第23話 「鎌倉殿の13人」(全編通し)
文字数 2,891文字
それも、頼朝様から学んだとおりに、って言いながら。
でも、北条義時って、源氏の将軍じゃない訳で、どうしてそういう風に思えるのかが分かんなかったです。
頼朝が亡くなったのが、満年齢で51歳だと言われています。
その時、2代将軍になる頼家は18歳。ドラマでは鹿狩りも上手くできない子ですから、
頼りない子なんでしょうね。何だか、漢字が重なって面白いですが。
私、あの弱っちかった頼家さまが、無敵の善児を傷つけたことにすごく感動しました。
もちろん恐ろしいんですけど、それだけ将軍になってから頑張ったんだな、って。
なのに、ああいうことになって。可哀想でした。
ただ、もっと前の、有名な平将門の乱などがあったように、坂東の武士っていうのは都の権威に従いたくなかった人が多かったのかもしれませんね。
そういう野望がないと、平家の圧倒的な天下だった時に頼朝を立てて戦いを挑むなんて、ねえ。
なるほど!
(うわっ、やっぱり「ちゃん」付けしてる……)
お母さんと舞衣お姉ちゃんは、救急隊の問診が不十分だとか、そういう話をしていました。
ドラマを楽しんでいない、ん? 楽しみまくっている? どっちだろ?
あとやっぱり「りく」さんの力、それが「実衣」さんにも乗り移って、さらに「のえ」さんも……。
女って、自分の子どものことになると、ああなるんですか?
心が美しいうちに死んだ八重さんがいいけど、やっぱり長生きしたい……
時代的に、女性の世の中に対する野望を叶えようとすれば、
自分の息子を権力者にしようとするのが、基本だったのでしょうね。
いや、21世紀の今でも、なかなか自分自身で上に行こうとされる人は少ないかもしれません。
あと、これははっきり出て来なかったし、まだ調べきれていないんだけど……
上皇や法皇が、院宣という命令をだして討伐を命じるという形で、武士同士が戦うんだよね、この時代。
あるいは、その命令を下さいとお願いする。そして命令があるから、兵が集まる。
上皇を島流しにして、次の天皇を選ぶことができるようになったんですからね、幕府は。
あの政子の演説の直前ですら、上皇さまには逆らえないって関東の武士たちが言っているのに、ですよ。
馬上で気を失って…は脳出血でもいいです。もちろん他の鑑別もありえますが、脳卒中(クモ膜下出血、脳出血、脳梗塞などの総称)救急の基本として、事故が先か発症が先かというものがあり、作者的にはそれを意識した演出に思えてならなかったのでした。
「吾妻鏡」によると、頼朝は奥州藤原氏攻めに際し、朝廷の許可・命令なしでそれを行ったそうです。武士を自分が討伐するのは、自分の部下を攻めることなので朝廷の許可・命令は不要、という理屈のようです。なので、院宣や宣旨なしで幕府が武士を討つのは承久の乱を待つことなく、頼朝が行ったところを契機とす説もありでしょう。また、明治維新はその幕府を討つための動きなので、朝廷以外に頼れるものはなかっただろうと推察します。が、やはり上皇を流刑にできるのは、ものすごい決断だと思います。
(追記 2023年1月4日)