03〝ほんと〟を言うのは恥ずかしい

文字数 989文字

 あたしの心臓は跳ねていた。
 次の子の発表も、その次の子の発表も、耳に入りはしなかった。
 (うそ)を書いている、自分の作文が恥ずかしかった。

〝容子の容の字は包容力の容だと両親は言っています。容にはほかに、入れものという意味や、入れもののなかみの意味もあります。包容力のある人、そして、大きくなっていくとちゅうで頭や心にさまざまなものを入れ、なかみの豊かな人になってほしいと願っているそうです。わたしは、そういう人間になりたいと思います〟
 最後の一文が、大嘘だった。

 鉛筆で書いた自分の字を目で追っていると、胸の真ん中に、かたいものができて苦しくなった。
 ほんとのことを言おうとすると、それも苦しい。
 心臓がやけに大きく鳴っていて、誰の声も聞こえなかった。
 前の席の子が立ち上がったので、次は自分の番だと気がついた。
 黒板の斜め上の壁にかかっている丸い大きなアナログ時計は、6時限目の時刻を示していた。ちょっと前に教室が騒がしくなっていたのは、休み時間だったらしい。
 周囲にかまわず、あたしは自分のなかに没入していた。
 そして、そんな自分にぞっとした。

「じゃあ次、鈴木さん、どうぞ」
 担任があたしを指した。
 あたしはのろのろ立ち上がり、作文用紙を両手で持って、「容子の容は」と読み始めた。
 鼓動はいっそう激しくなり、舌がうまく回らなかった。
 読み上げながら、なおも迷った。嘘を言うか、〝ほんと〟を言うか。
「――願ってつけたとのことです。わたしは、そういう人間になりたいと……」
 そこで詰まった。

 黙っていると、みんなの視線が集まってきて、恥ずかしくて顔はほてり、思考が麻痺(まひ)したようになってしまった。
「思っていないわけじゃないんですが……でも」
 だんだん声が小さくなった。
「あたしはこの字がキライです」
 かろうじて発音し、縮こまって腰を下ろした。教室は妙な空気になっていた。

 忍び笑いと、ひそひそ声が耳についた。
〝キライって、ねえねえ、なんで?〟
〝まねしたんだよ。楠さんの〟
〝あ~まねか〟
〝まねだって、まね〟
 教師が両手を上げて一つ二つ叩き、それに続いてお愛想めいた拍手がぱらぱらと鳴った。
 ほんとを話すのは恥ずかしい。
 せっかく勇気を出したのに、それを真似(まね)だと言われていたたまれなかった。
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