第105話 牽制

文字数 3,815文字

 新しい職場に入社が決まった時から、同じ部署にイケメン君がいると、聞くとはなしに聞いていた。
 まだ右も左もわからないうちからそんな噂が耳に届くのだから、会社ではよほどの有名人なのだろう。
 イケメン好きではない自分からしたらどうでもいい話で、でも同時入社のギャル、栄田さんにとって鼻息を荒くする噂だったらしい。
 指導係の先輩に連れていかれた部署には、確かに誠実そうで柔らかい物腰のイケメン君がいた。
 だが、訊いてもいないのにイケメン君本人から彼女がいることを告知され、さらに牽制のつもりか、スマホの待ち受けを半ば強引に見せられた。
 写真には彼と並んだ栄田さんよりはるかに美人でレースやリボンがよく似合う縦カールした女性が映っていた。
「彼、タイプだったのにぃ」
 イケメン君が立ち去った後、歯軋りする栄田さんに、
「いい男は女がほっとくわけないですよ」
 そうわたしは笑った。
「よっしゃぁ、あの女から略奪するぞっ」
 こういうことに闘志が燃えるタイプなのか、こぶしを握って栄田さんが意気込む。
 やれやれと心の中で苦笑した。栄田さんにもだけど、イケメン君にもだ。
 モテないのもつらいけど、モテるのも大変なのだ。

 あれから数か月が経ち、結局、栄田さんは己に勝ち目がないとわかって略奪を諦めた。それでも時々イケメン君の端正な横顔を物欲しげに眺めていたが。
 そんな頃、イケメン君に昼食を誘われた。
 断る理由がなかったので、会社の近くにあるパスタ屋に一緒に行くことにした。
 店に到着してから栄田さんも誘ってあげればよかったと後悔した。その場にいなかったのでつい失念したのだ。
 もしこのことが彼女に知られれば、いくら諦めたとはいえきっと恨まれるに違いないと、自分のうっかりを悔やんだ。
 今からでも呼ぼうかと考えてみたものの、なぜイケメン君がわたしを誘ったのか――例えば栄田さんがいまだしつこく言い寄ってくるとかなどの相談をしたいのなら呼ぶことはできない。
 だが、注文したパスタが来るまでの間も、来てから食べ終わるまでの間も、お勘定を済ませて――ちなみに(おご)りではなかった――会社に戻るまでの間も、一切相談事のような話はしなかった。
 イケメン君がずっと口にしていたのは、わたしに対する賛辞だった。
 仕事の覚えが早い。ミスが少ない。化粧や身につけるものがシンプルなのに女らしさも表現できていて。さっぱりした性格で、いざこざが多発する職場の中でも柔軟に上手く対応できているなどなど。
 会社に戻る道すがらも歯の浮くような賛辞が次々と並べられた。
「はあ――まあ――そう言ってもらえて――えっと――うれしいです」
 戸惑いつつ栄田さんを誘わなくてよかったと心から思った。こんな話聞かれたら、栄田さん、いや女子全員を敵に回しかねない。
「でさ、澤路さんは彼氏いるの?」
 はあ? 
 思わず出そうになった声はうまく呑み込んだ。相手は先輩だ。
「いえ、今はいませんけど」
 もしかして誰か紹介しようとしてる? うわっめんどくさ。先輩の紹介って断りにくい――彼氏いるって言えばよかったーっっ、後悔先に立たず。
 イケメン君は会社の玄関脇に立ち止まると、満面の笑みで、わたしの手を握った。
「澤路さん、ぼくと交際してください」
「はあ??」
 今度は思いきり声が出てしまい、その大きさに自分で驚いてきょろきょろしてしまった。
「いやいやいや、イケメンじゃなく――佐藤さん、かわいい彼女さんいるじゃないですか。だめですよ。そんなこと言っちゃ」
 冗談にしても気しょくて笑えない――でも、ふざけんなって怒るのも大人げないし。
 そう頭の片隅で考えながら、
「ははは、やだなーもう」
 笑ってごまかし、手を振り放した。
「ぼく本気だよ。理想に合う女性をずっと探してたんだ」
 もうわけわからん。だいじょうぶか、こいつ――
 わたしの笑顔が消えたことに気づいたのか、イケメン君はポケットからスマホを取り出して待ち受けを見せた。
「これね、フェイク画像なんだよ。SNSで見つけたかわいい女性の写真を自分の画像と合成したんだ。ぼくってむやみやたらモテるでしょ。だから、いい寄る女性を牽制するために」
 あー、はい、はい。そういうことでございますか。ご苦労なことで――でも、牽制のためっていうのは当たってたんだ。って、今そんなこと言ってる場合じゃない。
 わたしは背筋を伸ばし、両手を前に重ね、丁寧に頭を下げた。
「すみません、佐藤さん、お気持ちはありがたいんですけど、今は仕事が大事というか、誰ともお付き合いするつもりはないんで――」
「はあ? もしかして断ってる? このぼくが見初めて上げた女性なのに?」
 うわっダメだ、これマジでトリハダものだ。
「はい。お断りさせていただいております。
 はっきりいってタイプじゃないし――理由の大半はそれです。もう一回いいましょうか? 
 お断りいたします。
 イケメンだからって、誰もかれもあなたの顔が好みなわけじゃないんですよ」
 わなわなと震え、それ以上何か言うことも動くこともできない顔だけイケメン君をその場に置いて、わたしは玄関の自動ドアをくぐった。
 中に入るとドア横の壁にもたれて栄田さんがわたしを睨んでいた。今の件をすべて見られていたに違いない。
 もうっ次から次へと――
「玄関出たら、佐藤さんに手握られたあんたが見えたのよ」
 凄まじい殺気をつり上がった目から発射して栄田さんが私の前にゆっくり近づいてくる。
「わ、わたし、栄田さんを出し抜こうとしたわけじゃないですよ――えとぉ、どう言ったらいいのか――」
「向こうが勝手にいい寄って来て、あんたがそれを断ったってことだよね」
 栄田さんがにっと笑った。
「そ、そうっ! ちゃんとそこも見ててくれたんだ。あーよかったぁ」
 安堵の息を吐いてわたしは胸を撫で下ろした。
「だって澤路さん、ごつい顔のマッチョが好きじゃない」
「え。知ってたんですか?」
「うん。もしかして隠してた? なら待ち受け、プロレスラーにしちゃだめだよ」
「別に隠してるつもりなかったけど――いやあ見られてたか――あはは」
 わたしが笑うと栄田さんもぷっと吹き出し、
「でもさ、あいつ何様? 超幻滅したんですけど」
 そう言いながらドアのガラス越しに外を覗く。
 そういやイケメン君入ってこないな。くそ高いプライドずたずたにされてまだ動けないの? 生意気な割にメンタル弱いのね――
 そう思いながら栄田さんの隣から外を覗こうとした時、
「ねえ、あれ」
 栄田さんが指をさす。
 玄関前の歩道に突っ立ったままのイケメン君の前にあの待ち受けの彼女がいた。
「え、フェイクって言ってたのにウソだったの――」
「しっ」
 栄田さんが遮り「なんか言い合いしてる」と言いながら、ドアに耳を付けて二人のやりとりを聞いている。
「彼女、あんたにいい寄ってた佐藤を裏切者って罵ってるよ」
 栄田さんがふんっと鼻を鳴らし嗤った。
「じゃ、やっぱり本物の彼女の画像だったんだ。ひどい。わたしを騙すなん――」
「ちょっ待って、お前なんか知るかって佐藤が怒鳴ってる。フェイクって言うのは本当なのかも」
「え? じゃ、そっくりなあの彼女は一体?」
「たまたまフェイクに使った写真の本人が、佐藤の待ち受けを真に受けたってことじゃない? 普通そんな使われ方したら不愉快で抗議しそうだけど、相手がイケメンだし、あの女メンヘラってそうだから、マジで自分が恋人だと思い込んじゃったみたいだね」
 さもおかしそうに栄田さんが「ぷぷっ」と吹き出し、
「いやあまさかこんなことになるなんてね」
「え?」
「佐藤がさ、わたしに全然なびかないから、腹いせにあの待ち受けを写真に撮ってSNSにアップしちゃったんだよね。
 ほらあいつスマホそこらに置きっ放しにしてるじゃん、その隙にさ、イケメン先輩、恋人とラブラブで~~すってコメントと一緒に」
「ええっ!」
「絵に描いたような美男美女カップルなんか炎上しろって思ったけど、結構評判良くってよけいムカついてたんだよね。まさかフェイクだったなんて――おまけにこんなことになるなんて」
「えええっ!」
 怖っと思いながら驚いていると、まだ二人の様子を窺っていた栄田さんの表情が一変した。
「うわっやば――」
「どうしたの?」
 つられて外に目をやる。
 佐藤が彼女に刺されていた。
 深々と胸に突き刺したナイフを彼女が抜き取る。鮮血が噴き出すのが見えた。
 佐藤本人は何が起きたのかまだ把握していないような顔つきでぼうっとしている。
 それはそうだろう。こんな可愛らしい女性がナイフを持ち歩いているなど、それが自分に向けられるなど、誰だって想像もしない。
 佐藤は返り血で真っ赤になった彼女の顔を数秒間じっと見つめた後、膝から崩れ落ちた。
 通行人から悲鳴が上がり、エントランスにいた社員たちも何事かとドアに群がって来る。
 慌てて警備員たちが飛び出して彼女を取り押さえた。男性社員たちも次々飛び出し、泣き叫び暴れる彼女を警備員たちと共に押さえ込んだ。
 警察や救急に通報する殊勝な者たちからただの野次馬まで、玄関前は大騒ぎだ。
 わたしは傍観したまま。栄田さんも口をあんぐり開けたまま動かない。まさかこんなことになるなんての二乗、今度は嗤うどころではないようだ。
 血の気を失った佐藤は応急手当を受けているが、ぐったりしたまま動かない。
 ほんと、モテるっていうのも大変だ。
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