02 キライな名前
文字数 1,529文字
ふたりとも、自分の名前がキライだった。
鈴木 容子。あたしの名前は中途半端だ。
平凡なのは嫌いじゃない。むしろ歓迎なんだけど、ようこなら洋子とか陽子とか、よくある字にしてほしかった。
つまるところ「容」という字が気に入らなかった。ウ冠に谷を書くだけなのに、疲れたオジイサンの顔に見える。
りべかとあたしは、小学校の1年と2年の時のクラスは別々で、お互い顔も知らなかった。
クラス替えは3年生になる時と、5年生になる時にある。あたしたちは3年生ではじめて同じクラスになり、でもすぐにはおしゃべりなんてしなかった。
はじめはみんな、2年まで一緒だった子同士でかたまって、知らない子とはさして親しくならなかったし、りべかはすでに際立って美しかったから、わざとらしく急接近を試みるひとりふたりの冷やかし好きを除いては、あたしを含めて遠巻きに見ているだけだった。
1学期の終わりに近い頃だった。
担任の女教師が唐突 に、『自分の名前についての作文』を宿題に出した。国語の時間に一人ずつ発表させるという。
たぶん、あたしたちに改めて自己紹介の機会を与え、夏休み前にクラス全員を馴染 ませておこうという計らいだったのだろう。
梅雨明け宣言はまだ出ていなかったけれど、その日はよく晴れていて暑かった。
連日の雨で蓄えられた湿気が、強い陽射しに熱せられ、見えない炎となって地面から立ち上ってきて息苦しかった。
襟の詰まったダンガリーのシャツに、紺色のキュロットを着ていたあたしは、色も形ももっと涼しげな服にするべきだったと、家を出てすぐ後悔した。だけど、家に戻って母に言ったらもっと面倒なことになるので、その日一日、我慢すると決めたのだ。
昼休みが終わった5時限目、国語の時間が始まると、先生は席順で作文を読み上げさせた。6時限目の学活まで通して全員終えさせる心積もりらしかった。
窓際のあたしの席からは、くの字に建っている校舎の壁面が見えていた。
冷房のない鉄筋コンクリートの校舎は蒸し暑く、どの教室の窓も開いていた。
なかには外の音のうるささと暑さとの間で葛藤し、しきりに開閉している教室もあった。水面で酸素を求めて口をぱくぱくさせている金魚みたいだ。ただでさえ暑苦しい服装のあたしが熱気でぼうっとして、そんな連想をしていたとき、
「私はりべかという名前がキライです」
ぶっきらぼうな物言いが、耳に刺さるみたいに飛びこんできた。
教室の真ん中あたりでりべかが起立し、発表していた。
淡々と、しかし語尾まで言い切る明瞭な口調で。
「どうしてこの名前をつけたのか、父親に聞いてみました。その前に母親に聞いたら、お父さんに聞きなさいと言われたからです。父親ははじめ、はぐらかしたりむっとしたりしていましたが、宿題だと言ったら、聖書に出てくる人の名だと答えました。でも、父親も母親もキリスト教徒ではありません。うちには聖書がないので、リベカを調べに近所の教会に行こうとしたら怒られました。宗教は禁止だそうです」
周囲の子が落ち着かない様子で、りべかの机と彼女を交互に見てはざわついていた。
机の上には堂々と、作文用紙が開かれている。しかしりべかにそれを読んでいるそぶりはなく、彼女は微動もせずに、宙を見つめて話していた。
「そういうわけで意味がわからないし、マンガやアニメのキャラみたいで、この名前はキライです。おわり」
言い終えると、彼女はすとんと腰を下ろした。
教室は静まり、やがて戸惑いを含んだ拍手がまばらに起こった。若い女教師は引きつった笑みで2、3回手を叩き、次の生徒を指して促した。
平凡なのは嫌いじゃない。むしろ歓迎なんだけど、ようこなら洋子とか陽子とか、よくある字にしてほしかった。
つまるところ「容」という字が気に入らなかった。ウ冠に谷を書くだけなのに、疲れたオジイサンの顔に見える。
りべかとあたしは、小学校の1年と2年の時のクラスは別々で、お互い顔も知らなかった。
クラス替えは3年生になる時と、5年生になる時にある。あたしたちは3年生ではじめて同じクラスになり、でもすぐにはおしゃべりなんてしなかった。
はじめはみんな、2年まで一緒だった子同士でかたまって、知らない子とはさして親しくならなかったし、りべかはすでに際立って美しかったから、わざとらしく急接近を試みるひとりふたりの冷やかし好きを除いては、あたしを含めて遠巻きに見ているだけだった。
1学期の終わりに近い頃だった。
担任の女教師が
たぶん、あたしたちに改めて自己紹介の機会を与え、夏休み前にクラス全員を
梅雨明け宣言はまだ出ていなかったけれど、その日はよく晴れていて暑かった。
連日の雨で蓄えられた湿気が、強い陽射しに熱せられ、見えない炎となって地面から立ち上ってきて息苦しかった。
襟の詰まったダンガリーのシャツに、紺色のキュロットを着ていたあたしは、色も形ももっと涼しげな服にするべきだったと、家を出てすぐ後悔した。だけど、家に戻って母に言ったらもっと面倒なことになるので、その日一日、我慢すると決めたのだ。
昼休みが終わった5時限目、国語の時間が始まると、先生は席順で作文を読み上げさせた。6時限目の学活まで通して全員終えさせる心積もりらしかった。
窓際のあたしの席からは、くの字に建っている校舎の壁面が見えていた。
冷房のない鉄筋コンクリートの校舎は蒸し暑く、どの教室の窓も開いていた。
なかには外の音のうるささと暑さとの間で葛藤し、しきりに開閉している教室もあった。水面で酸素を求めて口をぱくぱくさせている金魚みたいだ。ただでさえ暑苦しい服装のあたしが熱気でぼうっとして、そんな連想をしていたとき、
「私はりべかという名前がキライです」
ぶっきらぼうな物言いが、耳に刺さるみたいに飛びこんできた。
教室の真ん中あたりでりべかが起立し、発表していた。
淡々と、しかし語尾まで言い切る明瞭な口調で。
「どうしてこの名前をつけたのか、父親に聞いてみました。その前に母親に聞いたら、お父さんに聞きなさいと言われたからです。父親ははじめ、はぐらかしたりむっとしたりしていましたが、宿題だと言ったら、聖書に出てくる人の名だと答えました。でも、父親も母親もキリスト教徒ではありません。うちには聖書がないので、リベカを調べに近所の教会に行こうとしたら怒られました。宗教は禁止だそうです」
周囲の子が落ち着かない様子で、りべかの机と彼女を交互に見てはざわついていた。
机の上には堂々と、作文用紙が開かれている。しかしりべかにそれを読んでいるそぶりはなく、彼女は微動もせずに、宙を見つめて話していた。
「そういうわけで意味がわからないし、マンガやアニメのキャラみたいで、この名前はキライです。おわり」
言い終えると、彼女はすとんと腰を下ろした。
教室は静まり、やがて戸惑いを含んだ拍手がまばらに起こった。若い女教師は引きつった笑みで2、3回手を叩き、次の生徒を指して促した。