第113話 道這う霊と真相

文字数 1,881文字

 明日から中間テストが始まる。
 日頃からまじめに勉強していないわたしは毎回一夜漬けでテストに臨むのだが、いつもぎりぎりになって後悔する。毎日コツコツやっておけば一夜漬けなどしなくてもいいのに――と。

 わたしはどちらかというと夜中のほうが集中できるタイプだ。だから一夜漬けでいいのだとはならないが、中学校からずっとそうやってきた。
 だが、高校一年になってから夜中に集中できなくなってしまっていた。
 毎日コツコツ云々、と反省する間があれば勉強しろと思うのだけれど――ほら、うだうだ考えていたら、今夜も安アパートの廊下を慌てて走ってくる靴音が聞こえてきた。
 靴音は隣の部屋の前で止まり、激しいドアの開閉音がした後、壁越しにおじさんの恐怖に怯えた大声が聞こえてくる。
 これ。この騒がしい声がわたしの一夜漬けの邪魔をする――

 何の仕事をしているのか知らないが、わたしが両親とともにここに入居した小学生の頃、すでにおじさんは毎夜遅くに帰宅していた。
 高一の一学期中間テストまでは、こんな騒がしい帰宅ではなかったのに、期末テスト前日の一夜漬けしていた深夜、激しい靴音にドアの開閉音、怯えた大声が聞こえてきてから、毎夜続くようになった。
 安普請の薄い壁を通す大声は夜道でお化けを見たと騒いでいた。
「俺、見てもたっ。今バイクであそこ通ったんや。ほいたら道()うてるお化けおった。あれただの噂やなかった。ほんまやったんや」
 心底怯えて震えている声におじさんの恐怖が伝わってくる。
 道這うお化け?
 そう言えばそんな噂があったことを思い出した。母から真相を聞いていたので心霊系とは認識していなかった話だ。
 実は道這うお化けは、お化けではなく『人』だ。
 一人暮らしの足の不自由な老婆が、夜中に自宅前の道を這い、向かいの田んぼの用水路に残飯を捨てに行く。
 理由は誰にもわからないし、逆にお化けよりも怖い。
 最初の目撃で幽霊騒動になったが、すぐ近隣の住人が真相を解明し、いったん噂は落ち着いた。
 だが、老婆が奇行を止めず、目撃者が続出し、中には真相を知らずに噂が本物だと信じている者も少なくない。
 隣のおじさんはその中の一人だろう。暗い夜道を這う老婆を見た恐怖はいかばかりか。
 あれは人なんですよと教えてあげたい。
 だが、もうそれは無理だった。
 なぜなら、隣のおじさんは老婆を目撃したその夜すぐ、猛スピードを出したバイクで塀に衝突し、事故死してしまったからだ。きっと驚きと恐怖でパニックったに違いない。
 老婆が幽霊ではなく、おじさんが幽霊なのだ。
 彼は自分自身が幽霊だと気付かないまま、家族がとうの昔に引っ越して誰もいない部屋に、いまだばたばたと帰って来ては大声でまくし立てている。
 一夜漬け勉強の度に、いや勉強しない夜でもおじさんの大声を聞き続けているからか、わたしも体調が悪い。
 これがいわゆる霊障というものなのか?
 こんなアパート早く引っ越してしまいたいけれど、両親に訴えても信じてくれないし、先生や友人に相談してもみな笑うばかりだ。
 壁の向こうでは大声が続いている。
「なあ聞いてくれっ、ほんまなんや。道()うてるお化けがいてたんや。ほんまやほんまやったんやっ」
 ああもうっ、うるさすぎて勉強できない。

                  *

「まあくん。引っ越し屋さんの邪魔したらあかんで」
 そう言うと(あが)り口に立っていた三歳の息子がきゃっきゃ笑いながら奥へと走っていった。
 夫が探し出したこのアパートは家賃が格安だった。理由はここが幽霊物件だからだ。
 本当は気持ち悪くて嫌だったけど、息子の教育資金に将来戸建てを買うための貯金もしたいので、しぶしぶ承諾した。
 夫は(はな)から乗り気で、心霊動画を撮って一旗揚げるなんてしょうもないことを言っている。
 ま、わたしたちに霊感なんてないし、何も起こるはずがない。そう考えれば倹約が出来てラッキーなことかもしれなかった。
「まあくん、どうしたん?」
 息子が日当たりのいい六畳間をじっと覗いている。
 子供部屋だったのか、お隣に面したほうの壁に学習机を置いてあったかのような擦れて剥げた跡がついていた。
 うちもここを子供部屋にしようか。うるさくするかもしれないが、お隣はずっと空き室のままらしいし、気遣う必要がない。
 息子が小さな人差し指で中を指さした。
 この子もここが気に入ったのか――
「そやね。まあくんの部屋にしよね」
 わたしがそう言って笑うと、息子は空っぽの六畳間とわたしの顔を交互に見て、再び中を指して訊いてきた。
「ママぁ、そこにおるおねえたんだぁれ?」

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