17 親の強いる鳥籠は、子の翼には狭すぎる

文字数 1,491文字

 高校2年の夏休みのことだった。
「おかしな家庭で、おかしな子育てをしてる、おかしな親のくせに、そんな親とろくに口をきかない私のほうが、おかしいんですってよ」
 りべかは、いまいましげに吐き捨てた。
 引っ越したあたしの家で、もくもく会をしていたときだ。あたしの母は、ハローワークに出かけていて、留守だった。

 夏、冬、春にある学校の長期休みは、りべかには地獄だった。
 家からろくに出してもらえず、父親からの罵倒(ばとう)に一日じゅう、さらされなければならなかったのだから。
 すでにりべかには匂い立つような華があった。
 肌はますます透きとおり、(くちびる)はすっぴんでもリップグロスを施したように赤く濡れていて、もともと魅惑的なまなざしには思慮深さが加わっていた。
 そのせいか、父親の罵倒には新たなバージョンが増えていた。
破廉恥(はれんち)な顔しやがって。おまえなんか売春婦だ!」
 どうしてそんなことを言うんだろう……あたしは最初、わからなかった。

「もう高校生なんだし、いい加減、父親に髪を切られるのは(いや)だって、言ったの。もうやめてって」
「え?」
 あたしは思わず聞き返し、すぐにつけ足した。
「よく言ったね。お父さん、怒ったでしょう」
「キレてたよ。〝ひさしぶりにしゃべったと思ったらそれか〟って」
「で、お父さんは承諾したの?」
「するわけないじゃない」
 りべかは笑った。
「でも私、それからこつこつお金をためて、ついに昨日、勝手に美容室に行っちゃったの」
「やっぱり!」
 その日のりべかは格段にきれいだった。〝不揃いなおかっぱ〟が、〝きれいなボブカット〟になっていたから。実は、あたしは気づいていたけれど、言っていいものかどうか躊躇(ためら)っていたのだ。
 それまでの髪形のヒドサを、りべか気にしていないはずがないので、髪の話には触れないのが友情だと思っていた。
「すごく似合ってるよ。お母さんの美容室?」
「まさか!」
 りべかは、今度はちょっと怒気を含んだ笑い方をした。
「いっつも乗り換えする駅の駅地下に、〝高校生割引〟って大きく書いてる美容室あるの、知らない?」
「ああ、うん、なんとなくわかる」
 ターミナル駅のショッピング街の、はじっこにある美容室だった。

 高校に進学してから、梨紅香はようやく月のお小遣いを現金でもらえるようになっていた。電車通学だったので、さすがに親も、〝定期だけ持っていればいい〟とは、言えなかったのだろう。
 文具や小物は小遣いで買うことになっていたから、余裕のある額ではなかったが、彼女は他を節約して美容室代を捻出(ねんしゅつ)したのだ。
――当然、お風呂で全裸にされて体を見られるっていうアレも、断っているんだよね?
 その問いを、あたしは声に出すことなく、呑みこんだ。答えが「YES」なら、尋ねてもいい。だけど万一、そうじゃなかったら……。りべかを困らせる質問は、したくなかった。

 なぜだか、その問いを呑みこんだ拍子に、ふっと浮かんできた考えがあった。
――りべかの父親が、娘を売春婦だと(ののし)るのは、もしかして、自分が娘に性的な関心を抱いているからではないか? あの暴言(ぼうげん)は、欲望の変形なのではないか? 娘を閉じこめておくために死守してきた自分の鳥籠(とりかご)から、りべかが少しずつ外へ出て羽ばたいていくのを、阻止(そし)したくてたまらないのではないか?
 その可能性のおぞましさに、背筋が凍った。あまりにもおそろしくて、あたしは死にもの狂いでその考えをふり払った。
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