第5話 Tスクエア分署 ポニーテールは後に引けない

文字数 4,197文字



二〇二五年三月七日 金曜日

 翌朝八時十五分。
 風が吹いている。春は冷たい空気と暖かい空気がぶつかり合い、猛烈な風が吹く。そこに、NYでは風がビルにぶつかって、さらに強く吹き荒れるのであった。
 ハリエットはかをるの勧めた通り、Tスクエアのホテルから歩いてほど近い、NYPD(NY市警)のTスクエア分署に向かった。
「ドーナツは?」
 やや肉付きの良いレオンは、ドーナツの箱を抱え、箱をハリエットの膝近くへと向けた。
「いえ結構です」
 部屋にユラッと入ってきたエイジャックス・ブレイクは、けだるそうな顔つきで、ハリエットの目の前にドカッと座った。煙草に火をつける。目の前で煙がユラユラと揺れて、サングラス越しにこっちを見ている。何かおっかない。
「スマンね、この男、徹夜で夕べの誘拐事件の調書を作っててな」
 遅れて入ってきたエイジャックスについて、レオン刑事は弁明した。
 ハンター署長は、エイジャックスとライアン・レオンの両刑事にハリエットの面会を任せた。ロック市長の一人娘の相談ということで、NYPDも誠実に対応してくれている。一応は。
「犯人はあんなチンケなギャングなんかじゃありません。私、観たんです。ビルの上階から狙っていた。スナイパーが」
 ハリエットは唐突に切り出した。
「スナイパー? いや……」
 外見チンピラ刑事エイジャックスは終始レイヴァンのサングラスを外さず、黒タンクトップにガンホルダーをつけっぱなしという、間近で見れば見るほどハードボイルドな外見だ。
「市警の命令で、周辺のビル窓は締め切るように命じている。開いてるはずはない。それに高所にも警官を配置して、現場を立体的に観て狙撃を警戒している」
 レオンは言った。
「その高さでは町カメラや報道カメラにも映ってないだろうな。当時、タイムズスクエアには三千人近い人間が居た。だが、君だけが観た、というのは妙だ」
 地上で起こった銃撃で、鳩を追って空を見上げていたのはハリエット一人だけだった。あの瞬間だけ、妙に、鳩の動きが気になったのだ。
「そんな距離から撃てるかどうか……」
「プロなら可能です! たとえ数キロ先でも、軍でスナイパーが撃った記録もあります。この町……摩天楼だらけです。こんなに、スナイパーに適した街って他にあるかしら?」
 ハリエットは、レオンに迫った。
「むろん凄腕のスナイパーなら可能だが……当日は小雨が降っていたし、ビル風も強かった。人も多いし、何もない荒れ地での軍のスナイパーが撃つのとは条件が違う。銃撃の角度の問題もある。上からでは遺体の外傷と一致しない」
「跳弾の可能性だってあるわ。銃声の直後に、高い金属音が鳴り響いたんです。それから父が倒れた」
「跳弾? おいおい、長編劇画のスナイパーでもあるまいし……」
 スナイパーは三千メートル以上の距離でも狙える。だが、跳弾狙いとなると、そんなスナイパーは劇画のキャラクターでしかない。
「跳弾を狙ってた訳じゃありません、でもそれで近くの何かに当たって跳ね返った……それが父の命を奪った。そういうことです!」
「光の加減で、人影に見えたような気がしただけかもしれない」
 ライアン・レオンとは、話がすれ違ってきていた。エイジャックスに比べて、レオンの方が親身そうに話を聴いてくれそうな気がしたが、そうでもないか。
「内通者がいたに違いないんです! だからみんなが上に目を向けようとしなかった。最初から犯人はギャングのリチャード・ヴァリスだって決まってた。そうじゃないですか? それを……みんなで、忠実に実行しただけなんです」
 ハリエットはライアン・レオン相手の会話をいったん諦めると、隣のエイジャックスをじっと見た。
「偽の犯人を捕まえさせて――真犯人はあれを計画した市庁舎の内部に居たんです。真犯人は父の部下だった誰かですッ! だからすべてのタイミングが、偽の犯人確保につながった。……間違いありません!」
 ハリエットはまるで自分がSNS陰謀論を焼き直したような内容をズラズラと並べ立てていることに気づいた。なんだか冷や汗が出てくる。
「テロリストが市政の中に? イヤ、ちょっと待ってくれ。それは飛躍が過ぎる……」
 エイジャックスもまた、即座に否定した。
「大人をからかうもんじゃない」
 レオンは苦笑した。
「歴史的な大事件には、謀略の伝説がつきものだ」
「そ、そんな――っ」
 そんな一般論で片付けられちゃ敵わない。
「街や車載のカメラや報道陣、スマホ、事情聴取、我々はあらゆる捜査を行った。だがあの時、リチャード・ヴァリス以外に犯人はいなかった。奴の背後関係は、まだ捜査を続行中だ。ギャングの背後に、大規模なテログループが存在する可能性はある。しかし、それは我々が捜査するのを待ってほしい」
「そうとも、このエイジャックスが逮捕したのを、君も観ていたはずだ」
 ライアン・レオン刑事が大柄な身体をゆすって座りなおし、子供をなだめるように言った。実際子供だけど。
「…………」
 隣のエイジャックスは、黙って同情の眼差しと同時に、亡き市長の娘の尋常ならざる様に、何かを感じたようで、鋭い視線を投げかけてくる。まだ、この刑事の方が――。
「えぇ、存じていますとも」
 ハリエットはキッとレオンを睨みつけた。
「そういうことだ、分かったかね?」
「だからリチャード・ヴァリスは留置所で暗殺されたんじゃないですか? 当時の詳しい状況を教えてください!」
「それについてはまだ答えることができないんだ。すまんね」
「で、でも、マスコミ報道だってッ! 警察が何も発表しなかったら、NYPDに対して市民の不信が募っていくだけなんですよ!」
「SNSと同じだ、メディアの言葉をうのみにすることはできない。事態の見極めには慎重さが大切だ。我々は流言飛語、デマには迎合しない」
 エイジャックスは静かに言った。
「そう。……テレビやネット、SNSではいろいろな情報が錯綜している。中には意図的に流されたフェイクニュースも多い。携帯を切って、少し目を休めたらどうだ? それに休憩をしっかりとって、栄養あるものを食べるんだ。君は疲れ切っているようだ」
 レオン刑事は話を切り上げようとして、立ち上がった。
 ハリエットは視線を落とし、出されたコーヒーのマグカップから、白い湯気がゆらゆらと立ち上っているのを見つめている。
 ライアン・レオン刑事は強く否定し、エイジャックス刑事は慎重にうなずいて、耳を傾けてはいる態だ。けど、結論は同じだ。いつでも相談に乗ると、ライアン・レオンは言ったが、嘘くさい。やる気がないことが言動から満ち満ちている。
 談話室にハンター署長が様子を見に来て、話は終わった。署内はハリエットが訪ねてきたときから騒々しく、市長暗殺以来、テロ事件の捜査で忙しく、ロウワーマンハッタンで爆発事件が起こったりして署員は忙殺されていて、まるで戦場だった。ハリエットの相手をしてくれる暇もない。
 最後に、
「マンハッタンホーンなんてなかった」
 そう言って、ハリエットは退席した。
 ハリエットは一人、父の死の真相を調べにここに訪れた。けれど、二人の刑事は「犯人はリチャードだ」と言い続けて、ハリエットの話を突っぱね、その結論は最後まで覆ることはなかった。
(バカにされたわ……私が子供だからだっ!)
 Tスクエア分署を出た後、ハリエットは露店でドーナツを買った。

エイジャックスのアブダクション捜査

「――どうだ?」
 ハンター署長は二人に聞いた。
「娘は混乱しているようですね。犯人は他に居るとかで、一応俺たちで説明したんですが、納得してくれたかどうか」
 レオンはそれだけ言って、首を横に振ると、コーヒーメーカーのあるテーブルへと歩いていった。口の中がドーナツの甘さで充満していた。
「エイジャックス、多忙な所スマンが、別の相談者だ」
「はい」
「また行方不明者だ。頼む」
「了解です」
 娘が……恋人が……夫が行方不明になる。
『このところ多いな。NYは一体どうなってる』
 エイジャックスはそうつぶやいて、別の相談室の戸を開けた。

「夫が昨晩から行方不明でして――ベッドで、確かに私の隣に寝ていたんですよ! ところが、真夜中の一時ごろに窓に光が走って……とっさに私、火事だと思ったんですけど、家は燃えてはいなかったんです……」
「えぇ……それで?」
「窓から差す光が、夜空に飛び去っていきました」
「空にね、なるほど」
「夫は……UFOに連れ去れたんです! 飛行機やヘリじゃないんです」
 相談者はハリエット同様に混乱気味だったが、その描写は克明で、決して嘘をついている訳でも、幻覚を見た訳でもなさそうだった。まぁ、それはハリエットもそうだったのだが。
「わかりました。行方不明者として受理しましょう。さしあたって、UFOかどうかは別として……」
「誰も信じてくれないんです。ウウウ……ウッ、ウグウッ」
 夫人は泣いている。
「でもロック市長が、タイムズスクエアで亡くなる前におっしゃっていたことで、私本当に救われたんです! 市長は――市長は本当にお気の毒です。本当のことを話したから殺されたんだわ。マンハッタンホーン内で、宇宙人が邪悪な人体実験をしているんです」
「昔からよく聞く宇宙人の伝説ですな」
「……プールの中に、人間の身体がバラバラに切断され、何千体もカプセルに……それが、ここNYでも!」
「まぁまぁ落ち着いて。同じような体験の方々もいくつか報告されています」
「刑事さん! 夫は帰ってくるのでしょうか?」
「署は全力を尽くします。全米のデータベースもありますし、人工知能による解析や、海外の関係機関とも連携を取っています。それに――“UFO体験”をして……戻ってきたという報告もあるんですよ」
「本当ですか?」
「はい。元気を出して」
 彼らはほぼ全員、無事帰ってきた。記憶を失っていたが、どうやらUFOが連れ去ったと、後で思い出していた。それは最近、エイジャックスが幾つも経験してきた行方不明事例だった。
 とはいえ、話を聴くので精いっぱいのエイジャックスは、市長の演説を思い出して、UFO目撃証言や、SNS、動画でここ最近のNYのUFO目撃情報の多さを知った。特に、あのマンハッタンホーンに?
 「マンハッタンホーンなんてなかった」というハリエットの言葉が、エイジャックスはひっかかっていた。
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