11 心はあると思いますか
文字数 1,994文字
りべかの親は、特殊だった。
もくもく会を重ねるうちに、彼女を〝支配〟している家の事情を、あたしはずいぶん聞いていた。
実際に、彼女の家を月に一度は訪ねていたので、身をもって感じてもいた。
りべかの父親は、働いていなかった。
かといって、遊び歩くわけでもなく、ずっと家にいて、りべかを監視していた。
りべかの母親は美容師で、仕事が忙しく、夜眠るときしか家にいなかった(あえてそうしているようにも見えた)。
母親が美容師なのに、りべかの髪は父親が切った。
「目をつぶれ。絶対に動くな。動いたら、鋏 で顔を切るぞ」
居間の真ん中に丸椅子を置き、彼女は下着姿で座らされ、そうやって脅され、命令され、鋏を顔にあてられて、不揃いなおかっぱ髪にされるのだった。
下着の中に手を入れられることは、さすがになかった。そのかわり、父親は「体の成長を確かめるためだ」という理屈で、風呂場で彼女を全裸にし、その肉体を眺め回すのだと言っていた。
りべかがいつも体操着なのは、それ以外の服を買ってもらえなかったからだ。
「着飾ったら、変な虫がつく」
それが父親の言い分で、スカートはもちろんNG。ほかにも、フリルやリボンのついた服はもちろん、花柄や、単に明るくてきれいな色だというだけでも禁止だった。
そのため、体操着やジャージーくらいしか着られる服がないのだった。
外出も制限されていた。
ポストに手紙を出すのにも、誰宛てなのかを申告し、どこのポストに出しに行くのか、どの道を通るのか、往復で何分かかるのか、何時に帰宅するかまでいちいち説明して、許可を得る必要があった。
どうして誰も、りべかを助けてあげないのだろう。
あたしは疑問だった。
あたしには、何ができるだろう。りべかと同じ、子どものあたしに。
悩んだ末、教会の帰りにりべかに進言したことがある。
「おうちのこと、島川先生に相談してみたら」
その日は、礼拝堂に大きなクリスマスツリーが立っていて、外は小雪がちらついていた。夏に比べて昼が短く、夕闇に追われ、あたしたちは速足で港通りを進んでいた。
りべかは立ち止まり、しばらく考えている様子だったが、結局、首を左右にふった。
背後では、灰色の海がうねっていた。
「いや、いい。うちの親はソトヅラがいいし、ズルイから。私にしていることって寸止めでしょう? もし島川先生が親に注意してくれたとしても、あたしはあの家に住み続けなきゃならない。そうしたら、うちの親の〝支配〟は絶対に、もっと酷 くなるよ。あたしは教会も、容子も、失うことになると思う。それはつらい。つらすぎるから」
だから、はやく大人になって、家を出るしかないんだよ――。
雪のように儚 い声でつぶやいて、彼女は吐息を凍らせた。
神様は、どうしてりべかを助けてくれないんだろう。
それともこれが、神様のお望みに適 っていることなのだろうか?
やりきれない気持ちが、焼けつくようにあたしの胸をいっぱいにした。
***
年が明け、桜が咲き、あたしたちは4年生に進級した。
イースターが過ぎ、その年のペンテコステ――聖霊降臨 祭とか五旬 祭とか呼ばれる、キリスト教の祝祭日だ――を迎えるころ、あたしはついに島川牧師に質問した。
創世記の31章を読んだ日だった。
「神様は、ほんとうにいるんですか」
いきなりのあたしの質問に、帰り支度をしていたりべかははっと手を止め、あたしを見た。
島川牧師はいつもどおり、穏やかに笑んだ。
「おふたりは、〝心〟はあると思いますか」
「誰にでも、心はあると思います。いえ、あります」
すかさず言い切ったのは、梨紅香だった。自分にだって〝心〟はある、誰も認めてくれなくても、父親がどんなに支配してきても、〝心〟だけは自分のもの――あたしは、そんな叫びを感じ取った。
島川牧師はゆっくりうなずき、語り始めた。
「そうですね、心はありますね。でも、見たことも、触ったこともないでしょう。自分の心はわかっても、人の心はわからないでしょう。自分の心すら、わからなくなるときもありますね。科学的にも、心の存在は証明されていないのではないかな? でも、心はあるとしか考えられない、あると考えるのが自然です」
はぐらかされているのだろうか。あたしは怪訝 に思っていた。島川牧師は身をかがめ、そんなあたしの両目を、真顔でのぞきこんで言ったのだった。
「神様も、それと同じ。神様は『いるかどうか』ではなくて、自然に『ある』と考えておけばよい、私はそう思います」
心と同じように?
それ以上、あたしたちは尋ねなかった。
あたしは信じたかったのだ。神様の存在を。きっと、りべかも。
もくもく会を重ねるうちに、彼女を〝支配〟している家の事情を、あたしはずいぶん聞いていた。
実際に、彼女の家を月に一度は訪ねていたので、身をもって感じてもいた。
りべかの父親は、働いていなかった。
かといって、遊び歩くわけでもなく、ずっと家にいて、りべかを監視していた。
りべかの母親は美容師で、仕事が忙しく、夜眠るときしか家にいなかった(あえてそうしているようにも見えた)。
母親が美容師なのに、りべかの髪は父親が切った。
「目をつぶれ。絶対に動くな。動いたら、
居間の真ん中に丸椅子を置き、彼女は下着姿で座らされ、そうやって脅され、命令され、鋏を顔にあてられて、不揃いなおかっぱ髪にされるのだった。
下着の中に手を入れられることは、さすがになかった。そのかわり、父親は「体の成長を確かめるためだ」という理屈で、風呂場で彼女を全裸にし、その肉体を眺め回すのだと言っていた。
りべかがいつも体操着なのは、それ以外の服を買ってもらえなかったからだ。
「着飾ったら、変な虫がつく」
それが父親の言い分で、スカートはもちろんNG。ほかにも、フリルやリボンのついた服はもちろん、花柄や、単に明るくてきれいな色だというだけでも禁止だった。
そのため、体操着やジャージーくらいしか着られる服がないのだった。
外出も制限されていた。
ポストに手紙を出すのにも、誰宛てなのかを申告し、どこのポストに出しに行くのか、どの道を通るのか、往復で何分かかるのか、何時に帰宅するかまでいちいち説明して、許可を得る必要があった。
どうして誰も、りべかを助けてあげないのだろう。
あたしは疑問だった。
あたしには、何ができるだろう。りべかと同じ、子どものあたしに。
悩んだ末、教会の帰りにりべかに進言したことがある。
「おうちのこと、島川先生に相談してみたら」
その日は、礼拝堂に大きなクリスマスツリーが立っていて、外は小雪がちらついていた。夏に比べて昼が短く、夕闇に追われ、あたしたちは速足で港通りを進んでいた。
りべかは立ち止まり、しばらく考えている様子だったが、結局、首を左右にふった。
背後では、灰色の海がうねっていた。
「いや、いい。うちの親はソトヅラがいいし、ズルイから。私にしていることって寸止めでしょう? もし島川先生が親に注意してくれたとしても、あたしはあの家に住み続けなきゃならない。そうしたら、うちの親の〝支配〟は絶対に、もっと
だから、はやく大人になって、家を出るしかないんだよ――。
雪のように
神様は、どうしてりべかを助けてくれないんだろう。
それともこれが、神様のお望みに
やりきれない気持ちが、焼けつくようにあたしの胸をいっぱいにした。
***
年が明け、桜が咲き、あたしたちは4年生に進級した。
イースターが過ぎ、その年のペンテコステ――
創世記の31章を読んだ日だった。
「神様は、ほんとうにいるんですか」
いきなりのあたしの質問に、帰り支度をしていたりべかははっと手を止め、あたしを見た。
島川牧師はいつもどおり、穏やかに笑んだ。
「おふたりは、〝心〟はあると思いますか」
「誰にでも、心はあると思います。いえ、あります」
すかさず言い切ったのは、梨紅香だった。自分にだって〝心〟はある、誰も認めてくれなくても、父親がどんなに支配してきても、〝心〟だけは自分のもの――あたしは、そんな叫びを感じ取った。
島川牧師はゆっくりうなずき、語り始めた。
「そうですね、心はありますね。でも、見たことも、触ったこともないでしょう。自分の心はわかっても、人の心はわからないでしょう。自分の心すら、わからなくなるときもありますね。科学的にも、心の存在は証明されていないのではないかな? でも、心はあるとしか考えられない、あると考えるのが自然です」
はぐらかされているのだろうか。あたしは
「神様も、それと同じ。神様は『いるかどうか』ではなくて、自然に『ある』と考えておけばよい、私はそう思います」
心と同じように?
それ以上、あたしたちは尋ねなかった。
あたしは信じたかったのだ。神様の存在を。きっと、りべかも。