等しからざる者を等しく扱うことの功罪

文字数 1,020文字

等しからざる者を等しく扱うと言うこと。

具体的には、以下の場面を思い浮かべてほしい。
若干極端な例であるか、分かりやすさのため、ご容赦いただきたい。

10人の新入社員がいて、
うち1人に大学院博士課程を修了し、スタートアップで起業経験もある
若者が入社したとする。

他の9人と比べて、経歴・実績では頭一つ抜けているとしても、
企業の賃金制度・等級制度に基づき、一律に処遇される。

これは、非常に大きな損失だと思う。
才能豊かで実績ある若者は、もっと好待遇で迎えるべきではないか。

昨今話題となっている
優秀な技術者・エンジニアといった海外への頭脳流出は
日本の閉塞的制度が生んだ結果だと考えている。

※ なお、最近ではIT企業を中心に優秀な人材に対する処遇を見直す動きも出ているが、
  日本全体で見ると、まだまだ少数派であると感じる。

これに限らず、
企業にしがみつくパフォーマンスの40代~50代の社員の給料が高く設定されており、
良質なアウトプットを出し続ける20代の若者の賃金が低く抑えられているのは、
経営者の人事制度構築・人材育成義務の怠慢によるものだと私はにらむ。

論点を移して、学校教育の話へ移行するが、
そもそも、日本の公教育を見ても、感じることだが、
なぜ、等しからざる者を等しく扱おうとするのか。
私にはこのことの趣旨がよく分からないし、合理的な理由も見当たらない。

人は生まれ育った環境も、持っている才能もそれぞれ違うのであるから、
「差異」が生ずるのは当たり前である。
その厳然たる事実が存在するのになぜ旧態依然として、
等しからざる者を等しく扱おうとするのか、一度、真剣に議論すべきだと感じている。

少なくとも等しからざる者を等しく扱うことについては、
負の影響の発生以外、私自身は考えられず、
その最も顕著な例は、同調圧力の中で、
能力・才能ともに傑出した異端児に対するいじめ・仲間はずれが相当する。

※ まあ、もともと異端児や才能あふれる者は孤独でいるのが常だが・・・

このままだた、優秀な人材の芽を摘んでしまうことになりかねない。
ボクは、アリストクラシーだという非難もあるが、
日本社会を牽引する「エリート層」は必要だと感じている。

大衆に埋もれず、自分の頭で考えることのできる人材。
彼らは歩兵ではない。
高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)を負った貴族なのである。

貴族たるものを、一般大衆と同様に扱うことは社会にとっても大きな損失である。
それは衆愚政治である、と思う。
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