10 怒り、あるいはそれに似たもの

文字数 1,199文字

 釈然(しゃくぜん)としない気持ちは、次の回で続きを読んで、いくらか晴れた。
 というのも、いったんはリベカを「どうぞお連れください」とまで言った兄のラバンが、一夜明けたら態度を変えて、母親と結託(けったく)し、リベカの旅立ちを先延ばししたいと、(しもべ)に交渉し始めたのだ。
 (しもべ)はもちろん(ゆず)らない。
 そこで一同は、やっとここでリベカ本人に、意思を聞いてみようということになる。

 あり得ない。
 本人の意思は、はじめに聞くべきじゃないのってあたしは(いきどお)った。
 けれど、考えてみたらあたしの母親は、なんでも父親に決めさせていて、あたしの家でもあたしの意思は一番後回しにされていた。
 りべかだって、そうだ。彼女の家では、作文すら自由に書かせてもらえない環境だった。
 聖書の時代の外国も、いまの日本も、女がないがしろにされている点で、たいして違いはないのかも。子どもながらにそんなことを、あたしは思ったものだった。

 すぐに旅立つかどうかを聞かれたリベカは、しかしひと言。
「はい、参ります」
 鮮やかな決断をした。リベカがそうした理由を、島川牧師は「女性らしい優しさ」だと言った。
 でも、あたしはちょっと首を(かし)げた。
 リベカには、怒りがあったんじゃないだろうか。
 自分の人生を、周囲の男たちが勝手に決める、それを当然としている世界への怒りだ。
 そして、それは、あたしのなかにくすぶっている怒り――あるいはそれに似たもの――に、時空を超えて、つながっているような気さえした。

 りべかは創世記のもう少し先、『リベカの計略』という見出しから始まる27章に、もっとも興味を抱いていた。
 そこには、リベカが一計を講じ、歴史をも動かした出来事がつづられている。
 あらすじは、ざっとこうだ。
――カナンでイサクと結婚したリベカは、双子の息子を産んでいた。父のイサクは長男のエサウを愛し、母のリベカは次男のヤコブを愛していた。イサクはエサウに〝祝福〟を与えようとする。そこでリベカはヤコブをたきつけ、イサクを(だま)すことにした。ヤコブはエサウになりすまし、まんまと祝福をものにする。ヤコブはやがて、神から「イスラエル」の名を授けられ、歴史的な重要人物になっていく。

 結婚相手すら、自由に選ばせてもらえなかった女が、自分の意思で運命を開き、世界の歴史を動かした――りべかはそう解釈し、この場面に心を寄せていた。
 その解釈は、あたしにも魅力的だった。
 だけど、ひそかに迷いもあった。
 リベカの計略の成功を、神様はお止めにならなかった。結局は、神様のお望みに(かな)う試みだったから、成功したってことなるのかな、と。
 あえて口に出さずにいたのは、りべかがリベカにこだわる理由が、単に名前が同じというだけではないのを、知っていたからだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み