08 聖書のリベカ

文字数 1,191文字

「リベカは聖書のなかの、新約聖書ではなく旧約聖書のほうの、創世記(そうせいき)という書に登場する女の人の名前です。アブラハムという男の人の、息子であるイサクと結婚した女性、つまりイサクの奥さんですね。そして、エサウとヤコブという双子の息子を産みました」
 はじめ、ややこしいのをわざと楽しむ調子で島川牧師は語った。
 それから、
 「いっぺんに話してもわからないでしょう」
 とにんまりし、
「だから順番に話していくので、聞いてくれますか?」
 最後はあたしたちに許可を求めた。

 いつもは大人から、「あれはだめ」とか「こうしなさい」とか、思いっきり下に見られて命令されていたものだから、対等に扱われるのはいい気分だった。
 人として、尊重してくれる。
 その実感は、あたしたちに、この人の話をちゃんと聞こうと思わせる、じゅうぶんな動機になった。

 礼拝堂は外観同様、とてもシンプルなデザインだった。
 やはり、イエス像もなければマリア像もなく、宗教画やステンドグラスもなく、白い内壁に、くもり硝子(がらす)()めこまれた縦長の窓が、いくつか並んでいるだけだった。
 板敷の床はダークブラウンで、古びた木の長椅子が演壇(えんだん)に向かって何列も置かれ、くもり硝子を透過してくる淡い光が、そこに流れる静かな時間を包んでいた。
 逃げこんでくる人を、誰でも受け入れる。
 けれども、怠惰(たいだ)にとどまるのは許さない。
 包容と、厳しさの溶け合った、不思議な空間だと、あたしには思えた。

 礼拝堂というものをはじめて見たこのときの印象は、結局いろいろあってあたしが神様を捨てたいまも、胸に刻まれている。
 その日以来、港通り教会は、絵本ではなく現実の秘密の場所になった。
 互いの親にばれないよう、周到(しゅうとう)偽装(ぎそう)して、あたしたちは月に一度、こっそり訪ねた。

 もくもく会の存在は、あえて親には言っておく。
 ただし学校の友だちには秘密とし、それも親には言っておく。
 クラスメイトに興味を持たれると面倒だし、親には「娘と秘密を共有している」と思わせることで、より信じさせる作戦だった。
 あたしの親には、第1木曜と第3木曜はりべかの家、それ以外の木曜はあたしの家で会うと言っておく。りべかの親には、第3木曜だけがりべかの家、それ以外はあたしの家と言っておく。
 つまり、第1木曜はお互いの家に行っていると(うそ)をついて、教会へ行くという算段だった。
 学校では、あたしたちはよそよそしくふるまった。うっかり口を滑らせて、ぼろが出るのを避けるために。

 子どもの頭で考えた小手先の偽装だったのに、8年近くもほころぶことなく、うまくいった。きっと神様が(まね)いてくださり、守ってくださっているのだねと、当時のあたしたちは感謝したものだった。
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