奈美は目を凝らして男を見つめた。驚き、息を飲む。
「甚平の……」
「うん……。でも、残念だよ……」
男――美沙の目から涙が零れ落ちた。
「何が……?」
麻奈美が訊ねても、美沙は何もいわず泣くばかりだった。
美沙の意識の裏で、男――祐太朗が美沙の肩を叩き、彼女を庇うように前に出た。
「親友だと思ってた奴に裏切られてたってわかりゃ、誰だって残念だろうよ。そんなことより、あれを見な」と祐太朗は工場の端っこを指差す。
麻奈美の目にボンヤリとした山のような物が映った。極度の近視である麻奈美には、遠目からではそれが何か確認できず、ゆっくりと警戒しながら山に向かって歩を進めた。
麻奈美は手で口を押さえ、悲鳴を殺した。
黒い山の正体は積みあがった四人の男だった。
「大原美沙を強姦して殺したクズどもだ」
「し、死んでるの?」祐太朗は不敵な笑みを浮かべた。麻奈美は祐太朗の笑みを肯定と受け取ったのか、「じゃ、じゃあ、あなたは美沙の復讐を――」
「そうだ。でも、まだ終わってない」
獲物を狙うような鋭い視線で、祐太朗はさらに麻奈美ににじり寄った。
「終わってない……?」
頷く祐太朗――。
「数時間後、同時多発的集団自殺が発覚する。まずはこのクズ四人組。次にコイツらのリーダーの彼女とかいう五村城南高校の女子生徒とその金魚の糞が二匹。そして、この事件を棚引いたフィクサー。そいつらはご丁寧にも美沙への懺悔を遺書としてしたためている。美沙を殺した犯人と、その裏にいた自分たちの存在を告発した手紙が、な」
麻奈美は静かに笑った。
「な、何だ、犯人って亜美たちだったんだ……。でも、それじゃ……」
麻奈美はハッとした。顔を引き攣らせる麻奈美に対し、祐太朗は余裕の表情を浮かべる。
「足りているな――野添麻奈美。事件の糸を引いていたフィクサーはテメエなんだから」
城南高校に潜入した詩織が学内でさまよう浮遊霊たちから聞いた話によると、麻奈美は亜美たちと裏でつるみ、美沙の悪口やウワサを持ち出し、美沙がグループに対していっていた悪口をリークしては、裏で彼女の評判を落とし、表向きでは麻奈美を嫌っていた亜美たちも、裏では麻奈美と癒着していたのだ。
つまり、美沙の孤独は、自然な物であると同時に、作為的な物でもあったのだ。
当然、美沙と祐太朗が一緒にいた場所を目撃しウワサを広めたのも麻奈美で、塾を休んで美沙を尾行していたのも、美沙にとって都合の悪い情報を手に入れるためだった。
「そんなの憶測だろ!」麻奈美は依然としてしらばっくれる。
――祐太朗、ゴメン、代わって……。
祐太朗の意識の裏で、美沙がいった。心配する祐太朗に、美沙は静かに頷いた。祐太朗は、彼女に身体を譲ってうしろに下がった。
「麻奈美、この人にウソは通じない。全部知ってるんだ。わたしも祐太朗も。だって、この人は――霊界フィクサーなんだから」
霊界フィクサー。そういう名前の裏稼業が存在するとは、クラスでも話題になっていた。
が、それはあくまで都市伝説上の話。まさか霊界フィクサーが本当にこの世に存在していたなんて――それも死んだ大原美沙の霊魂を憑依させて自分の前に現れるとは、麻奈美も思ってもいなかったはずだ。しかし、現実は目の前に堂々と鎮座している。
麻奈美は壊れた玩具のように高笑いし始めた。
「るせぇんだよ、馬鹿女! 霊界フィクサーが何だよ。お前なんか昔から大嫌いだったんだよ! 何をするにしても出しゃばり――」
麻奈美の目が大きく見開かれた。麻奈美の下半身が赤く染まった。
麻奈美の下腹部――その子宮辺りにナイフが突き刺さっていた。
詩織――突き刺さったナイフを抉る。いつものおっとりした雰囲気はなりを潜め、まるで鬼神のように、詩織はその場に倒れた麻奈美に対し、何度もナイフで同じ場所を突いては抉り、を繰り返した。詩織の表情は虚無その物で、感情をまったく感じさせない。
麻奈美の断末魔――美沙は目の前の惨状から目を叛け、祐太朗の肩に縋った。祐太朗は美沙の意識をうしろに押しやり、麻奈美の死体をナイフで何度も抉る詩織の肩を叩いた。
「もういい」詩織は無言で祐太朗を見遣った。
「美沙は、そんなこと望んでない」
終わった。流血とともに。詩織は祐太朗の手を借りて立ち上がると工場から出た。
「派手にやったようだな」
工場の出口で待機していた弓永が、血塗れの詩織を見て顔を歪ませた。
「後は頼んだ。車にタオルあるよな? 借りるぜ」
「おい、ちょっ……」いこうとする祐太朗を引き止めようとすると、詩織が弓永の前で立ち止まった。血塗れの詩織に弓永は圧倒された。が、詩織はちょこんとお辞儀して、
「お手数お掛けして申し訳ありません。よろしくお願いします」
とあいさつすると、祐太朗とともに弓永の車のほうへと歩いていった。
鈴木兄妹の背中をひとり見送る弓永――嘆息した。
「はいはい、よろしくお願いされますよ……」
数時間前、麻奈美が塾へ向かう途中のことだった。道端に駐車してあった銀色のバンのドアが突然開き、そこから出てきた目出し帽の三人組に腹部と心臓部を強く圧迫された麻奈美は気を失い、気づけばこんな場所に放置されていたのだ。
立ち上がると、腹部と胸部に痛みが走る。よほど強く圧迫されたのだろう。
麻奈美は呻き声を上げながら立ち上がると、足を引き摺って窓のほうへと寄り、外の様子を窺った。が、ここが五村市内なのかどうかもわからなかった。
くぐもった声で助けを呼んだ。が、反応はない。
だだっ広い工場内、声は反響し、霧のように広がると、霞のように消え入った。
尚も助けを呼んだ。すると、何者かが返事をした。
男性の低い声だった。
麻奈美の前に男が現れた。三〇代半ばくらいだろうか、男は中肉中背で黒い髪は短く刈られており、赤いアロハに使い古しのブルージーンズを着ていた。
「誰?」麻奈美が訊ねると男は射るように麻奈美を見つめたまま、にじり寄ってきた。
「わたしだよ、麻奈美」
麻奈美の表情が強張る。何故、この男は自分の名前を知っているのだろう。引き攣り真っ白くなった顔にはそう書いてあった。
「はぁ? 意味わかんねえんだけど」
麻奈美らしからぬ粗暴な話し方だった。が、男は動じない。
「それがアンタの本性なの? だったら――」
「うるせえな! 誰だって訊いてんだろうが!」
麻奈美の背が壁に接した。男は立ち止まった。
「わたし、美沙、大原美沙。アンタの友達だったマヌケな女だよ」
麻奈美は目を大きく見開き、唇をわななかせた。が、すぐに薄ら笑いを浮かべると、
「は? 何が、わたし、だよ。気持ち悪ぃな。お前、マジ、頭おかしいんじゃねえの?」
大原美沙は死んだ。暴漢に襲われて息絶えた。が、目の前にいるこの男は、こともあろうに大原美沙の名前を騙っている。しかし、男は麻奈美の幼少時代から小、中、高校と一緒に過ごした時間の思い出や互いの秘密を口にしているではないか。
麻奈美と美沙しか知りえない話。麻奈美は凍りついた。
「どうして……そんな……まさか、あの女、わたしの秘密暴露ったのかよ!」
男は首を横に振った。
「どうして人を信じられないの? わたし、そんなことしないよ」
「じゃあ、まさか……」麻奈美のこめかみに汗が伝った。男は頷いた。
「うん、わたし。ごめんね、驚かせちゃって。実はわたし――」
――余計なことをいうな。
「あぁ、ごめん」
「誰と話してるの?」怪訝そうに麻奈美は訊ねた。
「この身体を貸してくれてる人。ほら、この人、見覚えない?」
麻奈美は目を凝らして男を見つめた。驚き、息を飲む。
「甚平の……」
「うん……。でも、残念だよ……」
男――美沙の目から涙が零れ落ちた。
「何が……?」
麻奈美が訊ねても、美沙は何もいわず泣くばかりだった。
美沙の意識の裏で、男――祐太朗が美沙の肩を叩き、彼女を庇うように前に出た。
「親友だと思ってた奴に裏切られてたってわかりゃ、誰だって残念だろうよ。そんなことより、あれを見な」と祐太朗は工場の端っこを指差す。
麻奈美の目にボンヤリとした山のような物が映った。極度の近視である麻奈美には、遠目からではそれが何か確認できず、ゆっくりと警戒しながら山に向かって歩を進めた。
麻奈美は手で口を押さえ、悲鳴を殺した。
黒い山の正体は積みあがった四人の男だった。
「大原美沙を強姦して殺したクズどもだ」
「し、死んでるの?」祐太朗は不敵な笑みを浮かべた。麻奈美は祐太朗の笑みを肯定と受け取ったのか、「じゃ、じゃあ、あなたは美沙の復讐を――」
「そうだ。でも、まだ終わってない」
獲物を狙うような鋭い視線で、祐太朗はさらに麻奈美ににじり寄った。
「終わってない……?」
頷く祐太朗――。
「数時間後、同時多発的集団自殺が発覚する。まずはこのクズ四人組。次にコイツらのリーダーの彼女とかいう五村城南高校の女子生徒とその金魚の糞が二匹。そして、この事件を棚引いたフィクサー。そいつらはご丁寧にも美沙への懺悔を遺書としてしたためている。美沙を殺した犯人と、その裏にいた自分たちの存在を告発した手紙が、な」
麻奈美は静かに笑った。
「な、何だ、犯人って亜美たちだったんだ……。でも、それじゃ……」
麻奈美はハッとした。顔を引き攣らせる麻奈美に対し、祐太朗は余裕の表情を浮かべる。
「足りているな――野添麻奈美。事件の糸を引いていたフィクサーはテメエなんだから」
城南高校に潜入した詩織が学内でさまよう浮遊霊たちから聞いた話によると、麻奈美は亜美たちと裏でつるみ、美沙の悪口やウワサを持ち出し、美沙がグループに対していっていた悪口をリークしては、裏で彼女の評判を落とし、表向きでは麻奈美を嫌っていた亜美たちも、裏では麻奈美と癒着していたのだ。
つまり、美沙の孤独は、自然な物であると同時に、作為的な物でもあったのだ。
当然、美沙と祐太朗が一緒にいた場所を目撃しウワサを広めたのも麻奈美で、塾を休んで美沙を尾行していたのも、美沙にとって都合の悪い情報を手に入れるためだった。
「そんなの憶測だろ!」麻奈美は依然としてしらばっくれる。
――祐太朗、ゴメン、代わって……。
祐太朗の意識の裏で、美沙がいった。心配する祐太朗に、美沙は静かに頷いた。祐太朗は、彼女に身体を譲ってうしろに下がった。
「麻奈美、この人にウソは通じない。全部知ってるんだ。わたしも祐太朗も。だって、この人は――霊界フィクサーなんだから」
霊界フィクサー。そういう名前の裏稼業が存在するとは、クラスでも話題になっていた。
が、それはあくまで都市伝説上の話。まさか霊界フィクサーが本当にこの世に存在していたなんて――それも死んだ大原美沙の霊魂を憑依させて自分の前に現れるとは、麻奈美も思ってもいなかったはずだ。しかし、現実は目の前に堂々と鎮座している。
麻奈美は壊れた玩具のように高笑いし始めた。
「るせぇんだよ、馬鹿女! 霊界フィクサーが何だよ。お前なんか昔から大嫌いだったんだよ! 何をするにしても出しゃばり――」
麻奈美の目が大きく見開かれた。麻奈美の下半身が赤く染まった。
麻奈美の下腹部――その子宮辺りにナイフが突き刺さっていた。
詩織――突き刺さったナイフを抉る。いつものおっとりした雰囲気はなりを潜め、まるで鬼神のように、詩織はその場に倒れた麻奈美に対し、何度もナイフで同じ場所を突いては抉り、を繰り返した。詩織の表情は虚無その物で、感情をまったく感じさせない。
麻奈美の断末魔――美沙は目の前の惨状から目を叛け、祐太朗の肩に縋った。祐太朗は美沙の意識をうしろに押しやり、麻奈美の死体をナイフで何度も抉る詩織の肩を叩いた。
「もういい」詩織は無言で祐太朗を見遣った。
「美沙は、そんなこと望んでない」
終わった。流血とともに。詩織は祐太朗の手を借りて立ち上がると工場から出た。
「派手にやったようだな」
工場の出口で待機していた弓永が、血塗れの詩織を見て顔を歪ませた。
「後は頼んだ。車にタオルあるよな? 借りるぜ」
「おい、ちょっ……」いこうとする祐太朗を引き止めようとすると、詩織が弓永の前で立ち止まった。血塗れの詩織に弓永は圧倒された。が、詩織はちょこんとお辞儀して、
「お手数お掛けして申し訳ありません。よろしくお願いします」
とあいさつすると、祐太朗とともに弓永の車のほうへと歩いていった。
鈴木兄妹の背中をひとり見送る弓永――嘆息した。
「はいはい、よろしくお願いされますよ……」