16 人を見下して自己肯定しても免罪はされない

文字数 1,492文字

 裁判は続いていたけれど、母とあたしは安い賃貸アパートに引っ越した。
 高校2年のゴールデンウィークだった。
 それまで住んでいたマンションは、父が(おもに母がつくった借金のせいで)住宅ローンを滞納したために、差し押さえられたのだ。
 あたしは当然、習い事は全部やめた。
 高校に入学してからの1年あまり、どんなにふり回されないようにしていても、やはり親の裁判沙汰(さいばんざた)には多くの時間と労力を取られ、新しい友人をつくるどころではなかった。
 父の顔色を見てばかりいる母の顔色をうかがって生きてきたあたしの日々はなんだったのか。自分で莫迦(ばか)らしくなった。

 引っ越してよかったことが、ひとつだけある。りべかと家が近くなったことだ。
 地元の小中学校に通っていたときとは違い、高校では、広範な地域から生徒が集まってきていた。
 みんなもう昔ほど子どもではなかったから、あたしたちは学校で、ことさらによそよそしくふるまう必要はなかった。だから、最寄り駅が一緒のあたしたちはいつも、改札前で待ち合わせをして登校した。

 はじめ、あたしは驚いた。
 りべかの母親が、毎朝、娘を送ってきたのだ。目鼻立ちの整った美しい人(梨紅香ほどではないにしても)で、専業主婦とは印象の異なるこぎれいな服を身につけていた。
 まるで従者を連れているように、胸を張って梨紅香の前を歩き、出勤ラッシュの人ごみを突き抜けてきた。
 でもあたしを見つけると、慇懃(いんぎん)に腰を低くして、
「うちの娘が、いつもお世話になっております」
 毎朝、決まって言うのだった。
 口角は上がっているものの、目はちっとも笑っておらず、「うちの娘は」のところを、あからさまに卑下(ひげ)した響きで強調した。

――ああ、この人は、梨紅香を見下すことで自分を成立させている。
 それが第一印象だった。
――そしてあたしに、その行為を共有しようと持ちかけている。つまり、()りこもうとしているんだな。
 あたしはそう理解した。
 小娘だから、気づかれないとでも思っていたのだろうか。あいにく、親たちが考えているほどあたしたちは幼くはなかったし、単純でもなかったのに。

 あたしは慎重に、波長をずらして応対した。あくまでも、礼儀正しく。
 母親は、〝なんだか調子が狂う〟そんな表情で、そそくさと帰った。しかし毎朝、今日こそはとでもいうように、同じ挨拶をするのだった。
 一歩下がって、りべかはしらけた顔で母親を見ていた。
 下校時もまた母親は、勤めている駅前の美容室を抜け出してきて、駅でりべかを待ちかまえ、毎日、家まで送り届けた。
 駅からりべかの家までは、歩いて12分ほどである。小学生だって一人で歩いている道だ。ご苦労なことだった。

「よっぽどお嬢さんが大切なのね、きれいな娘さんですものねぇ」
 誰かに相談したとしても、周囲の大人はそんなふうに誤魔化して、りべかの親を肯定する。誰ひとり、
「もう高校生なんだから、過保護じゃないですか? それじゃあ娘さんも息が詰まるでしょう」
 などとは言ってくれない。面倒に巻きこまれたくないからだ。大人なんか、あてにできない。そういう現実を、(いや)というほどわかっていたので、あたしたちはひたすら耐えた。

 りべかの親の監視が外れるのは、もくもく会のときだけだった。
 なぜ彼らは、そこまでしてりべかにこだわったのだろう。
 逃がさないため?
 所有するため?
 そうしたところで、彼らの格が上がるわけはなく、免罪(めんざい)されるわけでもないというのに。
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