05 お互いに、自分の名前を好きになれるように

文字数 1,028文字

 掃除当番を終えたほかのクラスの男子たちが、奇声を上げて渡り廊下を駆け抜けた。
「それを聞くために、追いかけてきたの」
「だって、私だけだと思ってたのに、仲間がいるんだなって……」
 りべかは照れ臭そうに唇を歪めた。
 仲間、という言葉には、戸惑いや警戒を一瞬で溶かす力がある。
「だって、おじいちゃんの顔みたいでしょ」
「は?」
 いきなり答えたあたしに、りべかは目を丸くした。

「容の字だよ。ほら」
 人差し指で、あたしは宙に大きく容の字を描いた。
 容の字は、向かい合って立っている梨紅香の側から――つまり裏から――見ても同じ形をしているから、便利だ。
「ああ、うん、そうかな。そうかも」
 曖昧(あいまい)にうなずくりべかに、あたしは何度も容の字を描いて言い募った。
「ほらあ、おじいちゃんでしょ。しかもけっこう疲れてるおじいちゃんだよ。なんか、情けなくない?」

 ぎこちなくりべかは片手で口を押さえ、肩を揺らした。
「笑ってるの?」
 尋ねたあたしも、なんだかおかしさがこみ上げてきて、やだー笑わないでよもうと言いつつ笑い出し、しまいには、ふたりでしゃっくりみたいになっておなかを抱えた。
「ねえ、あたしも楠さんに聞いていい?」
 りべかはまだ笑みの残った顔を縦にふった。
「作文用紙、どうして白紙だったの」

 みるみる彼女の顔が(かげ)ったので、あたしはすっかりうろたえて、
「ごめん、いやならいいんだ、ちょっと気になっただけ」
 あわてて両手を左右にふった。
 しかし彼女は毅然(きぜん)とした態度で、中庭を(にら)んだ。
「うちの父親、宿題は必ずチェックするの。そして作文は、絶対にどこか気に入らないところを見つけて、書きかえを命令する。だから、作文だってことはナイショにして、ただ声で発表するだけの宿題だってことにした。作文用紙は、わざと学校に置いて帰ったの」
「そうなんだ……」
 我ながら間抜けな反応だったが、りべかは「ふ」と息を抜いた。

「容子ちゃん、おもしろい人だね」
「へ、なんで?」
 名前で呼ばれて面食らった。面白いなんて評されるのも意外だった。
「私のことも、これからは名前で呼んで。約束しようよ」
 クラスきっての美少女に、そんなふうに言われるだけでドキドキしたのに、その上彼女は、匂い立つばかりのきれいな顔をあたしの耳元に近づけてきて、(ささや)いたのだ。
「お互いに、自分の名前を好きになれるように」
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