09 創世記24章、リベカとあたしたち
文字数 1,805文字
礼拝堂の隣の小部屋(懺悔 室かと思ったら、ただの面談室だという)で、あたしたちは島川牧師の話を聞いた。
片面の壁がガラス張りで、礼拝堂が見えるようになっていた。赤ちゃん連れの信徒さんが、礼拝中に子どもが泣いても気にしなくていいように、この部屋があるのだと島川牧師は言っていた。
密室よりも開放感があり、信徒じゃないあたしたちもリラックスできた。
そこで毎回、創世記を少しずつ、一緒に読んだ。
1回にだいたい10行から20行で、どこまで読むかは島川牧師が決めてくれる。はじめに2、3行ずつ交替で、順番に声に出して読んでいき、そのあとで、島川牧師が〝解き明かし〟をしてくれた。
解き明かしというのは、その箇所がどういう物語で、どんな意図で聖書に収められたのか、さらに、現代に生きるあたしたちはそこから何を学ぶべきか(島川牧師は〝学ぶ〟ではなく〝聞く〟という言葉使いをしていたけれど、あたしにはしっくりこなかった)を解説してくれること。
実はあたしは、「奇跡を信じなさい」とか「アダムとエバが禁断の果実を食べたから、人間に原罪ができた」とか、胡散 臭 い話をされるのではないかと、最初は内心、身構えていた。
でも、島川牧師の解き明かしは、全然違った。
リベカは、創世記の24章から登場する。
イスラエル民族の祖とされるアブラハムが、息子のイサクの嫁探しを、自分の僕 に頼んだことが、リベカの物語の発端 だ。
イサクの妻にふさわしい娘を、いま住んでいるカナンの地ではなく、アブラハムの故郷であるハランの地まで出かけて行って、そこで見つけて連れてこい、と。
僕 は当然のように、イサク本人を同行させたいと願い出たけれど、アブラハムは聞き入れなかった。
結局、僕 は御主人様であるアブラハムの命令に従い、10頭の駱駝 と従者とともに荒野 を旅して、ハランの地へやってきた。
そこで、ある村のはずれにある井戸のほとりで、神に祈る。
嫁探しの方法を、神に相談するためだ。
この方法というのが、とんでもない。大胆 というか、乱暴というか。はじめて読んだとき、あたしはあきれた。
だって、いま自分がいる井戸に、これから誰か、村の娘が水を汲 みにくるだろう、そうしたら、水を飲ませてほしいと頼んでみる。娘が応じ、自分に水を飲ませてくれて、その上、10頭の駱駝すべてに水を汲んでくれたなら、その娘が、神のお決めになったイサクの嫁ということにさせてください、と――。
これは相談じゃなくて、提案だ。しかも内容が、バクチっぽい。
神様は、承諾するのだろうか――あたしはすごく気になった。
ところが、祈り終える前にリベカが井戸にきてしまったので、残念ながら、聖書に神の答えは記されていない。
リベカは、『際立って美しく、男を知らない処女』だった。
彼女は快く僕 に水を飲ませてやり、さらには頼まれてもいないのに、駱駝にもたっぷり飲ませてやりましょうと申し出て、大量の水を汲んであげた。
僕 からすれば、イサクの嫁に決定! という瞬間だ。
僕 は、自分の旅の目的と、自分が神に嫁選びの方法を祈った直後にリベカがきて、そのとおりになったという事情を、リベカと、リベカの兄のラバンと両親に話した。
すると、リベカの兄と父親が「主の御意志ですから」とあっさり快諾。本人には意思を尋ねずに、リベカを「どうぞお連れください」とまで言ったのだ。
この展開には、さすがにあたしたちは「えっ!」と鼻息を荒くした。
「僕 は勝手に祈っただけで、神様が同意したかどうかは、わからないよね」
「それより、リベカの気持ちはどうなるの?」
疑問を口にするあたしたちに、
「そうですよねえ。でも、神様はお止めにもなりませんでしたよね」
島川牧師は愉快 げに話してくれたものだった。
「このあと、カナンへの彼らの旅路が守られて、リベカは無事にアブラハムとイサクのもとに着き、イサクに気に入られて結婚しました。ですから、結果的には神様のお望みに適 うことだったのだと、考えることもできますね」
そう言われればそうだけど、なんだかあたしは、釈然 としなかった。
片面の壁がガラス張りで、礼拝堂が見えるようになっていた。赤ちゃん連れの信徒さんが、礼拝中に子どもが泣いても気にしなくていいように、この部屋があるのだと島川牧師は言っていた。
密室よりも開放感があり、信徒じゃないあたしたちもリラックスできた。
そこで毎回、創世記を少しずつ、一緒に読んだ。
1回にだいたい10行から20行で、どこまで読むかは島川牧師が決めてくれる。はじめに2、3行ずつ交替で、順番に声に出して読んでいき、そのあとで、島川牧師が〝解き明かし〟をしてくれた。
解き明かしというのは、その箇所がどういう物語で、どんな意図で聖書に収められたのか、さらに、現代に生きるあたしたちはそこから何を学ぶべきか(島川牧師は〝学ぶ〟ではなく〝聞く〟という言葉使いをしていたけれど、あたしにはしっくりこなかった)を解説してくれること。
実はあたしは、「奇跡を信じなさい」とか「アダムとエバが禁断の果実を食べたから、人間に原罪ができた」とか、
でも、島川牧師の解き明かしは、全然違った。
リベカは、創世記の24章から登場する。
イスラエル民族の祖とされるアブラハムが、息子のイサクの嫁探しを、自分の
イサクの妻にふさわしい娘を、いま住んでいるカナンの地ではなく、アブラハムの故郷であるハランの地まで出かけて行って、そこで見つけて連れてこい、と。
結局、
そこで、ある村のはずれにある井戸のほとりで、神に祈る。
嫁探しの方法を、神に相談するためだ。
この方法というのが、とんでもない。
だって、いま自分がいる井戸に、これから誰か、村の娘が水を
これは相談じゃなくて、提案だ。しかも内容が、バクチっぽい。
神様は、承諾するのだろうか――あたしはすごく気になった。
ところが、祈り終える前にリベカが井戸にきてしまったので、残念ながら、聖書に神の答えは記されていない。
リベカは、『際立って美しく、男を知らない処女』だった。
彼女は快く
すると、リベカの兄と父親が「主の御意志ですから」とあっさり快諾。本人には意思を尋ねずに、リベカを「どうぞお連れください」とまで言ったのだ。
この展開には、さすがにあたしたちは「えっ!」と鼻息を荒くした。
「
「それより、リベカの気持ちはどうなるの?」
疑問を口にするあたしたちに、
「そうですよねえ。でも、神様はお止めにもなりませんでしたよね」
島川牧師は
「このあと、カナンへの彼らの旅路が守られて、リベカは無事にアブラハムとイサクのもとに着き、イサクに気に入られて結婚しました。ですから、結果的には神様のお望みに
そう言われればそうだけど、なんだかあたしは、