18 重い荷物を、ほんの少しでも

文字数 1,447文字

 その夏、りべかの両親は、それまでおとなしく〝鳥籠〟(つまり、自分たちの支配)の中にいたはずの娘が、勝手に美容室に行ったことに危機感を覚えたらしかった。
 ついに彼らは、娘に携帯電話を買い与えた。
 電車通学をしている娘の居場所を、いつでも把握できるように。そういう腹積(はらづ)もりだったのだろう。
 すでに高校生も、携帯電話を持っているのが当たり前の時代になっていた。だから、りべかにとっては遅すぎるくらいだった。

 驚くべきことに、携帯電話を持つまでは、りべかは通学中、なんと公衆電話から、父親の待つ家の固定電話へと、定時連絡を入れさせられていた。
「学校の前に着きました」
「これから学校を出ます」
「いま乗り換えです」
「駅に着きました。もうすぐ帰ります」
 お決まりの4点セットで、ひとつでも忘れると、帰宅後は「死ね!」で始まる罵倒の嵐にさらされる。携帯電話を持ったあとも、それは変わらぬりべかの家のルールだった。
 加えて、父親が電話をかけてきたときには、4コール以内に出なければならないという新ルールが加わっていた。
 出るのが遅れると、父親は電話口で、
「どうした。男といちゃついてたのか」
 そんなふうにすごんだという。

 しかし、携帯電話はりべかにとって、〝外〟へ通じるツールでもあった。
 あたしたちは、りべかの親に(とが)められないよう慎重に、時間帯や頻度などにじゅうぶん注意をはらいながら、携帯メールを交わすようになっていた。
《だいじょうぶ?》
 夜、ときどきあたしは、そんなふうにメールした。
《だいじょうぶ》
 りべかからの返信は、だいたいはひと言だったけれど、(せき)を切ったようにその日父親から言われたことを書き連ねてくるときもあった。

 そういう日は必ず、メールの最後に、
《ごめん、コメントしなくていいからね》
 と添えてあった。
 それは、暗に、
「コメントは返さないでくれ」
 という意味だと、あたしにはわかっていた。
 たぶん、あたしが何かコメントを返信した場合、それを親に見られることを、りべかはおそれていたのだと思う。
 自身が送信したメールも、きっとすぐさま消去しているに違いなかった。

 あたしの役目は、ただ受け止めること。
 そして、寄り添うこと。
 そう理解し、努めていた。
 りべかは疲れ果てているのだから、あたしに対して(あるいは、携帯のメール画面に対して)、()みを吐き出し切ったところで、静かに眠ったらいい。だから、
《わかった。おやすみ》
 それだけを返した。

 それからあたしは、あたしの独断で、彼女が父親の所業について書いてきたメールを、保存用のフォルダに移した。
 いつか、証拠として使えるかもしれない。いつか、親の手の届かない遠い世界へりべかが羽ばたいていくときの、助けになるかもしれない。そうなればいいと思っていた。
 りべかが背負っている重い荷物を、かなうなら、半分とまではいかないまでも、ほんのいくらか少しでも、あたしが背負ってあげたかった。

《ねえ、家を出て暮らせないの。どこかに逃げちゃえば?》
 何度もメールに書きかけて、そのたびに悩んで送信をやめた。
「どこかに」なんて無責任だし、りべかの親に見られたらやっかいだし、何よりそんなことは言われなくても本人が、何度も考え、いまは無理だとあきらめて、我慢(がまん)していることだったから。
 それゆえに、願ってやまない夢だったのだから。
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