24 あの日あたしは神様を捨てた

文字数 3,246文字

 四角い画面に、若い女子アナの顔がアップになっている。お嬢さま風のセミロングヘアに、薄ピンクのカットソー。お昼の情報番組らしい、好感度の高そうなスタイルだ。

《あのお、たいへんお聞きしにくいのですが、平野さんが非営利のシェルター『マタイ18:20』を運営するにいたった動機は、ご自身の経験にあるそうですね》
 口角を吊り上げたまま、上目遣いに女子アナが訊いた。
 カメラが今度はりべかを映す。
《そういう事実があるのは否定しませんが、わざわざテレビで話すことではありません》
 りべかは、あくまでもやわらかく微笑している。けれども口調は、小学生のころに自分の名前がキライと言い切った時と同じに、きっぱりとしていた。
 女子アナは一瞬ひるんだが、笑顔をつくり直して食い下がった。
《しかしながら、実際に被害に遭われた方の経験が生かされているからこそ、性暴力の、ええーとその、被害者たちが悩みを共有できるということですね。それが施設の魅力になっていると》
 りべかは一度まぶたを閉じ、ゆっくりと呼吸してから目を開けた。
《順にお答えしていきますね》
 潔いショートヘアが、澄んだまなざしをいっそう強く感じさせる。
《まず、悩みは共有できません。その人の身に起こったことは、それぞれに違います。一見似た経験をしていても、悩みは一人ひとり個別のものです。共有できない前提で、人間関係を考えたほうがよいと思います。それはあなたと私の間でも同じです。お互いの近い部分に共感は持てても、共有はできません》
《はあ》
 調子を狂わされた女子アナが間の抜けた相槌(あいづち)を打った。

《次に、被害者という言葉ですが、私はその言い回しを好みません。もちろん、事件の起こっている最中や、そののち裁判などが終わるまでは、状況の整理のためにも、被害者と呼ぶのはしかたがないでしょう……害を被った側ですからね。いたわりをこめてそう呼んでいただければよいのではないでしょうか。けれども、その事件が当人にとってすでに〝過去〟になってからも、被害者呼ばわりするのはどうかと思います。なんのためにそう呼ぶのでしょうか》
《お気の毒だから、という気遣いとか》
《そうですね。呼ぶ側に悪意はないですね。でも当人は、いつまでも気の毒な人扱いされるのは望んでいないかもしれません》
《……たしかに》
 女子アナは笑むのをやめ、曖昧な表情をしている。

《過去は過去です。たとえば私が性暴力に遭ったとして、その前と後で、私の本来の価値は何も変わりません》
《ええ》
《だからといって、暴力をふるっていいなんてことじゃないですよ。当人の心も、周囲の目も、人生も、事件の起こる前には戻りませんから》
 そこでりべかは、意外にも、大きく笑んだ。怒りをあらわにするよりも、迫力があった。
《もちろんです》
 動揺をにじませて女子アナがうなずく。

 りべかは堂々としていた。
《けれども、事件はもう起こってしまった。その事実は変わりません。当事者は、そこからどう生きていくのかを考える必要に迫られます。そこから、というのは、死と対面したところからという意味です。暴力を受けている最中は、死と隣り合わせです。いつ殺されるかという恐怖のなかにいますから》
《『魂の殺人』と言われていますね》
《魂だけじゃなく、生き物として殺される恐怖ですよ。生きて解放される保障などないんですから。襲われる側は、相手の目的が殺人なのかそうでないのか知る由もありません。いきなり暴力に見舞われて『殺される』と恐怖します。死に直面するのです》
《なるほど》
《仮に相手が「おとなしくしていれば殺さない」と言ったとして、そんなこと信じられますか? 信じられませんよね。そもそも理不尽な暴力をふるっている相手なわけですから》
《はい……そうですね》
 女子アナはうなずいた。

 淡々とりべかは続ける。
《でも、もしも生き延びることができたなら》
 あたしは、なぜか一瞬、背筋が凍った。
《事件はすでに過ぎ去った時間のなかにある。目の前の時間のなかにはありません。実はそれが厄介なところで、生きていれば次々と新しい『いま』が与えられます。時間は誰にでも平等ですから。『被害者』にだけ優しいなんてことはありません》
《厳しいですね》
《そうです。時間は前に進んでいく。しかし当人は、いきなり前を向けるとは限りません。どうしても痛みを抱えてしまう。痛みの原因と、向き合ってしまう。痛みは過去に起因している。原因は、過去にあるんです。だから、過去と向き合ってしまう。でも目の前の時間は待ってくれません。車の運転をイメージしてみてください。バックミラーばかり見てしまい、ちゃんと前を見られない状態で無理に進んだら、別の事故が起こるかもしれませんよね? そういう時は、無理して進まず、いったん車を停めて休まなくては》
《はい》
《当施設は、そういうことに気づくまでの一時避難所です。人生という長距離運転の途中にある、パーキングエリアみたいなもの。いったん車を停めて、前を見なくてもいい状態になって、必要な休憩をとれるところです。日常生活のなかにいると、身近な人や周囲から「前を向いて」「早く立ち直って」と励まされることがありますね。それが、当人には負担になる時もあります。そういう時に一時避難してくる方が多いです》

 スタジオが一瞬、しんとした。女子アナが手元の紙を見て、あわてて口を開く。
《具体的には、何をしているのですか》
《静かに、暮らすだけです。義務は四つ。食事をして、掃除をして、お風呂に入って体を清潔にして、眠ること。いま生きていることを確かめる。運営側からは、たいしたことはしません。隣接するキリスト教会の礼拝や行事はご案内しますが、強制も勧誘もしません》
《みなさん、どのくらいの期間、入所されるんですか》
《あくまでも一時避難所ですから、長く滞在していただくことはありません。3日の人もいれば1週間の人もいます。テレビやパソコンはありません。長くいると退屈すると思いますよ。治療施設ではないですし。外部をシャットアウトして、安全な場所で休むだけです。期待外れだったという人もいるし、間隔をあけてリピートする人もいます。かつての利用者がボランティアでサポートにきてくれる場合もあります》
《費用というか、利用料金のシステムは》
《料金は設定していません。ほんとうに小さな施設で、隣接する港通り教会の援助とご厚意のおかげで成り立っているんです。今は牧師がいない〝無牧〟の教会なのですが、信徒をはじめ教会にいらした方たちの寄付が運営資金になっています。利用者の方には、できる範囲での寄付をお願いしています。もちろん、善意のみなさまからの寄付も歓迎しております》
 そこで、りべかはカメラを見た。
 強い瞳、ほころんだ唇、惚れ惚れするほどの品。完璧な微笑だった。

 女子アナがあわてて、りべかの本業は臨床心理士でカウンセラーとして活躍していると仕事の実績をまくし立てた。段取り的にはもっと前に紹介しておく予定だったのを、いかにも言いそびれていたみたいな感じ。しかし、そんなことより。
 港通り教会。
 その名が、あたしの耳の奥でこだました。りべかは、たしかにその名を言った。あの日まで、りべかの一時避難所になっていた場所。そして、あの日以来、あたしは二度と足を運ばなかった場所。りべかもそうだと思っていた。

 あたしはあの日、神様を捨てた。りべかは違ったのだろうか。
 あたしは神様を捨てたのに
 捨てたはずだったのに……。


※ここまで読んでくださり、ありがとうございました。この作品は、いったん休載させていただきます。何度か最後まで書いたのですが、もう一度、じっくり練り直したいと考えています。ここまで読んでくださったみなさまに、深く感謝しております。
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