01 過去は突然に
文字数 1,771文字
おしゃべりしていると、ときどき、心が切られたように痛くなる。
りべかはそんな少女だった。
同性のあたしから見てもはっとするほど愛らしく、なんの苦労もなしに生きていけるだろうと思うのに、物言いは危 うく、鋭くて、そんなりべかにあたしは惹かれた。
小学校から中学、高校、そして大学までも、奇跡的に一緒だった。
私立のエスカレーターなんかじゃなく、すべて国公立。
一応、高校も大学も、難関と呼ばれるところの受験組だったから、女子で、小学校からずっと同じというのは、奇跡と言っていいだろう。
でも、奇跡に見合う友情があるかといえば、そうでもない。
大学卒業後のこの5年は、お互いに連絡せず、音信不通の状態だ。
喧嘩 別れではないし、なんとなく疎遠になっているだけ、あたしのほうは、そう思っている。
とはいえやっぱり2年前に結婚した時、梨紅香に知らせようかと迷ってやめたから、意識的に避けていると言えなくもないか――いや、だめだ、正直になろう。
遠ざけたい、遠ざかりたいのに、いつも心の奥に引っかかっている。
それがりべかの存在だ。
今日こそは認めざるを得ない。つけっぱなしのテレビから聞こえてきた声のせいで。
《――の平野りべかさんです》
女性の声で、そう聞こえた。
昼食をすませ、リビングのフローリングにダストワイパーをかけているところだった。ちなみに昼食は、夫が昨夜、連絡もなしに遅く帰宅し、いらないと言って手をつけなかった晩ごはんをチンしただけのもの。
珍しいことじゃない。
どうせあたしは、何を食べてもダンボールみたいにしか感じないのだ。
画面には、女の顔がアップで映し出されている。
りべか? まさか。平野 と言った。楠 じゃなくて? でも……。
液晶画面にあたしは喰らいついている。
後ろでダストワイパーが、ダイニングテーブルのへりを滑って床に倒れ、かん高い音をたてて転がった。マンションの階下にも響いただろう。あたしは画面から目をそらせない。
りべかだ。
あたしの知る楠りべかその人の、あたしの知らない現在の顔がそこにある。
《今日は平野さんが運営されている施設『マタイ18:20』についてお聞きします》
やたらと口角を吊り上げてしゃべる女子アナが、つくりものめいた声でそれは性暴力の被害に遭った女性たちのシェルターだと説明している。
その横で、長かった黒髪をばっさり切ったりべかが、やわらかく口を結んでうつむいている。ショートヘアのせいで、華奢な肩からすらりと伸びた、首の長さと白さが際立っている。
微笑して、女子アナの呼吸に合わせてわずかに頷く彼女は見たことのないりべかだった。
あたしの知る彼女は、めったに笑わず、笑顔をつくらない、というか、つくれない子だったから。
一方で、まわりとは異なる時間の中に身を置いて、薄膜の向こうにいるような雰囲気は、昔とちっとも変わらない。
長い睫毛 の下で遠くを見ている、アーモンド形の目の美しさも。
鼈甲 色の虹彩 のせいだ。
〝見つめないでよ。吸い込まれそうでこわいんだもの〟
昔、彼女の瞳は級友たちからそんなふうに言われて、拒まれていた。
視線をずらし、常にこの世ではないところを映す目つきになったのは、それが影響してのことだと思う。
かくゆうあたしも、しばしば吸い込まれそうな気分になる時はあった。でもそれは、鼈甲みたいに不思議な光を孕 んだ虹彩のせいだと、ほどなくして気がついた。
見つめ返せばわかるのに、みんな、見もしないでおそれているのだった。
宙を漂っていたその瞳が、画面の向こうで不意にカメラを直視した。
〝容子 、そこで見ているんでしょう〟
声が聞こえた、と思った刹那 、りべかの瞳はカメラから外れ、別の彼方に向けられた。
現実に、そんな声が放送されたはずはない。
わかってる。
けど、あたしはきっと待っていたのだ。怯 えながらもほっとしている。逃げられない。観念するしかない。
いまこそ、いえ、いまだからこそ、思い出さなければならないのだ。
あたしたちを支配している、あの事件について――。
りべかはそんな少女だった。
同性のあたしから見てもはっとするほど愛らしく、なんの苦労もなしに生きていけるだろうと思うのに、物言いは
小学校から中学、高校、そして大学までも、奇跡的に一緒だった。
私立のエスカレーターなんかじゃなく、すべて国公立。
一応、高校も大学も、難関と呼ばれるところの受験組だったから、女子で、小学校からずっと同じというのは、奇跡と言っていいだろう。
でも、奇跡に見合う友情があるかといえば、そうでもない。
大学卒業後のこの5年は、お互いに連絡せず、音信不通の状態だ。
とはいえやっぱり2年前に結婚した時、梨紅香に知らせようかと迷ってやめたから、意識的に避けていると言えなくもないか――いや、だめだ、正直になろう。
遠ざけたい、遠ざかりたいのに、いつも心の奥に引っかかっている。
それがりべかの存在だ。
今日こそは認めざるを得ない。つけっぱなしのテレビから聞こえてきた声のせいで。
《――の平野りべかさんです》
女性の声で、そう聞こえた。
昼食をすませ、リビングのフローリングにダストワイパーをかけているところだった。ちなみに昼食は、夫が昨夜、連絡もなしに遅く帰宅し、いらないと言って手をつけなかった晩ごはんをチンしただけのもの。
珍しいことじゃない。
どうせあたしは、何を食べてもダンボールみたいにしか感じないのだ。
画面には、女の顔がアップで映し出されている。
りべか? まさか。
液晶画面にあたしは喰らいついている。
後ろでダストワイパーが、ダイニングテーブルのへりを滑って床に倒れ、かん高い音をたてて転がった。マンションの階下にも響いただろう。あたしは画面から目をそらせない。
りべかだ。
あたしの知る楠りべかその人の、あたしの知らない現在の顔がそこにある。
《今日は平野さんが運営されている施設『マタイ18:20』についてお聞きします》
やたらと口角を吊り上げてしゃべる女子アナが、つくりものめいた声でそれは性暴力の被害に遭った女性たちのシェルターだと説明している。
その横で、長かった黒髪をばっさり切ったりべかが、やわらかく口を結んでうつむいている。ショートヘアのせいで、華奢な肩からすらりと伸びた、首の長さと白さが際立っている。
微笑して、女子アナの呼吸に合わせてわずかに頷く彼女は見たことのないりべかだった。
あたしの知る彼女は、めったに笑わず、笑顔をつくらない、というか、つくれない子だったから。
一方で、まわりとは異なる時間の中に身を置いて、薄膜の向こうにいるような雰囲気は、昔とちっとも変わらない。
長い
〝見つめないでよ。吸い込まれそうでこわいんだもの〟
昔、彼女の瞳は級友たちからそんなふうに言われて、拒まれていた。
視線をずらし、常にこの世ではないところを映す目つきになったのは、それが影響してのことだと思う。
かくゆうあたしも、しばしば吸い込まれそうな気分になる時はあった。でもそれは、鼈甲みたいに不思議な光を
見つめ返せばわかるのに、みんな、見もしないでおそれているのだった。
宙を漂っていたその瞳が、画面の向こうで不意にカメラを直視した。
〝
声が聞こえた、と思った
現実に、そんな声が放送されたはずはない。
わかってる。
けど、あたしはきっと待っていたのだ。
いまこそ、いえ、いまだからこそ、思い出さなければならないのだ。
あたしたちを支配している、あの事件について――。