第28話 コワいウワサ

文字数 6,713文字

                    序

 昼休みの社食で見たことのない女子がにこにこ笑いかけて来た。会社の制服を着てIDカードもぶら下げているからここの女子社員には間違いないのだろう。
 隣に座って楽しそうにしゃべり始める。
「ねえねえ、こんなウワサ聞いたことある?
 夜にあそこのトンネルを通るとね、非常駐車帯に人が座り込んでるんだって――」

                    1

非常駐車帯

 ある日、仕事帰りの小夜子は毎日利用するトンネルの非常駐車帯で老人が座り込んでいることに気付いた。
 何気なく過ぎてしまってから、ふと迷子になっている老人かもしれないと思い直し、Uターンした。
 この近隣には高齢者施設があり、よく迷い人のポスターが道路脇のガードレールや電信柱に貼られているからだ。
 だが、引き返してみても誰もいなかった。
 見間違いかな? 
 小夜子は首を傾げながらスマホの見過ぎによる目の疲れだと思うことにした。
 数日経っての通勤途中、またも老人を見かけた。顔までは見えず、先の人物と同一かどうかはわからないが、今度は二人、非常駐車帯に座り込んでいる。
 時間的に余裕がなく確認ができない。散歩に出た老人たちがあそこで休憩しているのだと思うことにした。
 排気ガスの充満したトンネルの中で?
 疑問はあったが、忙しくてそのまま小夜子はそのことを忘れてしまった。
 二日ほど過ぎての帰宅途中、ヘッドライトが例の場所に三人座っているのを映し出し、それを遠目で確認した。
 今回はちゃんと事情を尋ねようと車を止めるも非常駐車帯には誰もいない。見間違えるようなものも何一つない。
 トンネル内ということを差し引いても異常な冷気が背筋に怖気を走らせ、小夜子は慌てて車に戻り、トンネルを抜け出した。

 小夜子はその後、トンネルを利用しない別ルートで通勤した。遠回りになるが仕方ない。
 件の施設では頻繁に迷い老人が出ることに不審を抱いた家族からの通報で警察の捜査が入り、結果、二人の職員が老人たちを殺害して山中に埋めていたことを突きとめた。
 掘り起こした遺体は九人もあったという。
 小夜子はそのニュースを知った時、あのまま通り続けていたら九人全員揃うのを見たかもしれないと思いぞっとした。
 とにかく事件が解決したことで安心し、小夜子はまた元のルートでの通勤に戻った。
 もちろん非常駐車帯にはもう誰もいない。
 ほっとしてその前を通過した時、ガラスに反射する車内の異変に気付いた。小夜子一人しか乗っていないのに人がたくさん映っている。
 それが殺された九人の老人だと小夜子にはわかった。全員の視線が自分に注がれていることも。
 小夜子はそのまま走り続けたが、いつまでたってもトンネルの出口は見えなかった。

「というわけで、ドライバーはそのまま車ごと行方不明になるんだって。
 その度に非常駐車帯に座り込む人がひとり増えるんだそうよ。
 ねえ。これも聞いたことある?
 あそこの高台にある『丘の公園』のウワサなんだけど――」

                    2

丘の公園駐車場

 せっかくの休日も美早には行く当てもなく、気晴らしにもならないが丘の公園まで一人ドライブに来た。
 上司と折り合いが悪く、ともに愚痴を吐く同僚も聞いてくれる先輩もない美早は日々我慢に我慢を重ね、心は荒んでいく一方だった。
 丘の公園は高台にあって森の中に遊歩道があるだけの公園だが景観がとても美しい。春の桜や秋の紅葉はもちろん一番美しいのはここから眺める下界の夜景だという。
 そんな景色を眺めたくらいでわたしの荒んだ心は癒されないけど。
 駐車場に車を止めた美早はそう思いながら展望台までゆっくり歩く。
 共に歩む彼氏でもいればまだましなのだろうが恋人もなく、真冬の今は紅葉も散ってしまって園内の景色はただ寂しいだけだった。
 だが、上から眺める夕焼けに染まった町並みは少しだけ、ほんの少しだけ美早の心に潤いを与えた。
 このまま宝石箱みたいな夜景も見て行こうかな。
 暮れていく空を仰ぎ、しばらくそこに佇んでいたが、若いカップルが展望台にやって来た。
 美早など眼中にないかのようにいちゃいちゃしだし、居たたまれず夜景を断念して駐車場に戻ることにした。
 丸太でできた階段を降り、芝生の坂道を下りながら夕暮れ色に染まる自分の白い軽自動車に向かった。
 駐車場の入り口近くに停めている黒いセダンは今のカップルの車だろう。
 羨ましくないと言えばうそになる。でも、今の美早には恋人を作る気力もなかった。
 っていうか、作ろうとしてもできっこないか。
 自分を鼻で笑いつつ、重い足取りで車に向かっている美早だったが、さっきからそこに見えているのになかなか車にたどり着けない。
 どんだけ疲れてるのかしら。ずっと同じ場所を歩き続けてるみたい。
 ほんと、まったく車にたどり着かないわ。

「というわけで、あの駐車場に長い期間置きっぱなしになっている車は全部そんなふうになってしまった人たちの車なんですって。
 持ち主の帰らない車はいずれ撤去されちゃうけど、その数だけあそこには同じ所を歩き続ける人たちがいるそうよ。
 お仲間がいっぱいで賑やかに思うでしょ? でも、みんなお互いが見えなくて、ずっとぼっちなんだって。
 で、これはね、クリスマスシーズン限定のウワサなんだけど――」

                    3

鶴池ナリエ

 麻友は友人から聞いた噂を検証するため自転車で鶴池公園に向かった。
 まだ遅い時間ではなかったが、冬の日没は早い。防寒対策をしていたが、明日クリスマスだというのに妙に暖かく、分厚いコートの下は汗ばんでいた。
 駐輪場に自転車を止め、スマホを動画撮影に設定する。
「今から検証に向かいまーす」
 公園入口にレンズを向け、噂のイルミネーションへと歩き出す。
 この公園は家から自転車で三十分くらいの場所にあったが今まで来たことがなかった。
 入口に立てられた看板には県下最大のため池だという説明が書かれ、その周囲の遊歩道や脇を彩る樹木の名称、途中三か所の広場にある東屋も写真入りで紹介されていた。
 十二月に入ると遊歩道や広場に地元の有志によるクリスマスのイルミネーションが施される。樹々や柵に取り付けられた色とりどりの電飾と光で作られたトンネルが見どころで、小規模ながらもなかなか立派な趣のため鶴池ナリエと呼ばれていた。
 そんな美しい場所にとある噂があった。もともと公園自体も心霊スポットと言われているらしいのだが、麻友が聞いたのはクリスマス限定の都市伝説のほうだった。
 遊歩道を進んで二つ目の広場を越えた先、光のトンネルの少し手前、植え込みの間にミカン箱より一回り大きい小屋がある。キリスト誕生の馬小屋を模しているのではと言われているが、実際は窓を覗いても何もないので目的はわからない。
 だが覗いた者の中に小屋の中いっぱいのサンタクロースを見る者があるという。
 サンタの人形がたくさん詰まっているという意味ではない。白い髭に赤い服の太った大男が小屋の中、ぴっちりつめつめに詰まっているのだ。
 それを見た者はクリスマスの夜にサンタクロースが部屋に来るという。
「えー、怖くないじゃん」
 そう言った麻友に友人は「知らんじじぃが枕元にいるってことが怖いんじゃね?」と笑った。
 とにかく検証動画を撮るにはちょうどいい感じがして麻友は行動に移したというわけだ。
 暗くなった遊歩道にはキラキラとイルミネーションが輝き、家族連れや若いカップルたちが散策を楽しんでいる。
「すごくきれいで~す。一人だとちょっと怖いかな~って思ってたんだけど、結構人がいるんでだいじょうぶで~す」
 一つ目の広場には大小様々な木々が豪華な装飾のクリスマスツリーに仕立てられていて美しく、星のオーナメントがあたたかな光を放ち幸せな気分になった。
「ステキ~、彼と来たい~。でも彼いない~」
 スマホで録画しながら麻友の顔も輝く。ずっと撮っていたいが、目的はここではない。遊歩道を経て有名な絵画を電飾で表現した二つ目の広場を一通り撮影すると先に進んだ。
 光輝くトンネルの入り口が見えた。あのトンネルに入ったらさぞ素晴らしい動画が撮れるだろうが、目的はその手前。
「話ではここらあたりで~す。探してみま~す」
 麻友は植え込みの間に目を凝らした。
 確かに小屋がある。幼い頃、祖父の家にあった柴犬の小屋ほどの大きさだ。その屋根にも電飾されていたが、残念ながらきれいでもかわいくもない。
 高鳴る胸を押さえ麻友はそっと窓を覗いた。
「うそっ――マジで――」
 腕や脚を折り曲げて丸まったサンタクロースが小屋の中にいる。
 見開いたままの青い眼球が外の明かりを受けて硬質な光を反射していた。
「なんだ、人形か。びっくりした。
 都市伝説の正体は人形でした~。これっていたずらなのかな? それともただここに保管しているだけ? 
 不気味~。この状況が都市伝説を生んだのかもね」
 麻友はほっとしてそうコメントしながらスマホで撮影した。だが画面には何も映っていない。いや正確には空っぽの小屋の中だけが映っている。
「え?」
 戸惑いながら、もう一度肉眼で確かめる。
 サンタクロースの青い瞳がきょろりと動き、麻友を見た。

 目覚めると暗い自分の部屋でベッドに入っていた。
 あれから今までの記憶がまったくない。
 だが、エアコンなど家電が放つ光で仄かに浮かび上がる部屋は確かに麻友自身の部屋だし、きちんとパジャマも着ている。
 スマホで時間を確認すると真夜中を少し回っていた。
 最後の動画をチェックする。
 母の作った手料理と父の買って来たケーキを楽しく食べている様子が録画されていて、いつもと変わらない麻友がそこに存在していた。
 公園の動画も確認したがやはり小屋には何も映ってなく、その後は光のトンネルを通過し、歓声と検証を終えたという自分のコメントが入っていた。
 もちろんそんなことを見たり言ったりした覚えはなかったが、小屋のことは単なる見間違いだったんだ、そう思うことにした。
「メリークリスマース」
 朗々とした声が部屋に響き、麻友は飛び上がった。
 部屋にサンタクロースが来るという友人の話を思い出したが、見回しても誰もいない。
「じゃ、今のなに? 確かに聞えたよ――」
 検証結果を録画するチャンスなのに、ただベッドの上で震えることしかできない。
 はあはあ。
 荒い息が下のほうから聞こえ、麻友は恐る恐るベッドの縁から覗いた。
 小屋に詰まっていた姿形のまま、サンタクロースが青い目で麻友を見上げた。

 翌日、連絡の取れない麻友一家を心配した知人が家を訪れ家中に飛び散った血飛沫を発見した。
 家族三人の姿はなかったが明らかに人のものと思われる肉片、歯や爪などがいたるところに散乱し、一家の生存は絶望のように思われた。
 何があったのか、誰がやったのか、いまだに謎で捜査は難航している。

「まさか犯人が鶴池ナリエに潜むサンタクロースだって誰も思わないよね。だってただの都市伝説だもの。
 次はある地方のウワサなんだけど、そこでは火葬場をヤキバって呼んでて――」

                    4

ヤキバ

 友紀と和徳は禁忌を犯していた。ともに親から行ってはいけないと言われているヤキバの敷地内で網を振って虫取りに励んでいたのである。
 二人の親だけではなく、この辺りの子供を持つ親なら誰でもそこで遊ぶなときつく注意していた。
 親は自分の親から、その親はそのまた親から、この地に住んでいる限り子供たちは代々必ず言い含められて来た。
 友紀と和徳は夏休みの宿題で生きている昆虫図鑑を作ろうと考えた。それにはできるだけ多くの種類が必要だ。
 だが、セミやバッタといった誰でも捕れるようなものしか集められなかった。
 友紀は考えた末、多くの樹木が茂るヤキバの敷地に目を付けた。数年前から建ち並び始めた住宅地に引っ越ししてきた友紀にとって代々続くタブーの畏怖はさほど効き目がなかった。
 友紀の母親は子供の頃からこの地に住む和徳の母親やその他のママ友から子供に伝えるべき禁忌を確かに言い渡されていた。
 そしてそれを友紀にも伝えていた。
 だが、母親は葬送の場で遊ぶべからずというただの倫理的な意味だと解釈し、重要性をそれほど考えていなかった。そのため友紀にもそのように伝わったのだ。
 ヤキバに入ろうという提案に和徳は大反対した。自分は祖父母や両親から絶対に行くなと、幼い頃からきつく言い聞かせられている。
 決まりを破ると家に帰れないぞと。
 それを訴えたが、友紀は鼻で笑った。
「そんな証拠どこにあるの? 誰かそんな目に合ったことあるの? そんなのただの噂だよ」
「でも祖父ちゃんたちが言うてるもん」
「あのね、大人たちがそういうふうに言うのは子供たちを危険な場所に行かせないためさ。だから、ヤキバの建物内に入らなかったらきっと大丈夫だよ。そこが一番怖くて危険な場所だから」
 友紀の説得に和徳は納得した。

「ヤキバに行って正解だったね」
 友紀は水槽型のケースを抱いてほくほく顔で家路を歩いていた。
「なあ、後ろから変な声聞こえん?」
「そう?」
 振り向こうとした友紀を、「振り向いたらあかんっ」と大声で和徳は制した。
「な、なぜ?」
「もし決まり破ってヤキバへ行ったら、家へ帰るまで振り向いたらあかんのや」
「なぜなの?」
「し、知らん。知らんけど、その決まりも破ったら、玄関の敷居またぐ瞬間に後ろへ引っ張られて家に入れんのやって」
「えーそんな理由? だからそれはただの大人が流した噂だって」
 友紀は鼻で笑うと後ろを振り返った。つられて和徳も振り返る。
 確かに大勢のひそひそする声が聞こえた。が、それはプラスチックの壁をよじ登るタマムシやカミキリムシ、図鑑で調べるまではまだ名前の知らない虫たちの脚先が立てる音にも思う。事実、背後には誰もいない。
「ね、なにもいないだろ」
 二人は顔を見合わせうなずき合った。
 それ以降、奇妙な声は聞こえず、和徳の自宅前に着いた。
「じゃ、虫は僕が預かっておくから。明日仕分けして名前と生態のラベル張りしよう。
 すごく楽しみだね」
「うん。じゃバイバイ」
 網を持ったまま和徳が手を振った。そして玄関ドアを開け、足を踏み入れる瞬間、忽然と消えた。
 それをまともに目撃した友紀はケースをその場に落とした。
 フタが開いて這い出た虫が空に向かって飛んでいく。
 そんなことなど構わず友紀は思いきり走った。
 うそだ、うそだ、うそだ――
 きっと見間違いか、和徳がいたずらをしたのだ。
 だが、戻って確認する気になれない。
 自宅が見えて友紀はほっとした。
 門扉を開け放したまま勢いよく玄関扉を開く。
「ただいまっ」
 そう言いながら中に入る瞬間、首根っこを後ろからぐいっと引っ張られた。

 友紀の母は門扉と玄関ドアの開く音、「ただいま」という息子の声を確かに聞いた。
 だが、いっこうに入って来ない。いつもならお腹空いたと叫びながらキッチンに飛び込んでくるのに。
 聞き違えたのかと玄関先まで出てみた。
 扉は開けっ放しでそこから見える門扉も開いたままだ。
「友紀?」
 母は階段下から二階の部屋へと呼びかけ、外にも出て周辺を窺ってみたが、息子の返事も姿もなく、そのまま和徳ともども行方がわからなくなってしまった。

「あれだけタブーを重要視していたのに、みんなまったく子供たちの失踪の原因に見当がつかないわけ。
 まあ、生きながらあの世に引きずり込まれたなんて誰も想像できないでしょうね」

                    跋

 わたしはいつまでもにこにことくだらない話をし続ける彼女を睨んだ。
「ねえ、なんかおかしくない? 当事者はみんな消えていなくなったんだよね? だったらなんで本人しかわかんない真相を知ってるわけ?」
「ふふふ、なんでかって?」
 突然あたり一面真っ暗闇になった。
 何も見えず、何も聞こえない。
 まさか、わたしもコワいウワサの一つになってしまったのだろうか?
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