14 沈黙の内で育つもの

文字数 1,548文字

 あたしたちは、県立の進学校に合格した。
 高校の入学式の翌日、あたしの父は消えた。

 入学式の夜、リビングで父と母が激しく言い争う声(逆上していたのは母のほうだけだったけれど)が、あたしの部屋まで聞こえてきた。
「いいわよ! 離婚してあげるわよ! 出て行きなさいよ!」
 母は何度もそう叫んでいた。
 父は、あたしの高校受験が終わるのを、待っていたのだと思う。その夜の夫婦喧嘩(ふうふげんか)は、一種の儀式だったのだ。
 当時すでに、喧嘩(けんか)のしようのないくらい、父と母の会話は失われていた(小学校のときと変わらず、母はあたしについての判断を、いちいち父に求めていたけれど、そのころにはもう、父は「本人に決めさせろ」と言うだけで、相手にしていなかった)。
 そして翌日、父は仕事に出たきり、家に戻ってこなかった。

 あたしの携帯に、父からメールがきたのは、3日後だった。
《容子は大丈夫か。お母さんといるのはたいへんだろう。こっちにこないか。あるいはもし、あなたがお母さんとの暮らしを選ぶのなら、彼女の異常な行動をやめさせてほしい。お父さんの職場で問題になっています》
 そこであたしは、母がお風呂に入っているすきに、彼女の携帯を盗み見た。子どもじみたイチゴのシールが貼ってある、ピンクのふたつ折りの携帯で、ロックはされていなかった。
 父の会社と携帯へ、おびただしい数の発信履歴があった。父の携帯にあてて送られたメールも、すさまじい数だった。

《容子の今週の昼食代、4千円ください》
《容子の運動靴を買うので1万円ください》
《早く振り込んでください。できないなら会社まで取りに行きます》
《容子に定期代を渡すので2万円ください》
《容子の部活の費用5万円ください》
《明日の3時までに振り込んでください》
《振り込みまだですか? 追加で、容子の外出着を買う7万円もお願いします》
《容子のベッドを買いかえるので10万円追加してください》
《早く振り込んでください。なにやってるの?》…………
 あたしは部活なんてやっていなかったし、定期代はすでにもらっていたし、運動靴や外出着を買う予定なんてなかった。もちろん、ベッドも。
 母が父に送ったメールは、その先も延々と、5分おきとか10分おきに続いていたけれど、あたしはそこで見るのを止めた。いくら見ても、無意味だと思った。

――ねえお母さん、これは嫌がらせでしょう? あなたがこんなことをする人だから、お父さんは一緒にいられなかったんだよ。
 母に言ってやろうかと迷い、結局あたしはやめてしまった。
 父にも返信しなかった。
 どちらも無意味だと思えたし、関わりたくなかったのだ。

 少しして、裁判所から通知が届いた。
 母はまた逆上したけれど、あたしは内心ほっとした。父が弁護士を通じて、裁判所に離婚調停を申立てたのだ。
 あとは裁判所がやってくれる。あたしは関わらなくていい。そう思うと、楽になれた。
 離婚したければ、すればいい。あたしは早く大人になって、ひとりで生きていけばいい。父や母にふり回されるのは御免(ごめん)だった。

 りべかとは、別々のクラスになった。もくもく会は続けていたから、あたしの家の事情はある程度伝えていたけれど、メインの話題にはならなかった。
 高校生活のこと、授業のこと、志望大学はどうするか、どんな業種の仕事を目指すか、素敵(すてき)な芸能人、話題のドラマ、流行りの音楽、聖書のこと……りべかと話すべきことは、ほかに山ほどあったのだ。
 高校では、あたしは無口だった。
 クラスメイトとも、父や母とも、語るべきことはなにひとつなかった。沈黙の内で、あたしはただ、苛立(いらだ)っていた。
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