第78話 風習~鬼の村外伝~

文字数 2,602文字

「大みそかやのにぃ、こないな辺鄙な村へよう来んさったのぉ、せやけど取材いうんは何十年ぶりやろぉ」
 村の古老が笑うと一本しかない歯が見えた。
「お忙しい中、承諾してくださってありがたいです。些少ですが――」
 玄関先だったが、菓子折と一緒に謝礼金の入った薄っぺらい封筒を差し出すと老人は目を剥いて手を横に振った。
「いやいやぁ、こんなもんもらえやんでぇ」
「たいして入ってないですから、どうぞお受け取りください」
「えーそうかぁ、ほなら、遠慮のうもうとこうかのぉ」
 山村の風習を取材して回っている私はこれでやっと一冊の本にできると嬉しくなった。
 私が追い求めているのは普通の田舎でなく秘境の村に残る風習だ。
 どこもかしこも近代化され、秘境の探索は困難を極めたがここでいったん一区切りがつく。
 とはいえ、消えていきつつある村々、忘れ去られていく風習はまだまだある。それらを求めて探索は続けるつもりだ。
 新たな決意を前に、まずこの取材をやり遂げなければならない。
 この村で取材するのは祭事だった。
「今晩ですよね、お祭りは」
「そうやぁ。けどぉ、なんも珍しもんやないでぇ。餅つきの代わりに薪割するだけやかいのぉ」
「いや充分珍しいですよ。餅の代わりに薪だなんて。しかも舞いながらですよね」
「そうやぁ。大昔、不作の年にのぉ、正月につく餅米のうて――まぁ、餅米だけちごうて食うもんなぁんもなかったらしけどなぁ。ふぁふぁふぁ」
 空気の抜けるような笑い声を上げ、古老は続ける。
「せやけどなぁ、そりゃあんまりや言うてぇ、餅つきの真似事しょうかてなったんやとぉ。それがまあ祭事になったんやろなぁ」
「せめて陽気に、と舞ったんでしょうか」
「あー、あの舞はなぁ――」
「おとう、準備できたで」
 古老によく似た男が開け放したままの玄関を覗き、会話が途切れる。
「お邪魔してすみません」
 私が頭を下げると向こうも軽く頭を下げ、「おれは戻っとるで、早よきてや。みな楽しみしとるで」とすぐその場から立ち去っていった。
 上がり框に座り込んでいた古老がのっそり立ち上がると「こっちやで」と引き戸から外に出た。
 その場に荷物を置かせてもらい、カメラだけ持って後をついていく。
 大きな木製の古い鳥居をくぐり神社の境内へ入っていくと老若男女問わず村人たちが賑わっていた。
 護摩焚きのような大きな焚火の前、注連縄を巻いた大きな切り株に斧が突き立てられ薪割の準備がされている。
 ひときわ賑やかな一角では餅つきが始まっていた。
「餅つきはちゃんとあるんですね」
「そりゃそうだぁ。正月はみな餅食うきまっとるで。ふぁふぁふぁ。時代の流れにゃ逆らえんかったで、もうここ何十年、ふつうの餅つきしかやっとらんかったなぁ。
 せやけど、あんたが見たい言うてきたんでぇ、久しぶりにしょうかぁなったんや」
 それを聞き、あの薄い謝礼では申し訳ないと私は恐縮して頭を下げた。
「かめへんでぇ、若いもんもいっぺん見たかった言うとったし、みな喜んどるでぇ」
 人良さげな笑顔がさらに広がった。
 どんどんどんと太鼓が鳴り始める。
「そろそろですね。見学はどこでやれば――」
「どこでもええで、写真撮るんやろ? よう見えるとこへどんぞ」
「邪魔になりませんか?」
「なれへんなれへん。そこは舞手がうまいことやるよって」
「あ――さっきその舞について何か――」
「ほら始まるで」
 太鼓の音に笛と摺り鉦の音が陽気に加わり、祭囃子が賑やかさを増した。
 また会話が途切れたが、古老が指さすほうに私の目は釘付けになった。
 斧を取った舞手――菅笠と蓑を着た屈強な男、顔には白い布が巻かれている――が、切り株の周囲を回っている。
 手に持った斧を軽々と振り上げ、スキップするような足取りで、身体を曲げたり伸ばしたりしながらテンポよく舞っていた。だが、音頭に合わせているものの型は決まっていないらしく動きが次々に変化した。いわゆるトランス状態ということなのだろう、古老が教えてくれようとしていた舞の意味が見て取れた。
 村人たちも、見物しているその場で音頭を取り、手を上げ足を上げ舞手に合わせて踊り始めた。
 私は夢中でシャッターを切った。楽しそうな笑顔の村人たち、激しさを増す舞手の動きをどんどんカメラに収めていった。
 しゃがみ込んで写真を撮っていると、顔の白布がよく見えた。目の位置に穴が開いて黄色く濁った眼球が私を睨んでいる。
 邪魔な位置にいることに気付き、慌てて後退ったが、見物の輪から走り出てきた村人たちに切り株の横まで誘導され、ここで撮ればいいと勧められた。
 申しわけないと恐縮する私に村人たちが「かめへん、かめへん」と笑顔を振りまく。
 フレームを覗くと確かにこの場からは臨場感のある写真が撮れそうだ。餅つきの動作で踊りながら近づく舞手の目に映る炎の揺らぎまで見えた。
 一区切りに相応しい風習だと私の心は弾んだ。
 カメラを持っていなかったら一緒に踊りたいほどの祭囃子を足先でリズムを刻みながら、陽気に楽しむ村人たちと鬼気迫る舞手を交互に撮る。
 いつの間にか古老が切り株の脇に立っていた。合いの手役なのか、よく乾いた薪を切り株の上に置く。
 私はカメラを構えた。
 切り株の前に立った舞手が杵に見立てた斧を振り下ろす。
 見事なまで真っ二つに薪が割れ、ひときわ大きな歓声が上がった。
 合いの手が次々と薪を置いて舞手がどんどん割っていく。見物人たちの歓声が続き、もうそれは餅つきにしか見えなかった。
 昔の人がこれで艱難辛苦を乗り越えたのだと思うと、涙が浮かんだ。その時、大きなどよめきが起こり、さらなる歓声が沸き起こった。
 だが、その理由が私にはわからなかった。
 持っていたカメラを落としたことに気を取られたからだ。
 しっかり持っていたのになぜだ? いい場面を取り損ねたじゃないか。
 拾うためにうつむいた視線の先にはカメラをしっかり持った自分の腕が落ちていた。
 これは何だ? 
 顔を上げると古老が満面の笑みを浮かべていた。
「舞ういうのはのぉ『薪』の気ぃそらすためやでぇ」
「どういう意味で――」
 訊き終わらないうちに視界が飛んでくるくる回った。
 さらに大きな歓声の中、古老の声が耳元で聞こえる。
「楽しい間ぁに割られるいうことやぁ、なぁんもわからん間になぁ、ふぁふぁ――
 あんたのおかげで久しぶりに『薪』喰えるでぇ、おおきにおおきにぃ――――」
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