第10話 ミスターが語った唯一誇れるものとは?

文字数 1,315文字

 ミスターと言えば長嶋茂雄である。ミスターとは例えばミスタータイガースの掛布とかプロ野球の球団を象徴する代表する選手に与えられる称号である。そして長嶋の場合はミスタージャイアンツを超えてミスタープロ野球と言われる。巨人と言う球団を代表するだけでなく日本プロ野球を代表する偉大な選手である。
 その偉大な長嶋がオリンピック女子マラソンで金メダルを取った高橋尚子とのTBS「news23」のテレビ放映対談で「自分が誇れるものはトロフィーや賞の数でなく、敵に倒されても汚名をそそぐために逆境から再起しようとした反骨心だ」と語った。この話を聞いて私は意外に思った。何故なら長嶋と言えば常勝巨人の4番バッターとして常に光り輝いていた存在で逆境の時があった記憶がなかったからである。その長嶋が自分で誇れるものは逆境から再起しようとする反骨心だ語っったのには驚いた。
 だが、よく考えてみれば長嶋は高校は佐倉第一高校という進学校で甲子園の出場経験はない。
しかし、大宮球場での対熊谷商業との試合でセンターバックスクリーンを超える特大のホームランを打ってプロ野球のスカウトに注目された。しかしプロ野球には行かずに東京六大学の立教大学に進学して立教の中心選手として活躍し六大学野球で立教の四連覇に貢献した。東京六大学野球は最初は1903年に早稲田、慶応の2校の対抗戦からスタートした。それから明治大学から法政大学そして立教大学の順番でリーグに加盟し最後は1925年に東京帝国大学(東京大学)が加盟して東京六大学の六校が揃った。最も日本の大学野球で歴史があり大学野球を代表するリーグである。その伝統ある六大学野球の中で立教が黄金時代を作れたのは、間違いなく長嶋が反骨心を持って立教よりも強かった大学を相手に戦ったからである。
 長嶋はプロに入った巨人でもデビュー戦では当時の国鉄スワローズのエース金田正一から4打席4三振の不名誉な記録を作っている。しかしその逆境から再起して巨人の4番バッターに成長して生涯打率3割を超え、首位打者には5回もなっている。そして長嶋と言えばその数字以上にここぞという時に必ず打つ勝負強いバッティングで巨人を何回も優勝に導いた。
 又、現役を引退した翌年から巨人軍の監督に就任したが、スタートした年は最下位という不名誉な記録を作る。しかしこの時も逆境から再起してその翌年には優勝している。このように長嶋の歩んできた道を振り返ると決して平坦で楽な道ではなく、山あり谷ありの苦難の道を歩んできたことがわかる。長嶋本人が語っているようにそうした逆境に強くそこから何度となく再起できたのは長嶋が持っていた反骨心だと言える。
 長嶋は華やかなスター選手で監督としても「メークドラマ」という言葉を生み出す程、ファンを夢中にさせる野球を創り上げた。だがその裏では反骨心を持って再起する為に人一倍の努力をした長嶋がいた。そして、長嶋が教えてくれたのは長嶋のような天才と言われる人でも再起する為には反骨心を持って人一倍の努力をしたと言う事だ。そして常に明るく輝いていてその苦労した処を感じさせないのがスターでありミスタープロ野球と言われる由縁だと思う。
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