第36話 ここに立つ
文字数 1,234文字
きょうも僕はぼんやりとここに立つ。
最初の目的は忘れちゃったけど、きっといろんな車や人を見ていたいからだろう。
いつ頃立ち始めたのか、もう自分でもよくわからない。なぜここなのかも覚えていない。
僕はただじっと立って車や人を眺めてる。
のろのろ走るセダンに初心者マークのおしゃれな軽自動車、大きなダンプカーに子供の頭が屋根から出たワンボックスや大好きなスポーツカー。にこやかに歩く主婦、眉間にしわを寄せた不機嫌そうな老人。かわいらしい女の子にやんちゃそうな少年、泣き喚く赤ん坊におろおろする若い母親。
じっと眺めていると行きかう車に乗ってる人や道を行く人と時々目が合ってしまう。
照れ屋な僕はすぐ目を逸らすんだけど、みんな驚いたような表情をして慌てて逃げていく。
いったいなぜだろう――
目の前を小さめの四駆が通り過ぎた。
助手席の女性と目が合う。驚いた顔をしたけれど、この車は逃げずに左ウインカーを出して止まった。
助手席のドアが開くと女性が出てきてこっちにまっすぐ向かってくる。
こんなこと初めてなので驚いた。
彼女は哀れみでも同情でもない目でじっとこっちを見つめ、「あなた死んでるよ」と言った。
そうだ、思い出した。
僕は自転車に乗っていて撥ね飛ばされたんだ。猛スピードを出した銀色の高級車に。その車は地面に落ちた僕を顧みることなく走り去ってしまった。
ああ――僕は自分の両手を見た。手首があらぬほうを向いている。それだけじゃない。腕も脚もおかしな具合に曲がっているし体中が血で真っ赤だ。きっと顔もすごいことになっているに違いない。
目が合った人たちが血相を変えて逃げていくわけだ。
この人は怖くないのだろうか。
ともあれお礼を言おう。僕の声が聞こえるかどうかわからないけど。何のためにここに立っているのかも思い出したし。
『教えてくれてありがとう。でも僕はここに立っていなければいけないんだ』
「逃げたままの車を探しているのね。国産の銀色の高級車、でしょ? 逃げてく車のナンバー見たのよね? 覚えてる?」
彼女が力強い瞳で僕を見つめる。
そうだ。僕は見た。赤く染まっていく視界に入ったナンバープレートを。僕のほかに目撃者はいないナンバーを。
だからそれを探すためにずっと立っていたんだ。
いつまでも悲しむお父さんやお母さんのため、あの車のドライバーに憑りついて呪い殺してやるつもりだった。
僕は彼女にゆっくりとナンバーを伝える。
彼女はにっこり笑うと僕の肩に手を置いた。
「もう探さなくていいよ。後はわたしにまかせて。ちゃんと見つけ出して罪を償わせるわ。
だから、ゆっくり眠りなさい」
実際の彼女の手は僕の肩を通り抜けていたけれど、じんわりと温もりを感じた。だんだん体が軽くなっていく。
車に戻っていく彼女の背中に頭を下げた。
『ありがとう――』
ドアを開けながら振り返った彼女は優しい笑顔で頷いた。
最初の目的は忘れちゃったけど、きっといろんな車や人を見ていたいからだろう。
いつ頃立ち始めたのか、もう自分でもよくわからない。なぜここなのかも覚えていない。
僕はただじっと立って車や人を眺めてる。
のろのろ走るセダンに初心者マークのおしゃれな軽自動車、大きなダンプカーに子供の頭が屋根から出たワンボックスや大好きなスポーツカー。にこやかに歩く主婦、眉間にしわを寄せた不機嫌そうな老人。かわいらしい女の子にやんちゃそうな少年、泣き喚く赤ん坊におろおろする若い母親。
じっと眺めていると行きかう車に乗ってる人や道を行く人と時々目が合ってしまう。
照れ屋な僕はすぐ目を逸らすんだけど、みんな驚いたような表情をして慌てて逃げていく。
いったいなぜだろう――
目の前を小さめの四駆が通り過ぎた。
助手席の女性と目が合う。驚いた顔をしたけれど、この車は逃げずに左ウインカーを出して止まった。
助手席のドアが開くと女性が出てきてこっちにまっすぐ向かってくる。
こんなこと初めてなので驚いた。
彼女は哀れみでも同情でもない目でじっとこっちを見つめ、「あなた死んでるよ」と言った。
そうだ、思い出した。
僕は自転車に乗っていて撥ね飛ばされたんだ。猛スピードを出した銀色の高級車に。その車は地面に落ちた僕を顧みることなく走り去ってしまった。
ああ――僕は自分の両手を見た。手首があらぬほうを向いている。それだけじゃない。腕も脚もおかしな具合に曲がっているし体中が血で真っ赤だ。きっと顔もすごいことになっているに違いない。
目が合った人たちが血相を変えて逃げていくわけだ。
この人は怖くないのだろうか。
ともあれお礼を言おう。僕の声が聞こえるかどうかわからないけど。何のためにここに立っているのかも思い出したし。
『教えてくれてありがとう。でも僕はここに立っていなければいけないんだ』
「逃げたままの車を探しているのね。国産の銀色の高級車、でしょ? 逃げてく車のナンバー見たのよね? 覚えてる?」
彼女が力強い瞳で僕を見つめる。
そうだ。僕は見た。赤く染まっていく視界に入ったナンバープレートを。僕のほかに目撃者はいないナンバーを。
だからそれを探すためにずっと立っていたんだ。
いつまでも悲しむお父さんやお母さんのため、あの車のドライバーに憑りついて呪い殺してやるつもりだった。
僕は彼女にゆっくりとナンバーを伝える。
彼女はにっこり笑うと僕の肩に手を置いた。
「もう探さなくていいよ。後はわたしにまかせて。ちゃんと見つけ出して罪を償わせるわ。
だから、ゆっくり眠りなさい」
実際の彼女の手は僕の肩を通り抜けていたけれど、じんわりと温もりを感じた。だんだん体が軽くなっていく。
車に戻っていく彼女の背中に頭を下げた。
『ありがとう――』
ドアを開けながら振り返った彼女は優しい笑顔で頷いた。