第25話 ゼレンヴァルト 世界統一政府<ディストピア>

文字数 9,878文字

二〇二五年四月十四日 月曜日

 この世には、世界を陰で牛耳る政府が存在するという。それはニューワールドオーダーとか世界統一政府の樹立を目指しているといわれるが、そうではなかった。「目指している」のではなく、すでに存在した。それが日米欧三極持続可能委員会であり、ロートリックス帝国財団は、影のアメリカ帝国の王朝だった。ロートリックス・グループ総帥となったジェイドは、ロートリックス王朝の正当な後継者である。本来ならそこで世界皇帝として「最後の審判」の主導権を握るはずだったが、その裏にはさらなる上位の権力者が存在するのだ。それが、ヨーロッパの青い貴族(ブルーブラッド)連合体ゼレンである。
 ヨーロッパには、NATO圏の国家群を裏で率いるゼレンヴァルト帝国財団が存在する。ブダペシュトを帝都に構えた彼らこそ、その歴史において、事実上のロートリックスの上位帝国だった。影の政府内では歴史的に古い順から地位が高い。ロートリックスと東京に上下関係は存在しないが、ゼレン委員会は別格だった。
 ジェイドは「名目上の世界皇帝」を、陰の権力構造内で認定されただけであり、その実態は名ばかり……実態は老人たちの僕(しもべ)であった。ジェイドはこれまで、姉サンドラが放った手の者に、たびたび毒殺や暗殺の危機にさらされ続けてきたが、同時にゼレン委員会も同じようなことを仕掛けてくる相手だった。まさにこれから、ジェイドはゼレン委員会との激烈な権力闘争が待ち構えていた――。

「やぁジェイド……」
 三十代半ばのロイ・ローゼンタールが顔の前で腕を組んでいる。その隣にカイゼル髭のエルネスト・スペンサー卿が座っていた。
「まだ第二計画をやっているのか君たちは……我らが三極で〝意思〟を伝えたのに」
 ジェイドは、NYのマンハッタンホーンからゼレン委員会にリモート出席していた。長老会議とブルーブラッドが仕切るゼレン委員会は、ハンガリーの首都ブダペシュトに居を構え、そこはゼレンヴァルト帝国財団の帝都であった。
 最後の審判についての議論が続いていた。
 第二の計画は塔の計画、「禊」と呼ばれている。世間では人口爆発と温暖化の問題を、影のエリートたちが人口削減を計画しているなどと噂されていた。それが真実なら、第二の計画を担うジェイドは、世界最大の殺戮者だった。
 だがその都市伝説は実体とは異なっていた。第二計画は温暖化を引き起こすCO2を、塔の力で軽減するために気象コントロールし、結果として天変地異が起こって社会にも多少なりとも影響が生じる。つまり人口減少というのは結果論だった。ジェイドはできるだけ犠牲を最小限にとどめたいと考えていた。
「だが、そんなことをしてももう間に合わんのだ! 人類が半分になるほどの犠牲を払って温暖化を防いでも、来るべき最後の審判によって人類は十分の一以下になる! その時になって人類再建などとても無理だ!」
 ゼレンの若き貴族で、ジェイドと同年代のロイは言った。それは、ブダペシュトのAIメタルコアが導き出した答えだった。何度計算しても、答えは変わらなかった。
 UFO公聴会でのワインバーグ上院議員同様、影の政府内にも誘拐を問題視する者がいた。人材派遣会社が集団失踪事件に関わっている。ゼレンは奴隷商人を各国に置いていて、それはアメリカ国内にも存在した。だが、ジェイドの代でそれはパッタリと中止になった。また、NASAは火星計画に否定的になりつつあった。
「とんでもないことだ。なぜ邪魔をする?」
「メタルコアの計算など関係ありません。そちらはそちらで、自分たちだけでやったらどうです?」
 ゼレンの火星植民計画――なぜ彼らは火星を目指すのか?
「かつて人類の祖先は火星にいた。そしてもう一つ、およそ四億年前、失われた第五惑星、マルデックにも我々の祖先がいたことも、シュメール神話に記された通り。いわば我々を突き動かすのは、魂の郷愁であり、歴史的必然なのだ」
「さよう、子々孫々たる我々のDNAがそうさせる。地球人類の中に、連綿と続いてきた血の遺産がなす種としての原点回帰……。破壊された火星を、あの赤い星を、サスティナブルな、元あった美しい緑の星に戻すようにと――それは人類の責務といえる」
 シュメール神話に伝わる真実の歴史。そこに秘められた人類史の謎――。シュメールの〝バベル〟にこだわったジェイドこそ、それを深く熟知する当事者だった。彼に比べれば、ゼレンは表面的に神話を知っているにすぎぬ者たちだった。
「我々の使命は、残された時間の中で、一刻も早く火星への脱出を完遂することに他ならない……」
「やはり君たちの仕業だったようだな」
 ゼレンヴァルトは、アニメ「シドニアンズ」と、新作ゲームに苦言を呈した。
 シドニアンズの絵は「シンプソンズ」に似ているが、ツタンカーメンみたいな帽子をかぶったお父さん、クレオパトラみたいな奥さん、スフィンクスのペットなどが登場し、シドニア地区での日常を描いている。
「嘘つきは泥棒の始まりと言うぞ。特に、第二十九話『火星ピラミッドのおうちが火事になった』はヒドい。あたかも、火星の反乱事件をほうふつとさせる、露骨な妨害工作だ!」
 火星地下での反乱をネタにしたのは、もちろんジェイドの暴露の一環だ。
「加えて、まさかの大型企画が進行中とは? 一体どういうつもりなんだ」
 「ゲーム・オブ・マーズ」は、映画とネットゲームの大型コンテンツである。第一弾のトレーラー発表まで、何一つ情報を出さず、ただロートリックスが出資した大作を製作中とだけ発表していた。
「――我々の火星計画を暴露しようと言うつもりではあるまいな?」
「まだ未発表です。……あなた方のNATOのAIがハッキングして、うちのゲームの開発データを抜いたことは分かっています。そちらこそ違法行為を続けるなら、こちらにも法的な用意があります」
 NATO軍のAI、ゼレンテックが開発中の<メタルコア>は、帝都ブダペシュトに置かれている。
「我々が火星の真相を一般に公開すればどうなる、ジェイド帝? 人々は救いを求めて、わずかな出口に殺到する。大パニックだ。人類は存続どころではなくなる――確か君が三極委で言ったことではないか! 本当に分かってるのかね?」
 ロイはゆっくりと訊いた。
「私は地球人としての自覚と誇りを持っているつもりです。伊達にこの歳で、ロートリックス総帥に就任したつもりはない。持続可能な未来のために、あなた方のように自分たちだけさっさとこの星を捨てて生き延びようなどとは考えられません」
「なんだと? 我々は人類の種の保存を――」
「ダイダロスで脱出ですか? ハハハハ……これは失礼。前から思ってたが、大層な名だ」
 巨大船ダイダロスは、月面の裏側の都市で建造され、火星を行き来した一号は役目を終え、現在は二号が建造中だった。しかし、ジェイドの意見ではボロ船のノアの方舟だった。
「あまり名前が壮大だと名前倒れでは? 酒の神バッカスとでもしておけば――宇宙で事故ったとしても〝飲酒運転〟と言い訳できるでしょう」
「なんだと!」
 ダイダロス一号は、宇宙旅行中の事故で破壊されたのだった。
 だから彼らはエイリアン・リバースエンジニアリングを求め、宇宙人と手を切りたくない。欧州は、スターゲート装置を開発していなかった。その代わりに、ゼレン会議ではAI開発に心血を注いでいて、そのメタルコアの性能は、現時点で、NYでリック・バイウォーターが開発したAIサイノックス(PSYNOX)の性能をしのぐといわれていた。
 「ダイダロスか地球か?」それが、せんじ詰めれば両者の対立構造だった。
「失礼にもほどがありますぞジェイド総帥!」
「別に暴露などではない――あくまで火星を舞台にしたフィクションだ。我が国では表現の自由が保障されている」
「我々としては『ゲーム・オブ・マーズ』の製作中止を、正式に要請する」
「ここは自由の国アメリカだ。それはお断りする。新任の総帥になったばかりでしてな、私は忙しいのです。この後のスケジュールも詰まっている。これにて失礼する」
「ジェイド総帥、もう一つ議題がある……!」
「なら手短に」
「火星計画には宇宙人との同盟関係は、絶対必要だ。人類滅亡のシナリオと生き残る方法を。それをエイリアンは警告したし、協力的でもある。火星での不測の事態に対応するには、彼らの協力が要る! あからさまに敵対するような真似は慎んでもらいたい!」
「さぁ、それはどうでしょう――?」
 ロートリックス社は、宇宙軍の設立と、エイリアン・リバースエンジニアリングによる超兵器開発を進めていた。どうやらそれもハッキングで筒抜けだった。AI担当のリック・バイウォーターが、ジェイドの横で頬杖ついて聴いていた。彼にとって、メタルコアは到底勝てる相手ではなかった。
「世界皇帝ジェイド! 君はスター・ウォーズ計画で、宇宙軍を引き連れて、この星から宇宙人を追い出す決戦を挑むつもりか」
 過激な宇宙攘夷派のジェイドを即位させることには、ロートリックス内での反対意見も多かったが、それはゼレンも同様だった。
「君の見解は間違っているぞ! 完全に。第一にUFOは攻撃意思を持たない。スクランブル発進で、こっちが攻撃しても反撃しない」
「圧倒的な技術力の差があるからでしょう。子供が大人にあしらわれるようなものだ。その力がありながら、地球を支配下に置いてない。あなた方とは違ってね」
「いいや、UFOはいつの時代、いつの場面(シーン)でも平和主義だった! 我々人類は一度も交戦したことがない。UFOはスクランブル機がロックオンしただけで回避行動を取り、しかし決して反撃してこなかったと報告されている。徹底的な平和主義、高度な道徳観念を持っている証拠だよ」
「さよう、侵略の意図がないことは明白だ」
「では彼らの目的とは?」
「自らを見失った友、地球人に再び目覚めてもらう事だ」
「――再び?」
「かつて火星にいたころは、一部は宇宙連合に参加していたと考えられる。だが今日の地球人は宇宙に来るなと彼らに言われる始末。君らのせいで宇宙連合に参加できないのでは、火星行きが不可能になる」
「我々のせい? フッ、はなはだしい濡れ衣ですな」
「この星の人間が開星するか否かの瀬戸際だぞ」
「しかもだ、彼らは何十億年も昔からこの星の地下都市におり、ずっと平和主義者」
 果たしてそうだろうか? この老人共はボケて、あえてこういうことを言っているのか?
「ジェイド帝、宇宙連合からの通達を忘れるわけにはいかん。月の核実験の後、宇宙連合は『月へ来てはならない』と警告した。アポロ13の事故でな。第一の計画の地底も同じだ。アガルダを目指すも、『あなた方が人類を解放しない限り、ここへは入れない』と、通路を埋められてしまったそうではないか」
「私の国ではそうだとは断言できません。長いこと、グレイ文明に良いようにコントロールされてきましたのでね」
「しかしそれは侵略されてるとはいえん」
「グレイは協定を無視して、秘密条約をはるかに上回る人数を誘拐してきました。人間に危害を加えるなという条文を無視し、国民の臓器切断を行い、危害を加えた。グレイ自身は退化していて絶滅の危機にあるからです。彼らは、種の保存のためにそれらの研究を行っていたのです。これは、我々にとって由々しき問題でした。グレイとの戦争が迫っていました。だが、我々側の兵器に、グレイに対抗できるレベルのものが存在しなかった。だから、せめてグレイに太刀打ちできる兵器が開発されるまでは、仮にも友好関係を保っておく。これが我々の立場です」
 それら一切が最高レベルの国家機密として厳重に監視され、それを守り、円滑に計画を進めるためのデルタフォースや、スクランブラーが暗殺などの白色テロを行っていた。
「軍備を一新し、決戦に備える気概が、ヨーロッパの年寄連合にはないだけです」
「――何か言ったかね?」
「無礼者め!」
「ロイ、君もこんな連中と付き合ってると魂が年寄りになってしまうぞ。それと皆さん、NATOの武器は我々が提供していることもお忘れなく」
「……武器商人が!」
「左様、宇宙連合を敵に回して、勝てるわけがないというのに、傲慢も甚だしい」
 ゼレンヴァルトは金融の根幹を支配し、ロートリックスは世界最大の軍産複合体だ。敵対している両国に武器を売りつけ、戦争のシナリオを描く。世界の三帝国の中でも、宇宙人に対し、もっとも好戦的なのがロートリックスだった。金回りをコントロールすることで、ロートリックスも支配できるはずだが、ロートリックスも資金的には対抗できる。そして「最後の審判」対策にも積極的。日本・アジア太平洋の自由主義圏を束ねる東京帝國は中立的だ。
 過去、宇宙連合は何度もPMFで核実験を停止させていた。警告だったらしい。宇宙や地下への悪影響を考慮してのことだろう。それは理解できる。
 だが、巨大UFOはこの星で一体何をしているのか。国家の安全保障上の脅威だった。ジェイドはゼレンや先代ロートリックスが宇宙人に対し、かなりの弱腰だと見ていた。宇宙との不平等条約を解消するため、総帥就任後、攘夷運動を進めていた。
 ゼレンヴァルトは宇宙人と戦うことは無意味と捉え、彼らの協力を得ることで火星脱出とそのための“部品”の誘拐を行っていた。
「はっきり言いましょう。アブダクションだけが問題ではありません。火星に奴隷を送り込む事の方がはるかに問題です。数において規模において、あなた方によって、すでに何十万人もの人々が一括託送貨物として、送り出されている。火星地下都市での生活は地獄だと聞いています」
 アブダクションと奴隷(宇宙)、部品の商人……どちらもどちらだ。
「君の筋書き通りにいくのかな? メタルコアを前に」
「塔の計画が楽しみだな」
 会議が決裂した後、ロイは「警告したぞ」そう凄みを聞かせた。
「どうぞご自由に、あなた方の言い訳は、最後の審判の後に訊きましょう。それまでお楽しみください」

「ブルーブラッドの犬どもめ! 将来、ヤツの子孫はローゼンタールの苗字を恥だと思うだろう!」
 ジェイドは感情を爆発させた。
「奴らの帝国領に、塔の威力をお見舞いしてやる……!」
「総帥、ご注意ください。ロイの言った通り、相手側の人工知能は我々を上回ります。すぐに察知されるはずでよ」
 リック・バイウォーターはブダペシュトにあるAI「メタルコア」について、忠告した。
「もう時間がない。焦っているのは連中だけじゃない。すでに太陽の位置は変わりつつある。ポールシフトは始まった。NASAのステラ博士は公式見解で否定しているが……間もなく隠しきれなくなる。何もかも、誰の目にも明らかになるのだ!」
 そう言ってからふと、ジェイドはNYに出現した光十字の太陽を思い出した。
 この日の後、欧州全体に干ばつが襲い掛かり、「雨を盗まれた」と、ロートリックス帝国財団は非難された。塔は、カリフォルニアで起こった火災を防ぐことはなく……ただ外国への攻撃に使用された。

ロートリックス・シティ

 夜九時。殺伐とした極秘国際会議を終えたジェイドは、フェラーリ・テスタロッサに乗って、二台の護衛車とともにロートリックス・シティへと戻った。
 群青色の夜空に桜吹雪が舞っている。高さ三十メートルになる巨大な桜から、青白く光る巨大プールに桜吹雪が降り注ぐ。杉の木に似た桜の巨木は、海老川グループを介して日本から輸入した。一般人は入れず、ここでロートリックス家の招待客のパーティが行われている。
 普段はカフェテラスや、冬場はアイススケートリンク、クリスマスツリーに変わるが、こうしてマンハッタンの上級都民のパーティ会場になることもしばしばだ。映画の打ち合わせの前祝に、ジェイドは、妹・エマとプールサイドでディナーを食べている。会議の後に詰まったスケジュールとは、要するに妹と会うことだった。
「どうだったの? ゼレン委員会は」
 エマは単刀直入に兄に聞いた。
「火星、火星さ……! 無駄なことに時間と資源を浪費する連中だ。この世界の古いしきたりや序列などどうでもいいが、それを他の星にまで持ち込もうというんだ。自分たちだけ火星に行くならそれでもいい。しかし星を上げて人材集めなど迷惑も甚だしい。勝手に国内で強制連行するなど、俺は認めん! 奴隷として火星に連行するのでは……グレイと何が違うんだ?」
「お年寄りはいたわらないと」
「あぁそうだ、お前の見合いも正式に断ってやったぞ。エレンのヤツに。当然だがな! お前には好きな相手がいるんだから。で、どうなんだ? その――付き合ってるとかいう」
「ありがとう。紹介するわ、そのうちネ」
 二人のところへ、アリエータが泳いできた。まるでイルカか人魚のようだ。
「ゲーム・オブ・マーズを中止しろと来た! 安心しろ、当然のことだが君の世界デビューの邪魔はさせない」
「懲りないのね、別にあたし、『ゲーム・オブ・マーズ』じゃなくたって……王道ラブストーリーでもいいのよ社長さん。シドニアンズだけでもう十分やったでしょ、あいつらへの嫌がらせは」
 無邪気なアリエータ・ミラーは笑った。
「おっかないの……」
 ゲーム・オブ・マーズはジェイドが企画した。その前のシドニアンズもヒットさせ、彼はエンタメ業界でも活躍している。
「ま、あたしも『フィラデルフィア・エクスペリメント』は大好きだけど」
「俺もだ。史実を忠実に映像化している。ブルーレイを持っているぞ。ゲームを作るにあたって参考にした」
 ジェイドはエマの意向を退け、コメディアニメ「シドニアンズ」に続く“火星モノ”で、ゼレンヴァルトの邪魔をしようと画策していた。その情報はいち早くゼレンヴァルトのロイの配下に筒抜けになった。……まぁ、わざとだが。
「三極のトロイカ体制ももう終わりだな。奴らは権威をかさに着て、ロートリックスのやることなすことすべて気に入らんようだ」
「お兄様のなすことが、でしょ?」
 ジェイドは激しい性格だった。しかし、同じゼレンヴァルト帝国財団に逆らうにしても、性急すぎるのではと、二人の若い女性は思っていた。
「お兄様って、『ゴッドファーザー』好きでしょ? いっそマフィア映画でも撮ったら」
「誰がマフィア映画を撮るって?」
 ジェイドは少し驚いた顔をして……妹を観た。
「お兄様がよ。そう、まだ非現実的でしょ」
「SFの方が現実的だっていうのか? 下らん」
「だってそうじゃない? 今のこの状況。お兄様もそのつもりのクセに。いっそ、そっちの方が平和的なのよ。マフィア同士の抗争で、ロミオとジュリエットみたいな悲劇の恋の物語とか観てみたい」
 マフィアのどこが平和的なのだ。
「面白いかもしれないな。さしずめ俺はゴッドファーザーのマイケルで、サンドラたちと跡目相続で争う……ってトコか」
「映画に跡目相続争いなんて、出てこなかったと思うけど。ま、怒りっぽさは長男のソニーと一緒ね」
「あんなのと一緒にするな」
「兄弟の中で、ジェイドだけ髪が赤いのね。それも根っから深紅のルビー色」
 なぜジェイドの髪色は、真っ赤なバーガンディなのか。
「先祖も含めて俺の親族の中で、深紅の髪は俺だけだ」
 それは隔世遺伝で、先祖には似た髪色の人間がいたというが、写真には残されていない。しかしジェイドは、先祖のDNAの隔世遺伝だと自認し、自身のDNAを探求していた。
「昔から赤毛の人間は気性が激しいって言われてる!」
 エマは兄の反論を許さず、突然、スリムな身をひるがえして光るプールに飛び込む。泳ぎ去って、くるりとこちらを向いてパシャッと水をかけた。ジェイドは左手を上げて、水しぶきを避けた。ジェイドはいつものクリーム色のスーツを着て、こんな時でも脱ぐことはない。それは、ジェイドのロートリックス・グループCEOとしての戦闘服だからだ。
「子供の頃から赤毛のアンみたいに、大人に食って掛かることがあったね」
 エマはクスクス笑い出した。舌鋒鋭いことで有名な「赤毛のアン」や、さまざまな赤毛のキャラクターがそれを暗示していた。
「フーンやっぱりねェ」
 アリエータも笑っている。
 異母姉弟のサンドラたちや、先代に仕えた重役たち、身内と戦ってきたジェイドだった。だが、別に復讐のためなどではなかった。世界皇帝として――この星の行く末を自分なら導けると、信じていたからだ。
 ジェイドは、表向きは帝国財団に従順だが、利用できるものは利用し、目的を持って、ただ宇宙からの脅威から、アメリカを筆頭に、永年、三帝国財団が受け入れてきた宇宙人の不平等条約を苦々しく思ってきた。この問題を先送りしてきたアメリカの影の政府の無能な支配者たちに代わって、〝宇宙からの独立〟という考えに囚われていた。
 これまでの帝国財団内の、宇宙人ら外的脅威に対する弱腰姿勢にうんざりしていた。そして自分が即位した今、百年成しえなかった地球の独立を目指すのだ。地球を地球人の手に取り戻すために!

 ジェイドは群青色の夜空を見上げていた。
「――あんなエゴ丸出しの老人どもが生き残るために、なぜ俺たちまで……」
 ゼレン委員会の言う通り、グレイの上位組織である、宇宙連合の存在にジェイド自身も気づいていたが、攘夷か、もしくは“開星”かという二択に、結局、長年培ってきた軍産複合体の論理の上に、地球の独立のために戦うと結論付けている。
「そのために俺は帝王になったのだ。休んでなどいられない」
「宇宙人とも戦う気? お兄様」
「勝てない戦などしない。安心しろ。この星から出て行ってもらえばそれでいい。何も宇宙空間まで追いかける訳じゃない」
「でも地底深くにも居るんでしょ? 何十億年も前から、あのヒトたちって。彼らの方が地球の先住民じゃないの?」
「同じことだ、地下に潜もうと地上を徘徊しようと、おとなしくしてる分には関係ない。UFOだって支障が出なければ空を飛んでいい。だが人類の邪魔をするなら、こっちも反撃できるだけの能力は整えておく。――そういうことを考えるだけが世界皇帝の仕事な訳じゃない、俺は邪魔を排除したら他にやりたいことが――イイヤもう皇帝なんて古臭いな、そんな時代はもう終わる。この俺の代で。俺はラストエンペラーだ。帝国を解体するのも、皇帝の役割さ。まぁ、今風に言うとポップスターか?」
「世界を回すDJ、とか?」
 エマは笑って、
「そうだな……この世は舞台、人はみな役者、お気に召すままか!」
 そう締めくくって、ようやくジェイドは笑みを見せ、二人は笑った。
「ロートリックスのアメリカンドリームは石油から始まった。このNYが俺たちのアメリカンドリームだ」
 NYという街が、若きロートリックス家を包み込んでいる。
 サンドラ、ジェイド、エマの三兄妹のうち、ジェイドは一人で分厚い本ばかり読んでいる青二才だと目されてきた。しかし、図書館と書斎にこもっていた若者は、古今東西の哲学書や歴史から、誰よりも帝王学を学ぶ、他の若者とは異なる野心に満ちた人間だと、エマは見抜いていた。
 帝王学は政治指導者が資質を養い、優れた統治をおこなうために、古今東西の歴史や学問を学ぶことである。歴史には様々な原理原則が存在する。それを探求することで、現在、そして未来にも役立てることができるという考え方である。
 ジェイドは『孫子』、『韓非子』、『プルターク英雄伝』や、マキャベリの『君主論』等の統治論だけでなく、洋の東西を問わず、古典哲学から近代哲学、文芸、芸術にいたるまで幅広く熟知することを心掛けた。倫理・道徳面でも高い教養を求め、それでこそ指導者として公正で信頼のおける統治をなすことができると考えていたからだ。エマは泳ぎ去った。
「ねぇレッド――」
「そういう呼び方はよしてくれ」
「どんな人に対しても恩恵を施す者は、人から愛されること以上に、自分をもっと愛している。それを、忘れないでね」
 アリエータは妹を観ているジェイドに言った。
「……」
 それからジェイドは夜空にライトアップされた巨大な桜を見上げて、主演スターのアリエータ・ミラーとシャンパンで乾杯した。
 ジェイドはウイスキーに切り替えると、今度はタブレットで、監視カメラが写したエイジャックスとスクランブラーの戦闘を観た。しかしゆとりはない。安楽椅子で寝つぶれる兄を、妹たちは寝室まで運んだ。
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