第18話 人は何故、揉めるのか?

文字数 1,509文字

 人類の祖先のホモサピエンスは弱さを補うために、集団として行動し協力しあいその弱さを強みに変えて生き残ってきた。それなのに、人は個人対個人の争いや揉め事から国家対国家の争いになると最終的には武器を使った戦争という合法的な殺し合いにまでするようになり人の争いに終わりはない。
 何故、人は揉めるのだろうか? 好き嫌いと言った個人的感情や利害関係のもつれなど原因は様々だ。そして争いによって人は内面的にも外面的にもお互いに相手を傷つけあって、戦いが終わった後に負けた方だけでなく勝った方にも良い事は残らない。それでも人類の歴史は争いの歴史と思える程、人は争いを止めない。
 13話でも述べたが人は同じ相手でも好きになったり、嫌いになったりする。私の場合も同じ相手であってもその時のちょつとした言動が気に入らなくて、好意を抱いていた人も嫌いになる場合がある。そうした相手に対する感情が変わる理由として考えられるのが、人は多面性を持っていて、ひとりの人間のなかにはいろいろな面があるという事だ。例えば、人に対してやさしい気持ちと意地悪くて厳しい気持ちの両面を持っている。そして、やさしい気持ちが前面に出ている時と厳しい気持ちが前面に出ている時と状況によって使い分けて人は生きている。だから、やさしい気持ちが前面に出ている時は好意をいだくが、逆に意地悪くて人に厳しい面が前面に出ているとなんて嫌な奴なんだと相手を嫌いになる。
 人の顔は右側から見るのと、左側からみるのでは違うと言われる。そして、右側から見た顔は好きだが、左側から見た顔は嫌いと言う事もあるし、その逆の場合もある。それが外見だけではなく人間は内面的にも相反するような面を持っている。
 それでは、相手の事を好きになったり嫌いになったりしない為にはどうすれば良いのだろか?それは、人間にはいろいろな面がある事を理解して、相手の事をトータルで考えるようにする事は出来ないだろうか?その為には、相手に気にいらない事があっても直ぐに感情的にはならず、まずは一呼吸置く事が必要だ。少しでも間を置けば高まった感情も収まって相手に対する思いも元に戻るかもしれない。
 それと相手の独立した人格を尊重することだ。私の場合は友人は多くいる方だと思うが本当に気を許せる親友という存在はいない。それは、相手には独立したした人格があり、どんなに親しくなっても一心同体になる事はあり得ないと思っているからだ。
 又、相手の気持ちを思いやれば、急に好意を抱いていた相手を嫌いになったりする事はなくなると思う。国家と国家でも互いに独立した国として尊重していれば、間違っても相手の主権を踏みにじって侵攻して支配しようとはしないだろう。
 現在では個人にせよ、国家にせよ我の強いものが己の欲を満たす為に思いのままに行動するのが許される時代ではない。今更ティール組織でいうレッド(衝動型)組織に戻る事は出来ない。
 人類が誕生してからの400万年は地球の歴史46億年から見ればほんのわずかな期間だ。そのわずか時間の支配者の人類が地球の終わりを早めてはいけない。その為には人や国家は互いに争っている場合ではない。改めて地球に人類が存在している意味について考える事が大切だ。たとえその答えは出なくても、人類が存在する意味を考えていれば無謀な行動はしないだろう。
 緊急の課題としては人類が汚してしまった地球環境をこれ以上汚さないようにしなければならない。その為に人は、取り組むべき課題に対して具体的に何をするかを決めて協業する事が必要だ。そしてその行動の前提になるのが、改めて人は弱くて小さな存在だと再認識する事である。
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