04 泥水のきらきら

文字数 1,162文字

 追ってきたのはりべかだった。
 帰りの会が終わるなり、誰とも口をきかず、顔も上げずに教室を出たあたしは、玄関の混雑がひけるまで、窓から中庭が見える渡り廊下で、ひとり時間をつぶしていた。
 鉄筋の校舎棟と体育館をつないでいる渡り廊下は、木造で、仄暗(ほのぐら)く、歩くと床がぶわぶわし、窓を閉め切っていても外の匂いがかすかに漂ってくるのが好きだった。

「鈴木さん」
 急に呼ばれて驚いた。
 すぐ近くにりべかがいた。
 あたしはみじめな気分で窓ガラスに顔をくっつけ、外を見ていたものだから、近寄ってきた彼女の気配をまったく感じなかったのだ。
「なに見てたの」
 アーモンド形の大きな目は、間近で見ると余計に迫力があった。
 整った顔立ちに、雑に切られたおかっぱ頭と、体操服の上下が痛々しいほど不釣り合いだった。

 りべかは体育のある日もない日も、体操服かジャージーだった。
 夏場はもっぱら体操服で、その日も上は白の丸首半袖、下は臙脂(えんじ)のショートパンツだった。
 彼女が小首を傾げ、質問の答えを促してきたので、
「ええと、別に。木とか草とか空とか」
 あたしはワックスの()げかけた木製の床に視線を落とした。
 中庭は狭いし荒れていて、見るに値するものなどなにもなかった。建物の構造上、しかたなくできた空きスペースといった風情で、()せたレンギョウの木が1株あるほかは、雑草がまばらに生えているだけだった。

 でもあたしは、ただのひょろりとした草や、綿毛を《わたげ》飛ばしたあとのタンポポが、風に揺れているのを眺めるのが、好きだった。
 誰も共感してくれるはずがないと、あきらめていたけれど。
「ふうん」
 りべかはハミングで応え、中庭を眺めやった。
「きれいだね」
「え、なにが?」
 聞き返したのはあたしのほうだ。
「あそこの水たまり。まわりの(どろ)も」
 日当たりのよくない中庭の地面は、前日までの雨で至るところがぐずぐずしていた。
「ほら、あそこ。光を反射して、きらきらしてる」

 りべかが指さした一角は、ちょうど光が射し込んで、よどんだ泥水の水面が、かすかに波打つたびにそれを反射し、小刻みに輝いていた。
「ほんとだね!」
 あたしの声は裏返った。あたしも、まったく同感だった。
 どんなものにも、よく見れば、美しく輝く瞬間がある。おひさまの光はすべてのものに、等しくそそがれているのだから。枯葉だって、枯草だって、虫の死骸だって泥だって、この世のものは、みんなきらきらしているんだ――。
 あたしはそう思いたかったし、りべかと通じ合えた気がしてうれしかった。
「よかったら、教えてくれないかな。鈴木さんが、容の字をキライな理由」
 高揚するあたしの胸に、りべかは鋭く切りこんできた。
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